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そういえば天気の子のテーマである大勢の為に誰か一人が犠牲になるべきかという命題がたまに出るけど持論を述べるなら答えの出ない命題だと思ったりする。
例えば、百人を助けるために一人を犠牲にしなきゃならないというと、それもしかたないかと感覚的に錯覚しそうだけど、それはその一人が自分ではないからではなかろうか?
その一人が自分だった場合も「俺は喜んで百人の為に死ねる」っていうHUNTER×HUNTERの幻影旅団の団長みたいな考え方がらできる人は稀で「絶対にいや!」という人の方が一般的な気がする。
ま、幻影旅団の団長も旅団の為なら死ねるけど誰かわからない百人の為には死ねないかもしれないが。
これはなぜかって考えると、その人にとっては自分がなくなることは世界がなくなるのと同義になり得るからで、世界が滅んだ後に自分だけが生きてるのと変わらない、個人の視点に於いては世界と自分の価値が釣り合ってしまうとおもうんよね。
つまり自我が世界をつくってるので、人は個でありながら全部でもある。
ゆえに個を、単なる数字に置き換えてしまえないと思うんですよ。
よくそういう話がでてくるのはFateだとおもったけど、大勢を助けるために大切な人を殺す判断をしないといけないとか、あるいはナデシコみたいに大切な人を守る為に多くの人を犠牲にしないといけないみたいなアニメは観ていて辛くなるよねー。
そこいくと天気の子はある意味ハッピーエンドなのかも知れない(;•̀ω•́)
てなわけで、本当にまた(:3_ヽ)_
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