天気の子

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天気の子

新海誠さんの作品は基本的にキーとなる描写があって、そこから話を拡げて行くという作業をしている様な気がしてならない。 この天気の子の場合は曇り空の隙間から太陽光がほんの少しだけ光線の様に差し込んでいてそれがまるで「光の水溜り」の様だという表現があって、そこが軸になってる様な気がする。 こういうちょっと不思議な事や偶然は結構誰にでも訪れると思うのだけど、そこから発想と妄想を拡げて新たな物語を構築できるかどうかというと誰にでも出来る事ではない様に思う。 例えば「君の名は」のラストシーンで階段をすれ違う二人が同時に振り向いて目が合う、そしてどこかであった様な既視感(デジャヴ)を感じるというのがおそらくは発想の発端になってる様な気がする。 つまり、「天気の子」では光の光線がそこに集まってるのはそこに天気を操作してしまう祠があるからと想像していってだとしたらどうなる?という展開なので演繹的な作り方、「君の名は」では、最後のシーンである階段でのすれ違いに起きたデジャヴという不思議な事の説明をなぜそうなったのか?という視点からどんどん遡って物語ができてるので帰納的な作り方ではないかと思われる。 ま、もちろん新海誠監督がそう言ってた訳ではないので単なる想像ではあるけれど。 そういえば、感想を書くんだった。 天気の子の感想はというと、おそらくは類例のないほど美しい作画のアニメーション作品ではある(新海誠の、作品はほとんどそうだけど) しかしメッセージ性の強い作品すぎてラストにモヤっとした人も多いかもしれない。 新海誠さんの作品には心底悪い奴というのが出てこない場合が多い気がする。 そしてこの作品は誰も悪くないけど、強いて言えば人類全体が悪いというメッセージがあるのかもしれない。 それは「この世界はもうとっくに狂ってる」という台詞などでなんとなく伝わるけども。 ま、賛否は出るでしょう。 あと音楽は名曲なだけに擦りすぎな気がするのは僕だけだろうか? コマーシャルでも散々流れてたので感動的なシーンで流れても新鮮さが薄れてしまって「おお!」と言うよりは「あーここで流れるのか」ていう気持ちになったのは残念でした。
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