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三日目の日中……
歌う鳥市場の名店〝ケスター〟をおとずれた来客の意識は、知らず知らずのうちに奥の四人がけ席へ向いていた。
席を陣取るのは、おなじ異国の制服姿をした少女三名だ。おのおの面白いほど三者三様に、彼女たちは特徴がわかれている。
ちょっとガラの悪い感じのひとりは下品にソファ席に片膝をたて、べつのメガネのひとりは毛のハネたイノシシのぬいぐるみを気弱げに抱きかかえており、さいごのひとりはきちんとした姿勢でその清廉さをかもしていた。
彼女たちが幻夢境に滞在する最終日の今夜、セレファイス紀元百五十周年祭のしめくくりと合わせて、宮殿で英雄たちの勝利の祝宴が行われるそうだ。メネスたっての願いで貴賓として招かれた三名は、ひとまずケスターに集まって待機している。
三名の前でかぐわしい湯気をたてるのは、戦争の勝利を祝ってケスターがトッピングした特製のホットティーだった。ややビターな茶葉から抽出したそれには、幻夢境特産の高級蜂蜜がふんだんにブレンドされている。
カップの紅茶を一口すすり、その美味しさにホシカは眉を跳ね上げた。だがどちらかというと、そのかすかなほろ苦さに寄った表情でつぶやく。
「いや、それがさ。いちおうそいつとは悪くない関係らしいが、生真面目なやつでね。あたしが一歩歩み寄ったら、同じように一歩退いちまった。つねに頭のかたすみで、幻夢境と地球の平和を考えてるそうだ。どうしたもんかねェ」
「そ、その……」
ぬいぐるみをぎゅっと抱き、おどおどした声で切り出したのはナコトだった。あの冷徹無比の拳銃使いが、ホシカの不良独特の威圧感におびえている。
「わたし、彼氏はいなくてですね、はい。その、とてもうらやましいお話です」
「あんたさァ、戦いが終わったらきゅうに人が変わったな。なにビクビクしてやがる?」
「わたし、その、鉄砲をにぎる前後にああなるんです。危険みたいなものを察知して」
「へへ、そうかそうか」
ティーカップの向こうで、ホシカは悪どい笑みを浮かべた。
「おい、ちょっとジャンプしてみろよ。靴下も脱ぐんだ。持ってんだろ、カネ?」
「お、お金? は、はい。あ、アルバイトのお給料ならすこしは……」
思わずポケットの財布を取り出しかけたナコトを、手で制止したのはミコだった。
「恐喝はおやめなさい、ホシカ。ここに逮捕権のある捜査官がいるのをお忘れですか?」
「けッ、ポリ公が。冗談だよ、冗談。ところでナコト、そのぬいぐるみ、まえにゲーセンで見たような気がするぞ。ちょっと触らしてくんねえか?」
「さ、触るだけですよ? あげませんからね?」
首筋をつまんで宙吊りにした子イノシシを、ナコトはホシカへ手渡した。ここだけは年頃の少女らしく、ホシカは嬉しげにぬいぐるみに頬ずりしている。
「ふわふわだァ♪ それにあったか……いや、なんだ、酒臭い?」
生なきはずのぬいぐるみの瞳は、自動で邪悪にほほ笑んだ気がした。レストランのさざめきに混じったのは、冥府から這いずるような嗄れた声だ。
「ねえちゃんよォ、いっしょにお風呂に入ってカラダを洗ってくれねえかなァ? 見たところ、おまえもいいカラダしてるようじゃねえか、オイ。俺ならとっくに裸だぜ? だからおまえも……」
「どこのホストが録音したんだ? もういい、返す」
嫌気がさしたように、ホシカはぬいぐるみをナコトへ投げ返した。受け止めたぬいぐるみのツンツンした毛をなでながら、ささやいたのはナコトだ。
「それでですね。その名前を教えてくれない彼氏さんに対して、伊捨さんのお気持ちはどうなんですか?」
「ああ。楽しいような、ちょっと怖いような、ジェットコースターに乗るときのあの感覚さ。だから別れることを考えると、こう、ちょっぴり心の端っこが寒くなるんだ」
音をたてず上品に紅茶をすすると、伏目がちに提案したのは刀人形だった。
「りっぱな恋愛ですね。もし地球に先約がないのなら、さらに踏み込むべきです」
「ミコさんよ。言っちゃなんだが、機械のあんたに人間の恋心がわかるのかい?」
「すこしだけわかります。私も地球に大切な彼がいますから」
ぬいぐるみに顔をうずめて、ナコトは悲しげに鳴いた。
「黒野さんにもいるんですか、この裏切り者ォ……ところで、その、黒野さん。とても失礼で聞きづらい質問なんですが」
「はい、なんでしょう?」
「黒野さん、アンドロイドだって聞きました。飲んだ紅茶はどこへ行くんですか?」
「基本的には、あなたがたと同じです。必要に応じて、疑似胃腸のカートリッジだけ外して捨てることもできます。あなたがたの味覚と私のセンサー、感じ方は違えど、この紅茶が大変美味しいということもわかります。それより……」
静かにカップを置くと、ミコはていねいに続けた。
「さっきの提案、いかがです?」
複雑な顔つきをしたのはホシカだった。
「あたしらが社会に復帰して、さらにって話だよな。ナコト、あんたはどうする?」
「せ、政府の捜査官に登用してもらえるというお話ですね。いまのアルバイトよりぐ~んと手取りは増えますが……どうしよう、テフ?」
ここにいないはずのだれかへ、ナコトは小声で相談した。それとは反対に、ホシカはきっぱり首を横に振っている。
「あたしはゴメンだ。学校と家を返してくれる、ってとこまではありがたいけどよ。どこまで行っても、うちの両親を殺した組織は許せねえ。それにあたしは、もう前にラフトンティスの勧誘を断っちまってる。ここでホイホイ話に乗っかったりしたら、死んじまったあいつを裏切ることになるぜ」
ミコはふと首をかしげた。
「ラフトンティス? 破壊されたFY71の安全装置のことですね?」
「おなじ組織どうし、知り合いなのかい?」
ひとつ咳払いすると、ミコは声音を変えてホシカへ答えた。
「ホシカ、おひさしぶりですね」
「そ、その声は……おまえなのか、ラフ?」
反射的に身を乗り出したホシカへ、ミコはなつかしい声でしゃべった。
「異世界の救世主に抜擢されるとは、私も鼻が高いです。マタドールシステムと私は、ネット上で同期しています。あなたが〝角度の猟犬〟を完全撃破する寸前までの記憶は、この黒野美湖の機体でも再現できます」
「つまりラフ、おまえはネットの海でまだ生きてるってことか?」
「そのとおりです。なので、いつものようにあなたを勧誘しましょう、光の翼。どうか組織へ加わってください」
「う~ん……頭がこんがらがってきたぞ?」
悩ましげに、ホシカは頭をかきむしった。
三人の席に近寄った人影が、ふいに挙手したのはそのときだった。
「お話の途中で失礼、お嬢さんがた?」
割り込んだのは、品のいい中年風の男だった。身にまとった衣服も仕立てがいい。ミコとナコトへ順番に移った男の視線は、ホシカで止まった。やや照れくさげに指で¥マークを丸めながら、ホシカへ問いかける。
「いくら?」
あたりを見回し、ホシカは問い返した。
「なにが?」
現状を理解しかねるホシカへ、ミコはそっと耳打ちした。
とたんにプッツンしたホシカは、いきなり中年男の胸ぐらを掴み上げている。
「あたしのどこが商売女に見えるってんだ!? あァくら!?」
「く、苦しい! 息ができない!」
「まあまあ、落ち着いて……」
仲裁に入るため、ミコとナコトも席を立った。
テーブルに残されて麗しい芳香を昇らせるのは、甘みと苦味が絶妙のバランスで配合された人生のような紅茶だ。
ティーカップを飾るかわいいラベルには、そのメニュー名がこう走り書きされていた。
〝カラミティハニーズ〟
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