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夕陽が燦然と王宮を輝かせ始めたころ、その秘密の会談はおこなわれた。
宮殿の地下牢には、あいかわらず濃い闇がたちこめている。
とある独房の一室にかぎっては少々、ほかのそれと内装がちがった。水際立った腕前の呪士によって描かれた魔法陣が床・壁・天井を埋め尽くしている。呪文の意図は〝呪力の拘束、および催眠術の封印〟だ。
房内の粗末なベッドに寝転がるのは、その場に似つかわしくない美しい少女だった。奥深い感情をうかがわせる視線は、天井の蜘蛛の巣に固定されて動かない。
石造りの廊下のたいまつは、かすかに揺れた。
何者かが、彼女の牢屋の前に立ったのだ。
鉄格子の向こうへ、メネスはその名を呼びかけた。
「久灯瑠璃絵。動けるか?」
しばしの間を置いて、制服姿のルリエは薄汚れたベッドから身を起こした。耐呪力製の手足の枷をじゃらじゃら騒がせながら、うなずく。
「ええ、おかげさまでね。あちこちに染め抜かれた封印の五芒星のせいで、傷の治りはちょっと遅いけど」
皮肉たっぷりに、ルリエは小首をかしげてみせた。
「とうとう死刑執行のお時間? あたしを断罪するのはだれ? ナコト? ホシカ? ミコ? それともメネス、あなたじきじきにかしら?」
あっさりメネスは首を振った。
「それを行うのは、たぶん地球の組織になるだろうな。連中は、生かしも殺しもせず、気も狂わせず、治癒と拷問を同意義に考える。そのやり口は、死が救いに思えるほどに残虐だぞ」
「あっそ。人類が誕生する前から酸いも甘いも味わい尽くしてるあたしに、いまさら拷問なんかしてなにを喋らせるつもり?」
「きみが喋らなくとも、摘出された〝星々のもの〟の臓器は組織に有益な知識を雄弁に語るだろう。そんなホルマリンの瓶に直行しかけているきみを、ぼくは今回救いにきた」
「なんですって?」
「回答いかんによっては、きみの身は組織の好きにはさせない……きたまえ、ハオンくん」
メネスに手招きされ、彼は牢屋の前に立った。
まだ顔にあどけなさの残る少年だ。年の頃は中学生ぐらいか?
目を丸くして囚人を見つめるハオンへ、ルリエは片目を閉じて挨拶した。
「ハイ♪ こんにちは、ぼうや。死刑囚のあたしに、ぼうやはどういったご用件?」
歌うように連発される単語に、ハオンは幼いながら精いっぱい声にドスを利かせた。
「俺はぼうやじゃない。立派な死霊術師だ」
「死霊術師? あたしをゾンビにして操るつもりなら、死んだあとにしてちょうだい」
補足を加えたのはメネスだ。
「苦労したぞ、うちの呪士学校の生徒を、短時間で片っ端から調べてあたるのは。適性があったのは、いまのところハオンくんただひとりだ」
「生徒? 適性? 話のポイントがぜんぜん見えないんだけど?」
いぶかしむルリエへ、メネスは言い放った。
「彼は、死者の魂を降霊させることができる」
沈黙ののち、ルリエは真顔になって問うた。
「まさか……うそでしょ?」
「証明しよう。ハオンくん、たのむ」
メネスを横目にして、ハオンは底意地の悪い笑みを浮かべた。
「たっぷりはずんでもらいますぜ、学校の単位?」
次の瞬間、ハオンを中心にして呪力の魔法陣は輝いた。
吹きつけた邪悪な呪力の突風から、顔をそむけたのはルリエだ。
ふたたび振り向いたとき、主張の激しかったハオンの顔は、どこか間の抜けたものに変じている。なにか驚いたような仕草であたりを確認したあと、ハオンは唯一見慣れたもののようにルリエを視界にとらえた。そのまま臆病そうな声をこぼす。
「久灯、さん?」
表情を険しくし、ルリエは問い返した。
「だれ、あんた?」
「ぼくだよ……わからないの? エドだよ、凛々橋恵渡」
ひょいと肩をすくめ、ルリエはそっぽを向いた。
「メネス先生? 探してきたのは役者さんかしら? 死霊術師なんてご大層なものじゃなく?」
ののしるルリエへ、エドと名乗った少年は同調してみせた。
「そうだよね。死んだはずだもんな、ぼく。樋擦帆夏にやられて」
ルリエは唇を引きつらせた。
「そのハスターの手下の名前も、どうせナコトあたりから聞いたんでしょ?」
「ナコト……染夜さんも近くにいるの? こんなひどい場所に閉じ込められているということは、またなにか悪いことをしでかして捕まったね?」
すこし過去を振り返ったあと、少年は語った。
「約束しなかったっけ、きみ? もうすこし人間の世界を見極め、見守ろうと思う。歴史という名の並び列の中で、決められた支配者の順番が来るまで待つ、って」
「……!」
すさまじい激震を走らせ、ルリエの顔はこんどこそ凍った。
「その言葉は……ふたりっきりのあの図書室で、凛々橋くんにだけ言ったこと!」
鉄格子に飛びつくと、距離のある少年へルリエは叫んだ。
「エド!? あたし、あなたが……!」
間に合わず、少年から降霊術の呪力は消え去った。寝覚めのように顔を何度か振ったときには、もとどおり自信満々のハオンの表情は戻っている。
考え込むように額を指でかきながら、ハオンは告げた。
「先生。このエドってひと、そうとうむごい死に方をしてますね。魂も、肉体も。霊界をただよう意思をつかまえるのに、ひと苦労しました」
「霊を降ろしていられるのは、約三分間が限度か……」
懐中時計のふたを手首の返しで閉じ、メネスはたずねた。
「もっと長く憑依させることは?」
「できなくもありませんぜ。ただしそれには、灰になる前の彼にかなり近い肉体と、おまけにその器は空じゃなきゃいけません。つまり彼の兄弟か親かの息の根をとめ、死体が新鮮なうちに素早く魂をつめこむ必要があります。そしたらあるいは、いまの制限時間よりずっと長く降霊させられるかも……公序良俗にうるさい先生や都が、そんなまねを許すかどうかは別としてですがね」
「空の体、な……マタドールの機体あたりが適切か?」
独白したメネスは、ハオンへちいさく手を振った。
「ありがとう、助かった。あとはぼくと彼女で話があるから、もう戻っていい。見せてもらったよ、本場の死霊術師の実技を。期末の成績表の評価を楽しみにしていたまえ」
「やったぜ♪」
うきうきスキップするハオンの姿が牢獄から消えたのを確認し、メネスは鉄格子にとりつくルリエへ視線を戻した。
「と、いうわけだ。図に乗るので直接本人には言わないが、ハオンくんは実のところ幾億年かに一度の天才でね。この方法は、あのナイアルラソテフさえ知らない。きみの愛しい彼を復活させる手段は、たしかにある」
へなへなと石畳にへたり込むと、ルリエは弱々しい声でたずねた。
「こんなウソかホントかわからない茶番劇を見せつけて、いったいあたしになにをお望み?」
たいまつの炎は、メネスの不敵な笑みをことさら悪魔じみたものにした。
「久灯瑠璃絵。きみを〝カラミティハニーズ〟の一員として迎えたい」
「!」
「報酬は、大いなるホーリーとやらにも約束できなかった彼の復活だ」
「あたしの参加を、いまのメンバーたちが許すかしら?」
「論より証拠さ。いまのチームでは、未来と互角に渡り合うにはまだ力不足だ。ぼくはきみのクトゥルフの力が、喉から手が出るほど欲しい。ちなみに失った信頼なら、ふたたび築き上げることができるぞ?」
鉄格子をつかむ繊手を小刻みに震わせるルリエへ、メネスはささやいた。
「救ってみたまえ。危機におちいった彼女たちを、そして世界を」
うなだれたルリエは、無表情で無言のままうずくまっている。
その場から身をひるがえしたメネスは、背中越しに言い残した。
「返事は急がない。楽しみに待ってるよ」
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