第四話「交錯」

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 夜空の月影になって、小枝にとまるフクロウはとぼけた鳴き声を歌っていた。  七十の歓喜の宮殿……  定刻になり、祝宴ははじまった。  宴の目的は、セレファイス生誕百五十周年祭の閉幕、戦争への勝利、そして幻夢境の平和を守った異世界の救世主たちへの感謝とねぎらいだ。  その最大の広間に敷かれたカーペットは、表面に足首が埋もれるほど手入れに余念がない。とっておきの燕尾服やイブニングドレスで着飾った多くの紳士淑女は、このときばかりは戦いを忘れて好き好きにざわめいている。  豪奢なシャンデリアの下で気品あふれる曲を演奏するのは、夜会服を着こなした都の楽器隊だ。その舞台には、決まった時間ごとに美しい天使の声をもつ歌手があがる。  会場の一角にもうけられたテーブルで魅惑的に輝くのは、都が粋を凝らして仕上げた料理の数々だった。海、山、空、畑等を問わず、あらゆる食材は厳選された最高級の逸品にほかならない。数えきれない種類の酒やソフトドリンクの並ぶコーナーには、プロのバーテンダーが複数名ついて来客の希望に丁寧かつ迅速に応じる。  会場内のとある三箇所には、とくに多くの人だかりができていた。  まずひとりめは、ホシカだ。  幻夢境の大手衣料専門店〝シャリエール〟から都がレンタルした豪奢な白のドレスと宝石につつまれ、あの不良少女はまさしく王姫に変身している。その美しく結い上げられた髪と化粧も、事前に王宮づきの美容師がほどこしたものだ。  だが、ホシカはどこまでいってもホシカだった。  物品をすべてどかしたテーブルの上に、ホシカは細い肘を置いている。腕相撲大会の待ち列には並ぶのは、きら星のごとき都のたくましい精鋭たちだ。参加料は一回につき金貨一枚でいい。  ルールはかんたんだ。ホシカに勝てば、貯まった金貨を総取りできる。だがどちらかと言えば、男たちのお目当てはこの美しい少女との握手らしい。 「うおら!」 「げェ!?」  このか細い体のどこに、こんな腕力が秘められているのだろう。つごう四十二人めの連勝に達し、ホシカのテーブルの金貨はまた山を高くした。  つぎに対戦の席についたのは、容姿端麗・高身長の引き締まった体つきの青年だ。高級なクロスの上で手と手を組み合わせると、ホシカはちいさく口笛を吹いた。 「こりゃまた、どえらいハンサムがきたな」 「騎士団の魔法剣士・アリソンと申します」 「ちょっと細いようだが、大丈夫か? へたしたらケガするぜ?」 「ご心配なさらず。ルールでは、呪力を使ってもいいそうですね?」 「おう。そっちが使えばあたしも使う。やるんだな?」 「ええ。遠慮はなしです」  円卓の中央、ふたりの拳に手を置いたのは、正装した車椅子のイングラムだ。握り合ってかすかに緊張するホシカとアリソンの手と手を止め、開始の合図をはなつ。 「レディー……ファイっ!」  唐突な突風が、あたりを吹き荒れた。おお、この日初めて、ホシカに瞬殺されずにアリソンは踏みとどまっているではないか。かすかに震える腕のむこうで、ホシカは苦しげな笑みを浮かべた。 「や、やるじゃねえか。あんたを後押しするこの妙な風は、呪力だな?」 「そ、そちらこそ。もう魔法少女の力は使ってますね?」 「いや、これからだ」  瞬間的に、ホシカの片目には呪力の五芒星が生じた。  轟音……テーブルをまっぷたつに割り、体ごとアリソンは倒れ伏している。  ホシカの勝ちだ。震える腕で身を起こし、絨毯に散らばった金貨の山に、アリソンは新たな金貨をそっと置いてつぶやいた。 「堪能しましたよ、幻夢境を救ったその力……大儲けですね?」 「たまったカネは、まとめてセレファイスの孤児院に寄付する。追加で寄付したくなったら、またいつでも挑戦しな」  感動に瞳をうるませると、アリソンはよく抑えのきいたハスキーな声で申し出た。 「落ちた金貨を拾い集めるのと、新たなテーブルの準備を手伝わせてください」  ひと仕事終えると、アリソンは水分補給のために会場のバーへ向かった。  そこにもまた大きな人の黒山ができている。その中心部にいるのは、これも優雅な漆黒のドレスをまとったミコだ。  なにかアリソンは、十数年越しの既視感(デジャヴ)を覚えた気がした。  その早飲み大会は、ミコが意図して始まったものではない。  多くの来賓がすすめる酒類を、見目麗しい少女は断りきれずに次々と飲む、飲む、飲みまくる。だが当然、機械である彼女は酔いを知らない。計五十六杯目のグラスを手渡された時点で、ミコは男性陣の真の狙いが、彼女の酔いどれた姿を見たいことにあると特定した。 「やむをえません。会を盛り上げ、皆さんの士気を高めるのもまた任務です。マタドールシステム・タイプS、基準演算機構(オペレーションクラスタ)擬人形式(ステルススタンス)からあたし酔人形式(よっちゃったスタンス)変更(シフト)します……痛飲開始(ミッションスタート)」  きゅうに頬を紅潮させると、ミコはあられもなくカウンターに突っ伏した。グラスを片手に、もつれた舌使いであたりの男たちにつぶやく。 「ひっく……飲みすぎはァ、みなしゃん、体に悪いッすよォ? だいじょ~ぶッスかァ?」  あの聡明な美少女がとうとう酔い潰れたと確信し、男たちは勝利にお互いの手と手を打ってガッツポーズした。ついでに、こそこそと声をひそめて内緒話をする。 「飲み過ぎで人事不省になったお嬢ちゃんの介抱をしないとな。よし、アンドリュー。おまえちょっと行って口説いてこい」 「えェ!? 俺がっすか!? エイベル団長こそ行ってくださいよ。あっちの腕相撲でもあっさりやられちゃったし、名誉挽回のチャンスですぜ?」 「この玉なし野郎が。いいだろう。リーダーじきじきにお手本を見せてやる」  前後不覚になったミコの席のとなりに、エイベルはおもむろに座った。きざっぽい顔つきでささやきかける。 「こんばんは(グッドイブニング)、ミコ」 「こんびゃんわ、エイびェル団長」 「戦場では世話になったな。いまひとりかい?」 「ひゃい」 「だいぶ酔ってるみたいじゃないか。ちょっと夜風にあたろうよ。人のこない絶景のテラスがあるんだ。よければ俺が案内しよう」 「ひゃい、ありがとうございましゅ」  エイベルが紳士の動きで差し出した手に、ミコの白手袋に包まれた氷細工のような掌はのった。ミコからは見えないように、エイベルはうしろで拍手するアンドリューにピースサインをしている。 「あッ!?」  あちらのダーツ会場で悲鳴があがるのと、ミコが跳ね起きるのは同時だった。コマ落としのようにかき消えたミコの手は、次の瞬間にはエイベルの後頭部へ現れている。その端正な指先に正確に挟まれるのは、あやまって飛んできたダーツの矢だ。  矢とミコの顔を交互に眺めて事態を知り、エイベルの顔は土気色に染まった。  顔と口調からあらゆる酔いを消し、文字通り機械的に結果を告げたのはミコだ。 「飛来物の防御に成功しました。損害評価報告(ダメージリポート)を、エイベル団長」 「あ、ああ、ありがとよ。俺は大丈夫だ」 「承知しました。ダーツ会場の三枚目と五枚目の防護壁の位置を、それぞれ右に八十四度角度調整することを推奨します。現状では、同様の事故でケガ人が発生する危険性は六十七%と推定されます」 「お、おう、わかった……」  手招きしたアンドリューとアリソンへ、エイベルは素早く耳打ちで指示した。部下ふたりは急いでダーツ会場へ向かっていく。  ふと気づいたときには、ミコはまた幸せそうに真っ赤な顔をしてカウンターに頭を寝かせていた。いろいろなものが完全に萎えてしまい、エイベルは大人しくちびちびとグラスの酒を飲んでいる。 「目ン玉をえぐり取られるかと思ったぜ……」 「ひっく。でェ、なんのお話でしたっけェ? エイびェルだ~んちょ♪」  ダーツ会場では、いったん遊戯は中断されていた。  安全用の防護壁が調整されるのを傍目に、しょげ返った溜息をついたのはメガネの少女だ。真紅のドレスを薔薇のように美麗に着用したその胸元には、やはりかわいい子イノシシのぬいぐるみが抱かれている。  壁にもたれかかって項垂れたまま、ナコトは後悔をこぼした。 「的を狙って撃つなんて、やっぱり向いてないんだ、わたしには。ずっこけたひょうしにあの矢、いったいどこに飛んでったんだろ?」 「お嬢さん?」  防護壁の角度を改善し終え、アリソンはナコトへ声をかけた。だが頭をかかえて懊悩するナコトの耳には、その色っぽい声音も届いていないらしい。 「心配だわ。不安だわ。おまけに恥ずかしい。ああ、どうしよう。カッコつけて、こんな慣れない高いハイヒールなんて履くんじゃなかった。わたしには平たい運動靴がお似合いよ。もう、追い出される前にさっさと会場から出よう……」  臆病げに独りごちるナコトを、アリソンはこんどこそ明瞭に呼んだ。 「ナコトさん」 「は、はい。ごめんなさい。すぐ出ていきますので……」  頭ひとつ高い場所で、アリソンは輝くような笑みをためて首を振った。 「会場管理のアリソンです。主賓に出ていかれてしまっては困ります」 「でも、わたし、ダーツの矢をへんなところに飛ばしてしまって……」 「矢なら問題ありません。だれもケガしていないことは確認済みです」  問題なく再開されたダーツ投げを、アリソンはそっと示した。 「まさか、苦手なんですか? あのイレク・ヴァド決戦での無双ぶりを見るに、あなたはとても優秀なスナイパーだと認識しておりますが?」 「わたし、その、ああいうとき以外ではダメなんです、はい。それはもう、からっきし」  じぶんの胸に慇懃に片手をそえると、アリソンは提案した。 「では不肖ながら、わたくしアリソンがダーツの手ほどきをして差し上げましょう。なあに、汚名返上は一秒で済みます。さ、ついてきて」 「え? え? えェ!?」  アリソンに手をひかれ、いつの間にかナコトはダーツ投げの足場に舞い戻っていた。 「失礼します、ナコト。姿勢を直すため、ちょっと触りますよ?」 「は、はい。どうも……」  ちょっと年上の、それも外国人で背の高い声まで極度の色男に、心優しく体の向きを正される。そんな夢見心地の状況(シチュエーション)に、ナコトの心臓は急に軽快なダンスを踊り始めた。アリソンと手を重ねてダーツの矢を握るナコトの顔は、もはや爆発寸前の惑星のように紅潮しきっている。 「そうそう、その意気です。そのまま肩と腕の強張りをといて、はい」  アリソンの手に導かれて投じられたダーツの先端は、そのまま的の中央に刺さり……  横合いから飛来した別の矢が、ナコトたちのダーツを弾き飛ばしたのはそのときだった。 「おっと、大当たり(ブルズアイ)だ」  となりの足場に立つ無粋な人物を、アリソンは横目にした。  どこの水商売の男だろうか?  こちらもひょろ長い体躯に、黒ずくめの背広をまとった青年だ。だらしなく着崩した襟元からは、日焼けしたかのように浅黒い素肌が顔や手まで続いている。男臭さと男前を絶妙にブレンドしたら、あるいはこんな容貌が出来上がるのかもしれない。  十字架の首飾りをにぶく光らせながら、若者は鼻にかかった渋い声で名乗った。 「フェデラル教会のナイだ」 「神父様でしたか……ダーツがお上手なようで?」  感心するばかりで、アリソンは気づかない。ナコトが足もとに置いたはずのイノシシのぬいぐるみが、いつの間にかきれいさっぱり消えていることに。  唐突にナコトの目つきが、別人のように鋭くなったことにも。  アリソンも驚愕したほどの低い声で、ナコトはナイ神父へ噛みついた。 「なぜ邪魔をする? ナイアルラソテフ? わたしには、ちょっとした色恋沙汰の権利もないのか?」 「俺はただ、おまえのかぶった化けの皮をはがしたくなっただけさ……勝負だ」 「わたしが勝ったら、いつもの姿に戻って大人しくしていろよ?」  妙に親しげなふたりの会話に、アリソンはきょとんとしている。 「アリソン、すこし待っていろ。一秒だ……」  アリソンの手をほどき、ナコトはダーツの矢の置き場に向かった。カゴの中に両手を突っ込み、ひといきに抜く。指と指の間に四本ずつ、両手で合計八本のダーツを挟んでいるではないか。針にきらめく左右の手を、ナコトは胸前でクロスして告げた。 「一秒で仕留める」  鋭い風鳴りをひいて、ナコトの両腕はひるがえった。そのときには、計五レーン用意された的の中央に、矢は狙いたがわず突き刺さっている。ナイ神父の投じた矢を正確に三箇所からとらえて防護壁に縫い止めたのは、あまった三本のダーツだ。  神がかった命中精度に、周囲からは自然に拍手の渦が巻き起こった。 「ちぇっ……酒でも飲んでくるか」  ポケットに手を突っ込むと、ナイ神父の姿は人混みにまじって消えた。
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