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ただ黙々と彼の指示をこなす日々。けれど与えられた仕事は期待された以上のものを返すよう努める。
彼の秘書は君島さんという年配の女性と私のふたりだった。君島さんは千葉重工業で彼の父の秘書も務めていたらしくベテラン中のベテランだ。
私も彼女から教えられたことは多い。社長は私の仕事ぶりに対し褒めたりはしないが文句もいわれない。それで十分だ。なにより異動の辞令は出なかった。
私たちの関係が微妙に変化したのは、彼の秘書をして半年が過ぎたある日、出先での仕事が押して社長と一緒に夕飯を共にする機会が初めて巡ってきたときだった。
ひとしきり仕事の話をした後、私たちのテーブルには妙な沈黙が走った。普段、私的な会話などほぼしたことがないのでしょうがない。
残念ながらこういうとき、盛り上がれるような話術を私は持ち合わせていなかった。仕事の延長と思ってアルコールも嗜まない。
そして珍しく彼が言葉を迷っているのが伝わってきて先手を打つ。
『無理に会話しなくてもかまいませんよ』
『無理はしていない』
即答され私はちらりと社長を見た。良くも悪くも彼とは生きてきた世界が違いすぎる。会話を楽しめる共通の話題があるとも思えない。
『……休みの日はなにをして過ごしているんだ?』
ところが社長の口から意外な質問が飛び出し私は目を見張った。すると彼はぶっきらぼうに言い放つ。
『自分の秘書のことを知りたいと思ってなにが悪い?』
仕事以外、社長は私に対しては無関心だと思っていたので正直驚いた。そう言われてしまっては答えないわけにはいかない。真面目に回答を考える。
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