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アパートの階段をゆっくり下っていくと、道路に黒い車が止まっているのが見えた。車の横には、大迫が手持ち無沙汰に立っている。
「大迫さん。おはようございます」
声をかけると、俺の姿に気づき、「おはようございます」と返してきた。その顔は、いつもよりも険しく見える。
「今日は僕のワガママのために、ありがとうございます。よろしくお願いします」
大迫に向かって、小さくお辞儀をする。
「いえいえ、そんな、全然構いません。それでは行きましょうか」
俺たちを乗せた車は、六車線の国道を進んでいく。道路は交通量が多く、大型のトラックが地鳴りのような音を立てて走っていた。
「本当に、行くんですか」
大迫が、弱々しい声を出す。その横顔にいつもの笑みはなく、曇った表情が浮かんでいる。
「はい。絶対に行きます」
「それは……」
しばらく間を置いて、「何のために?」と聞いてくる。
「行かなければ、前に進めない気がするんです。僕にとっては、避けて通れないことなんです」
そうですか。消え入りそうな声で彼が言う。
「まずは神園雄一さんのお墓に行きます」
「はい」
車の外の景色は、次第に建物が少なくなり、緑が増えてきた。お墓は街から離れた丘にあるらしい。
「ああ、あれですね」
百メートルほど先に、大きな看板があった。そこには墓園の名前が書いてある。
俺の頭にふと、あの事件の記憶がよぎる。
真っ暗な公園で、彼、雄一を殴り続ける俺は、憎しみに取り憑かれたように、その手を振り続けた。どれほどの時間が過ぎたか分からない。恭子に声をかけられて我に返った時、雄一はもう息をしていなかった。その顔は大きく腫れて、原型をとどめていなかった。自分の手が、一人の命を奪ったのだ。
その一連の光景が、頭の中でフラッシュバックする。急に、胃袋が掴まれるような気持ち悪さが込み上げる。
「すみません。止めてください」
俺の言葉に、大迫は血相を変え、慌てて車を路肩に停める。
俺は勢いよく車を飛び出し、倒れるようにしゃがみ込む。
「うっ、おええええ」
胃の中の物が吐き出され、道路脇の溝にぶちまけられる。吐き終わった後も、まだ胃袋が締め付けられるような感覚は消えなかった。俺は芋虫みたいに、その場にうずくまる。
「中山さん、大丈夫ですか」
いつの間にか、隣に大迫がいた。心配そうに俺の顔をのぞき込む。
「はい、大丈夫です。すみません」
「中山さん。もうやめましょう。中山さんの気持ちも分かりますが、これ以上は中山さんが壊れてしまいます。引き返しましょう」
俺は荒い息のまま、ゆっくり首を振る。
「俺は、行かないといけないんです。あの事件と、向き合わないといけないんです」
大迫は何か言おうとしたが、唇を噛み締め、小さくうなずいた。
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