雪あと、さくさく

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 保護ハウスには白衣を着たお父さんがいた。昨夜からほとんど寝ていないのか目の下に大きな隈を作り、シャツも靴下も昨日と同じままだ。腕にはくったりとしたシーズーを抱いている。  毛布にくるまれた犬はほんの少し口を開けて静かに眠っていた。もう息はしていない。  長い毛におおわれた目元をそっとなでた。まだ温もりがあって、いつもの朝みたいに散歩をせかしてくるような気さえする。 「お父さん、少し眠っておいでよ。診療が始まるまで少し時間があるでしょ?」 「ありがとう、映実(えいみ)」  疲れた様子のお父さんから毛布ごとシーズーを預かった。命が消えた体は不思議と軽い。  ここにいる犬や猫はみんな元患畜で、診療所に置き去りにされた子たちだ。次から次へと運ばれてくる怪我や病気を抱えた子たちを診療所で預かるには限界があって、獣医師のお父さんと相談した末、庭の一角に保護ハウスを建てた。ボランティアの人たちに助けられながら、私もできることはやろうと決めて三年になる。  健康になった子たちの多くは譲渡先の飼い主と共に新しい生活を始める。けれどどうしても引き取り手の見つからない子や、医療行為を継続しなければいけない子もいる。彼らの最期を見送るのも私の仕事のうちのひとつだった。  お父さんは無理をしなくていいと言う。毎日の散歩は私が望んでやっていることだし、できるなら最期は付き添ってあげたい。無理をしているつもりはない。けれど途方もないやるせなさを感じることはある。  飼い主に見捨てられ、最期を迎えたこの子たちのために私ができるのは涙を流すことだけ。ただそれだけのことが、硝子のかけらみたいに心の底に降り積もっていく。  シーズーを抱いたままぐずぐずと泣く私の頭をお父さんが撫でた。秋田犬のモチコがキューンと鳴いて体毛の長い顔を舐める。  垣根に植わっている淡い紅色の山茶花(さざんか)をいくつか摘んできて、お気に入りの毛布と一緒に箱に納めた。犬や猫たちが集まって箱の中をのぞく。もうここに命はないのに、みんなに囲まれていると笑っているみたいに見える。  窓の外は雪が降り続いていた。冷たい地面の下に埋めちゃうけどごめんね、と思いながら裏庭を見下ろす。今日はお父さんが看取ってくれたし、昨日は私が看取った。その前も、そのさらに前の日も、小さな命は毎日のようにあの淡い雪雲の上に旅立っていく。  私は彼らの命の終わりを見届ける。今日も、明日も、明後日も。お母さんが死んだときと同じ、死んじゃったらみんな土か空へ還るんだ。そう思うと、切なさと何もできない虚しさがすき間風みたいに胸の底を吹き抜けていった。
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