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♢道中
♢
女の指した路地裏のバーは駅から近く、暗く深い場所にあった。
チワワのように、俺の3歩後ろをヒョコヒョコと歩き続ける。
土地勘にも疎い俺は、複雑な曲がり角の多さに四苦八苦しながらも、
彼女のスマホに表示された地図を見つめながら歩くのがやっとであった。
女は一度も話しかけなかった。
ただ後ろから、懸命にゴロゴロとスーツケースを引く音だけが聞こえる。
その中には一体、何が入っていると言うのだろう。
想像していた以上に、ずっと大事に巻き込まれているのでは無いだろうか。
確かに俺は金欲しさで怪しいバイトに手を出したが、
その為に命を掛ける気は甚だなかった。
信号が赤になる。
立ち止まると、続けて彼女が真横に並んだ。
沈黙はとても気まずく、居心地の悪いものだった。
話しかけて良いものか分からぬまま、
ただただ車やバイクが横切るのを見つめていた。
「すみません、突然話しかけてしまって」
俺より年下であろう女はこちらを見つめると、礼儀正しい口調で尋ねた。
やはり場所を変えてやり取りするのは急遽のことだったようだ。
俺は「いや」と一言呟いて、それきりまた静かになった。
重たそうなスーツケースを持ってやろうとも思ったが、
大事そうに抱えているので声を掛けるのはやめた。
信号が青になる。
先に見える高架下を渡れば、目的地に着くはずだ。
「だけど、もしかして誰かと待ち合わせしてたんじゃないですか?」
彼女の言葉を深く考えることなく、また3歩前を歩き始めた。
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