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その時、脳内の変換を遮るように突如として甲高い音が店中に響いた。
音は同じトーンを反復し、脳内で鈍く響いている。
予期せぬ音に、思わず身体が飛び跳ねかけた。
女は突然怯えた顔をして、テーブルの下に潜り込んだ。
「あの、電話に出て貰っても良いですか?
一言も話さないでください。聞くだけで良いのでお願いします」
俺は既に電話どころでは無かったが、
彼女の緊迫した様子に言い返す勇気も無く、言われるがままカウンター裏に向かった。
ヴィンテージがかった古い黒電話だ。
店内の装飾に合わせて、わざと選んだようだった。
受話器を上げると、待っていたと言わんばかりに相手が話し掛けた。
「もしもし、私だ。櫻子か」
低く、しかし優しい男の声が電話口から聞こえた。
緊張で思わず唾を飲み込んだ。
「あまり長く話せないからよく聞いておくれ、17時にはそちらに着く。
それまでの辛抱だ。
絶対にスーツケースを離さないでくれ。
上手く隠れてくれよ」
まるで留守番電話を録音しているような調子で、
男は電話を切った。
この時点で俺が分かったことは幾つかあった。
女の名前が櫻子だということ。
スーツケースの中には、大切なものが入っているということ。
それからこの女は、俺が探している奴では無いことだ。
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