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♢スーツケースの女
♢
少し冷たい風につられ、クシャミを1つしたところで我に返った。
品の無い笑い声が、今でも脳内をフラッシュバックしている。
後悔が全身を包み込む。
俺は収入の高いバイトという名目で、案件を引き受けてしまったのだ。
紙袋の中身は頑なに教えて貰えなかったが、
それが即ち犯罪に直結することは、容易に想像できた。
紙袋を覗く。
中身も見えないように、新聞紙で何重にもぐるぐると巻かれている。
重さでいえば、銃か鈍器か。
そう思えば思うほどに、そうとしか思えないのであった。
薄らと寒く震えた身体とは対極に
不思議と止まらない額の汗を拭いながら、
不自然にならぬよう意識して老人を見つめ続けた。
先輩の言っていた合図が、この老人だった。
罪悪感とか背徳感とか、大きな感情が幾つもいっぺんに押し寄せる。
紙袋を持った手に力を入れて、老人の合図を待った。
慌てることなくゆっくりとコーヒーを飲む老人は、
ターゲットが来るのを待っていたのかもしれない。
電車が行ってしばらくすると人通りも少なくなり、
俺と老人以外、人は見当たらないでいた。
すっかり油断していた。
辺りに人は居ないし、唐突に合図がやってくるとは思っていなかったのだ。
待ちくたびれた俺は一度スマホを取り出して、
SNSの通知を確認したところだった。
今日になって先輩は、1度も連絡をくれなくなった。
あとは俺の裁量に任せているといったところだろう。
溜息をつきながら顔を見上げると、
老人は既に古びた折り畳み式の携帯電話を手に持っていた。
合図だ。
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