♢スーツケースの女

2/3
前へ
/40ページ
次へ
心の準備が足りなかった。 心臓が、大きく1つ飛び跳ねたのを自覚した。 その時はやってきたのだ。 しかし、肝心の相手は見当たらなかった。 それらしき相手は誰もいないというのに、 老人は携帯電話を耳にあてた。 ここまでの体感時間は、実に一瞬であった。 俺は目的の相手を探す為、大きく一歩踏み込んだ。 その時である。 「あのぉ、すみません」 突然後方から、可愛らしい声が聞こえた。 振り返ると、女がスマホを片手に、 もう片方にスーツケースを転がしながら近づいて来ているところだった。 スーツケースはかなり大きく、女自身が入っても不思議は無かった。 明らかに動揺してしまったのが、自分でも分かった。 女はあまりにも可愛かったのだ。 網目の大きな白いニットを着ていて、冬の始めにはぴったりなチェックのミニスカート。 おまけに茶色のロングブーツ。 犬みたいにクリクリとした瞳は、 その辺にいる若い女そのものであった。 想像していた強気の女とは、程遠い。 「道を聞きたいんですけど…」 俺は困惑した。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加