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第8話 暴かれた真実
勇也はあれから、少女を両親の元へ連れて行った。どうやら少女は両親にお手伝いのサプライズをしたかったようだ。本来なら微笑ましいことだが、今回はビーストにより彼女の両親は気が気ではなかった。
我が子を見つけた母親は一目散に少女に駆け寄り、力強く抱きしめた。感動の再会に勇也も敏久も心を打たれたが、空護のことで気が気でない2人は足早に鷲巣研究所に向かった。
「大神は命に別状はないそうだ。先に行ってこい。…積もる話もあるだろ」
敏久は研究所の受付で話をしたあと、勇也にそう告げた。
「積もる話…」
そういえば、と勇也は気が付いた。敏久はなぜすぐ、「研究所」に連絡したのだろう。普通なら病院に連絡するはずである。空護の姿を見れば、正しいのかもしれないが。少なくとも敏久は、空護のことを知っていたことになる。
「佐川班長は、何か知っているんですか?」
勇也の明るい瞳が、じっと敏久を見つめる。その瞳の純真さに敏久は、言葉を詰まらせる。
敏久は頭をガリガリとかき、大きく息をはいた。その眉間には深いしわが刻まれている。
「…まあ、いろいろとな。だが、まずは大神の話を聞いてからだ。ほらみろ」
そういうと敏久研究所の地図を指さした。
「この仮眠室にいるってよ」
広い研究所では、名前だけは使い道が分からないような部屋がたくさんある。その一角には休憩所のように、仮眠室が固まっている。その一番端の方に空護がいるそうだ。
「分かりました。行ってきます」
勇也は広く廊下を1人歩いた。茶色味がかったリノリウムの床が小気味いい音を立てる。
すれ違う人はまばらで、白衣をきたり、作業服を着ていたりしている。
勇也は空護がいるという、仮眠室の前にきた。大きく息をはく。勇也が入ろうとノックする前に、中から声が聞こえた。
「入れよ」
聞き慣れた、空護の声である。
「失礼します」
勇也は恐る恐る扉を開けた。部屋は白を中心にシンプルにまとめられ、大きな窓から日の光が差している。
ベッドの上で上体を起こした空護はいつものローブを羽織っておらず、黒く緩い部屋着を着ている。そして、普段隠されている素顔と耳は、惜しげもなくさらされていた。空護の耳はピンとまっすぐに立っており、ときおりピクリ動いている。
「…人が入ってくることはねえと思うが、カギはかけとけよ」
勇也は扉の鍵を閉めると、ベッドサイドにおいてある椅子に腰かけた。
2人の間に沈黙が訪れる。
勇也は、おぼろげな記憶を辿り、そして目の前の空護と比べ、確信した。
「先輩、どうして嘘をついたんですか?」
先に口を開いたのは勇也だった。
空護は、自分が仇だと言ったが、勇也の記憶がそれを否定する。少なくとも、毛色が全く異なっている。
きっぱりと言い放った勇也に、空護は眉をひそめる。
「別に、嘘じゃねえ。…正確とも言えねえが」
そして空護は大きく息をはき、遠くを見つめるような目をしていた。
「ちゃんと話してやるよ。お前には、知る権利があるからな」
とん、と軽い音を立て、空護は体をヘッドボードに預けた。
「といっても長くなる話じゃねえ。どういう経緯があったかは知らないが、オレの家族は、みな獣人だった。今のオレみたいに顔を隠して生きていた。ただ、…兄貴はオレ以上に獣性が強かった。尻尾があったり、爪が鋭かったり。…いつも明るい人だったんだけどな」
ゆっくりと過去をなぞりながら、ぽつり、ぽつりと、低くかすれた空護の声が部屋に落ちる。空護の耳はぺしゃりと力なく前に倒れ、空護の寂しさを表していた。
「そして突然、あの日が訪れた」
勇也はなんのことか言われなくたって分かった。鷲巣町を恐怖に陥れた連続通り魔事件だ。
「何かが、爆発したんだろうな。兄貴は人が変わったように、いや、獣みたいに、暴れ出した。オレも慌てて追いかけたけど、追いついたころには兄貴は血の海の真ん中にいた。当然だった。オレ達獣人は、一般人の何倍も身体能力が上だ。そこらの人間を殺すなんて、造作もねえ」
人では行えない所業、勇也はどこかのメディアが面白半分に書いた煽り文を思い出す。皮肉なことに、まさしくそれだった。
「俺が追いついたとき、そこにいたのは、いつもの兄貴だった。どうして正気に戻ったのか、理由は分からない。だが、兄貴の視線の先には、血生臭い中で穏やかに眠る、お前がいた。ずっとお前を見てた、いや見守ってたのかな。そしてハンターたちが来て、兄貴を殺した。兄貴は抵抗せずに、死んでいったよ」
空護の声はわずかに震えている。それなのに空護は、ぎこちなく口角を上げた。
「つまり、お前の仇はもうオレしかいないってことだ」
勇也は息を飲んだ。力強くにぎった両手の平に爪がささり、鈍く痛むが気にする余裕がなかった。
いつかの自分が吐いた言葉が、呪いのように追ってくる。
―――だって悔しいじゃないですか。死んだ人は帰ってこないのに、殺したやつの家族は生きているみたいなもんでしょ
この時の自分が間違っているとは、今でも思っていない。死んだ人は戻らない。勇也の家族は戻らない。
なのにどうして、その家族は生きている?
―――許せない
勇也の胸の中にめらりと復讐の業火が燃える。不可能とさえ思っていたことが、今目の前にある。
でも目の前の空護を見て、その炎はいぶっている。
勇也は空護の顔が見られなくなってうつむいた。
「今日の夜、あそこの窓を開けておく」
空護は、部屋の窓を指さした。
「チャンスをやれるのは今日だけだ。…好きにしろ」
そういうと空護は、のそりとベッドに潜り込み、勇也に背を向けた。
好きにしろ?何を?
――――命を
空護はあまりにあっけなく、自分の命を勇也に明け渡した。使わねえからやるよ、そんな声さえ聞こえそうなほど軽かった。
勇也は唇を震わせたが、声は出せなかった。自分の感情のなかに、憎悪と拍子抜けした感じが混ざるのは初めてのことだった。
ふらりふらりとしながら勇也は立ち上がり、部屋を出た。
カツンとなる自分の足音が耳障りだった。勇也がうつむきながら歩いていると、反対側から誰かが歩いてきた。
ふと顔を上げると、ガリガリとやせ細り、眼鏡に白衣といういかにも研究者という姿の男がいた。その男は勇也を見るとにやりと気味悪く笑った。
「やあ、初めまして。君が清水君ですね」
男はねっとりとした口調で勇也に話しかけた。男は勇也をじっとりと観察する。
「は、初めまして」
男の距離の近さに戸惑い、勇也は思わず後ずさりした。
「ああ、申し遅れました。私は飯田 龍介と申します。ここで研究員兼、大神の主治医、のようなものです。いやあ、私一度あなたとは会ってみたかったんですよ」
龍介はぐいぐいと勇也に近づく。勇也は急な展開についていけず、目をぱちぱちとさせた。
「えっと、オレのこと、知ってるんですか?」
「ええ、知ってますとも。斧のヴァルフェを使う、才能のある方だと。私、ヴァルフェの研究もしているんですよ」
「ヴァルフェの研究?」
「そうです。ビーストは日々より強く、よりたくましく進化している。よって人間は科学の力をもって対抗するしかないのです。人はそれを選んだのですから」
「えら、んだ?」
勇也は龍介の圧が強すぎて、オウム返しに言葉を発する。ただ、どこかひねった言い回しなのが気になった。
「ええ、そうです。おっと、少しはしゃぎすぎてしまいました。あまり構いすぎると拗ねてしまう子がいるので失礼しますね。では、また会いましょう」
そういうとすぐさま飯田は足早に歩きだした。勇也は嵐にでもあったような気がして茫然としていたが、敏久のことを思い出し玄関に向かった。
勇也が研究所の玄関に向かうと、敏久が外で電話しているのが見えた。静かに敏久の元へ向かうと、勇也に気が付いた敏久が空いている手を上げた。そして、電話を切った。
「おう、お帰り」
「ただいま、戻りました」
敏久の声が明るくて、勇也はここがホークギャザードであるかのような錯覚に陥る。
「まあ、まず乗れや。ここは人目が多すぎる」
「は、はい」
敏久に促され、勇也はエアカーに乗り込む。
敏久はエアカーを上空まで上げると、そこに停止させた。
「煙草、吸っていいか?」
「え、ええ」
そういうと敏久は電子煙草を取り出し、吸い始めた。さほど匂いのない水蒸気のような煙がふわりと上がる。
「で、どこまで聞いた?」
敏久は煙草の煙を吐き出すと、勇也の方をむいた。
「先輩が獣人で、先輩のお兄さんがオレの家族を殺したこと、です」
改めて口に出すと、事実が勇也の心に沁みつく。
空護は、勇也の仇の家族だ。多くの命を奪った獣人の家族だ。
もし、もしも、勇也が空護と会う前に、そのことを知っていたら、きっと迷わずその心臓を貫いただろう。
勇也の話を聞いて、敏久は呆れたようにため息をつき、頭をガリガリとかいた。
「そんなものだろうと思っちゃいたがよ。あいつはほんとにバカというか、不器用っつうか」
どうすっかねえ、あいつ怒りそうだなぁ、と敏久はぶつぶつぼやいた。
空護の悪い癖は、相手の思考から自分を抜くことだと敏久は思っている。自分がどうなろうとも相手に影響はないし、影響があって欲しくない、くらいは考えていそうだ。故に、良かれと思って自分を犠牲にしてしまう。
敏久が空護にしてやれることは少ない。それほどまでに、空護を囲っている檻は強固だし、空護自身もそこに固執するしかないことも知っている。でも―――
「あんまりにも、お前が報われねえだろうがよ」
敏久は腹をくくり、勇也にもう少し踏み込んだ真実を伝えることに決めた。
これを言うことは、空護の意思に反することと分かっている。
でも、空護は敏久の大事な部下だ。だから、もう少し息のしやすい世界へ背を押してやるのが、敏久の役目だ。
「清水、大神の言ってることは、事実だ。オレも、その場にいたからな。茫然と立ちつくす大神に、血の海で眠る小さなお前、そして返り血にまみれた大神の兄の死体。周りには当然死体の山。今でも、覚えてるよ」
地獄のような光景だった。一時期はずっと夢に見るくらいには。それほどまでにその場は血であふれ、死臭が充満していた。
敏久は再び煙草を吸った。
「ただ、この話には続きがあってな。両親を失ったお前を、鷲巣研究所が育てると言い始めた。なんでも、お前のマナの多さにほれ込んで、ハンターとして育てようとしたらしい。おれは止めたんだがな、あいつら国の研究所だから聞きやしねえ。権力があんだよ。もう殴り込みしかねえと思ったとたん、突然ぴたりと止めた。そしてお前はあれよあれよという間に、セーフゾーンで暮らすことになった。なんでか分かるか?」
勇也は首を傾げた。あのころは家族を失った悲しみで記憶があいまいだった。勇也本人も、気がつけば鶴秋市におり、何があったのかよく分かっていなかった。
「大神が研究所に自分を売ったんだ。細かいことは知らねえが、あいつは自分の体を担保にして、お前の生活を護った。お前は国から補助金が出たとか言っていたが、本来そんなものありゃしねえ。その金は、大神が作った金だ」
勇也は目を見開いた。
――――オレは今まで、先輩に護られていた、ということだろうか
勇也は長い間、穏やかな日々を続けていた、たった1人で。それは全て、空護によって作られていたというものなのだろうか。
「どうして、ですか?…どうして先輩は、そんなこと…」
罪滅ぼし、ということだろうか。自分の兄がしたことを、代わりに償おうとしているのだろうか?
「…オレは今日、確信したよ。お前はまだ分かんねえのか?」
敏久は試すような顔で勇也に尋ねた。
分からない、と口に出そうになったが寸で止めた。
それは本当か?勇也は自問自答する。
情報が多すぎる。余計なものが多すぎる。
多くが邪魔して、「大神空護」という男の本質が分からない。
きっとそれだけではない。勇也の復讐心が、真実を知ることを恐れている。
炎が消えることを恐れている。
思い悩んだ勇也をみて、敏久は再び煙草を吸った。
「人間っていうものは、言葉より行動に出るもんだ。言葉は繕える、いくらでも嘘をつける。でもな、行動ってのは誤魔化すのは難しい」
敏久は煙草をかたづけ、エアカーを動かし始めた。
敏久は、勇也が仇を取りたいと言った日から、否勇也がハンターになった日から、こんな日が来るとうすうす思っていた。
勇也は優しい男だ。空護のことを知れば必ず迷う。振り上げた刃の矛先が、分からなくなる。それでも勇也が、仇を討つというなら、きっとそれは勇也にとって正しいのだろう。
…二人にとって後悔のない結末になることを敏久は願った。
「オレに言えることはここまでだ。これからお前が、お前らがどうするかは、自分で決めろ」
ゆっくりとエアカーが走り出す。
鷲巣の景色がゆっくりと動き出した。勇也はぼんやりと眺める。
勇也は、両親のことを思い出す。多くの記憶はかすれてしまった。ただ家族というものは、ホットミルクのように温かくて甘くて、幸せだったことは覚えている。
それがもう手に入らないことも分かっている。分かっているからこそ、仇を取らなければ、失った怒りを、喪失感を、消化できないと思った。
でも、今の自分にそれが正しいのか分からなくなってしまった。
空護を殺した後、笑っている自分を勇也は描けなかった。
―――一体オレは、どうしたいんだろう
ガタリ、と思ったより大きい音たてて窓が開く。勇也は自分で開けたのにも関わらず驚き、肩がびくりと飛び上がった。
勇也はその日の夜に、こっそりと窓から空護の部屋に入り込んだ。
空護はベッドにあおむけに眠っていた。空護はまっすぐ耳を立て、瞼を閉じて静かに呼吸をしている。
勇也は立ったまま、月明かりに照らされた空護の顔を上から見下ろした。目鼻立ちがはっきりしており、涼やかな印象を受けるが、その頭から生える耳が可愛らしくアンバランスさを醸し出している。
勇也は空護の首に手をかけた。その首は温かくどくどくと脈を打ち、勇也に生きていることを伝えてくる。このまま首を締め付ければ、空護はさほど抵抗することなく死ぬのだろうな。勇也にはその未来が簡単に見えた。ただ、勇気の手はするりと空護の首から離れる。
「…なにしてんだよ」
空護はパチリと目を覚まし、体を起こした。耳は前に伏せられ、琥珀色の瞳が勇也を見ら見つけており、威嚇するかのようだ。
「…殺るならさっさとしろよ」
「殺しませんよ」
空護の言葉を、勇也は素早く否定した。
「…殺せませんよ、やっぱり」
勇也は泣きそうな顔で、下手くそに笑った。
殺せない、と思った。けして、復讐の火が消えたわけではない。失った家族を忘れたわけでもない。でも空護を殺すなんて、勇也にはできなかった。
平時の空護は勇也に横暴で、当たりが強くて、勇也のことを嫌っているような口ぶりだった。勇也もそんな空護を、好いてはいなかった。
でも、空護は自分を護ってくれた、それも命がけで。とっさに出来ることではない。
空護は、口では勇也を悪く言いながらも、ずっと大切にしてくれたのだと、気が付いた。そして、気が付いてしまえば、空護を殺すなんてこと、出来やしなかった。
「なんでだよ!お前は、仇討ちでハンターになったんじゃねえのか!」
勇也の言葉に、空護は激昂し、ベッドの上で勇也の胸倉をつかんだ。
「それは、確かです。かすかな記憶にすがって、おれはハンターになりました。…でも、おれは先輩を殺せません」
「なんだよ、それ!言っただろ、お前の仇はもう、オレしかいねえって!」
空護の悲痛な叫びが、部屋に響き渡る。その声は、泣いているかのように痛々しく、勇也の鼓膜をつんざいた。
空護は、怒りで勇也を揺さぶる。
「じゃあオレはどうすればいい?お前は、平穏に暮らしもしない!仇だというオレの命も取らない。…どうすればお前は幸せになってくれる?…オレは何をしてやれる?」
空護の声はだんだんとちいさくなり、最後には震えていた。勇也を睨むその瞳からは1粒の涙がぽろりとこぼれる。まるで迷子のような顔で空護は勇也を見上げた。
空護はあの事件の日、勇也に救われた。勇也には理解できないだろうが。
空護達兄弟は毎日、明日が来るとは思っていなかった。いつ死んでもおかしくない、そんな環境で生きてきた。暴走した自分の兄を見たとき、空護が最も恐れたのは、兄が死んでしまうことよりも、獣として死んでしまうことだった。自分の大好きな兄が、兄ではなく獣として死ぬことを恐れた。
そして、空護が最も恐れていた事態は、勇也によってなぜか回避された。そのとき、兄が何を思っていたのか分からない。でもそのときの兄の顔は、自分のよく知る顔、自分の全てを受け入れてくれるような、慈愛に溢れた、微笑んだ顔だった。
良かった、と空護は思った。ちゃんと兄は、兄のまま死ぬ。理性を失った獣ではなく、自分の大好きな兄として死ぬ。空護にとって兄を失うことは、半身がもがれるかのように、太陽を失うかのように、辛い。そんな中で、兄のまま死ぬということが、空護にとって一筋の救いだった。
そのときから空護は、勇也を大切にしようと思った。大事な兄貴を救ってくれた人。
そして、自分さえも救ってくれた人。
そのためなら、自分なんてどうだってよかった。今までの暮らしに、更に不自由が絡みつくだけだから。
勇也の隣にいたいわけではない。遠くの地でもいいから、平和に平穏に暮らして欲しかった。それが空護の狭い世界における「幸せ」だった。
だからハンターになった勇也をみて、空護は絶望した。ハンターだなんて、空護が勇也に最も就いて欲しくない職業だった。どうしてハンターに、と空護が考えて思い至ったのは「勇也が自分の兄の姿を見ていた」ということだった。獣人、本来ならば存在を疑われるその姿を、勇也は見た。人間ではないということを踏まえ、警察ではなくハンターになり、仇を討つ算段だろう、と予測した。であれば、空護は自分の命を差し出すしかなかった。仇はもう、この世にはいないから。
空護の読みは当たっていた。しかし勇也は、それさえもいらないという。平和な暮らしを捨て、仇を取りに来たというのに。
空護にはもう、勇也に何をしてあげられるのか、分からなかった。
「それならもう、オレは幸せですよ」
勇也は柔らかく微笑んだ。空護は勇也の言葉の意味が分からず、きょとんとしている。その表情はずいぶん幼い。
勇也はやっと、空護の本心に触れられた。態度や口の悪さという鎧を脱いだ、空護の柔らかな本心。
「オレね、ずっと1人だって思ってたんです。家族を失ったオレを癒してくれるのは、時間だけでした。でも今日、違うんだって思い知りました。だって、先輩はずっとオレの幸せを願ってくれたんですよね」
勇也は胸倉をつかんでいる空護の両手をやんわりと剥がし、その両手をぎゅうと握った。
自分の幸せを願ってくれる人がいる、家族といたころの勇也が当たり前に持っていたもの。それがどれだけ温かいか、失った今ならよく分かっている。
「先輩がオレの幸せを願ってくれる、それだけでオレは幸せですよ」
空護は勇也のセリフを聞いて顔を赤らめた。空護は自分の手から勇也の体温を感じる。
しかし、勇也の猛攻は止まらない。
「だから先輩、オレと一緒に生きてください」
まるでプロポーズのようだ、と空護は思った。空護は口をパクパクと動かし、しかし一つも言葉にならない。
勇也の弁護をするなら、けっして彼はプロポーズをしようと思ったのではない。簡単に命を差し出そうとする空護を止めたかっただけだ。自分の幸せを願うなら命を差し出すのではなく、一緒に生きて欲しいと、そう望んだ。
空護は自分を落ち着かせるために、大きく息を吐いた。
「オレは確かにお前に感謝している。お前のおかげで、兄貴はちゃんと兄貴として死んだ。でも、それ以上でもそれ以下でもねえよ」
空護の寿命は決まっている。それも長くない。
故に空護は、言外に勇也の申し出を断った。
そのことに気が付いた勇也はふてくされたように、その頬を膨らませた。
「そんなことより、お前の目標は叶ったんだ。ハンター辞めねえのか。このままだときっと後悔するぞ」
空護の琥珀色の瞳が、勇也をじっと見つめる。勇也は2,3度瞬きをしたあと、再びにっこりと輝くように笑った。
「後悔なんてきっと、どの道選んでもするんです。オレに出来るのは、この道は間違いじゃないと、歩き続けることですよ」
勇也は空護の手を離す。
「それにオレは、皆の笑顔を護るって決めたから。ハンターであり続けます」
意思の宿った茶色の瞳が、空護を射貫く。説得は難しそうだと空護はため息をついた。
「勝手に言ってろバアカ」
空護はもはや反射のように悪態をついた。
「あはは、やっといつもの先輩ですね」
空護の悪態はただのポーズだと分かり、勇也はさほど気にしなかった。その態度に空護は舌打ちする。
空護は立膝に疲れたのかペタリとベッドに座った。自然と空護が勇也を見上げるようになる。
「もういい。さっさと帰れ」
空護はすっと窓を見た。勇也は明日も仕事があるため、長居していられないことを思い出す。
「はい、そろそろ帰ります。先輩、今日は俺を助けてくれてありがとうございました」
勇也は空護に一礼し、まぶしく笑った。
空護は一瞬、目を奪われた。まるで、自分の兄に似た、太陽のような笑い方だったから。
「次はねえ」
見とれていたのをごまかすように、空護はばっさりと吐き捨て、ベッドに潜り込んだ。
勇也は寝る体勢に入った空護を背に、窓から出ていった。
なるべく音を立てないように、こっそりと研究所から離れる。勇也はなんとなく、空護が隠し事をしていることに気が付いていた。どう考えたって、ところどころで話の辻褄が合わない。でも、追求することは止めた。言いたくないことを無理矢理言わせたって、空護を傷つけるだけだ。
ちらりと研究所を振り返る。研究所は至って静かなままで、どうやら忍び込んだのはばれていないようだ。
勇也は夜空を見上げると、そこにはまあるい満月が輝いている。それを見て、勇也は空護の目を思い出した。琥珀色に輝く空護の瞳は、今までみた中で一番、美しかった。そこまで考えて、勇也は自分の思考に首をかしげる。
空護が、美しい…?
到底男に向ける感情ではないと勇也は思ったが、自分でもよく分からず思考を放棄した。
思えば、このときから始まっていたのかもしれないと、未来の勇也は気が付くのである。
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