序章

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序章

 〈其れ〉は、〈ソノモノ〉の転生を、術なくただ何度も見続けることを義務付けられた。    天文9年。  とある農村で生まれた男は、貧しさから、食べるために盗みを繰り返した。  その日、生きるため、いつものように鉈を片手に、食べ物を盗みに入った家で、若い母親と幼い娘と鉢合わせた。 「た、助けて!助けて!この子だけは、この子だけは!」 「おかぁ、おかぁ、怖い、怖い、」 「………」  助けを求め泣き叫ぶ母子を、男は表情を変えることなく、無慈悲に惨殺した。  たった一つの、返り血まみれの芋を握りしめ、男は夢中で走って逃げた。  しかし騒ぎを聞いた村の男衆に追われ、追いつかれ、男は農具で何度も殴られ川に捨てられた。      ※ ※ ※  溺れ死んだ男は、やがて〈其れ〉となり、色も喪い音も喪い死界をただたださ迷った。 《輪廻の輪に戻りたくば、魂の浄化を繰り返すより他に術なし。》  永遠に近い時間の中で、不意に遠くで何かにそう命ぜられる。 『うぅ、うぅ、』  〈其れ〉は是が非でも輪廻の輪に戻りたかったのか、声にならない呻き声を上げて何度も何度も頷いた。 《これは最初で最後の慈悲と知れ。》  手を差し出して与えられた〈ソノモノ〉は、〈其れ〉の手から溢れるように白い小さな魂となって地上に落とされた。  最初、〈ソノモノ〉の魂は小さな虫となった。  しかしすぐさま蛙に食べられ死んでしまう。  次に〈ソノモノ〉の魂は蛙になるためオタマジャクシとなった。  しかし足が生えたところで魚に食べられ死んでしまう。  次に〈ソノモノ〉の魂は魚となった。  しかし稚魚になるや大きな魚に食べられ死んでしまう。  さらに少し大きな魚となるが鳥に食べられ死に、鳥になるが獣に食べられ呆気なく死んだ。    そして何十回と短い周期で転生を繰り返し、やがて天保1年、〈ソノモノ〉の魂は初めて人間となるが、飢餓のために三つで死んでしまう。 『……なぜ、』  何度も何度も命を繰り返すのに、〈ソノモノ〉の魂が命の期限を全うすることは、一度たりとも叶わなかった。 『……なぜなんだ、』  〈其れ〉は辟易して、いつもよりぞんざいに魂を命の器に移し代えた。  その時、不意に何者かに肩を叩かれ笑われた。 『お前の生前の行いの全てが、〈ソノモノ〉の命の期限を短くしているのだ。責めるべきは〈ソノモノ〉ではなく、お前自身である。』  〈其れ〉は何の感情も抱かずにそれを聞き、気にする素振りも見せずに、諦めにも似た眼差しで〈ソノモノ〉の魂の行く末を見つめた。  すると〈ソノモノ〉の魂は猫に転生し、そして初めて生き物として成長して子を孕む。 (なんだ、やはり俺のせいでコイツの生が欠けていくわけではないではないか。)  〈其れ〉は安堵の息を吐きかけた。 『……なぜだ!』  しかし、〈ソノモノ〉は子を孕んだまま馬車に跳ねられ醜くバラバラになって死んでしまった。 『………』  〈其れ〉は初めて息を飲んだ。  この感情が絶望だと知ったのは、しばらく後のことである。
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