君を元気に 

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五年前。 大手出版社が主催した新設の文学賞で大賞を獲って会社員生活に終止符を打ち、念願の作家デビューという切望を果たしたあの日から、小説を書くことが苦しくなっていた。 好きなものを書いていいと言われ意気揚々と書き上げた次作の長編小説の単行本は全く売れず、書店の新刊書籍コーナーに山と積まれ、一段と高い山を築き上げていた。 本が売れない理由がわからなかった。 自書に対してどんな酷評を受けても主観的な見方しかできない。私は私の批評が出来ない。 売れない本を書く作家などいつまでも必要とされる訳は無い。窮地に立たされた私は三冊目を出すことを渋られながらも、書籍編集部で新人作家を育てるプロと噂の名高い柳田と言う男を紹介してもらい頭を下げた。そして、今、柳田の下で、彼の説くところの“世間が求めるキャッチャーな題材”を主軸にして書いている。しかし寝食を忘れ書き上げた原稿を昨日、また最初の数ページと最後の数ページを読んだだけで読むのを中断されてしまった。柳田は首を横に振り、口元をへの字に曲げた。 「登場人物にね、血が通ってないんだ。 だから全く感情移入出来ない。 これじゃ読者の心には何も残らない」 彼は捲し立てるように唾を飛ばしながらそう吐いて、 まだ温かい珈琲を一口だけ飲むと立ち上がった。 彼は一週間前に三十一を迎えた私と ちょうど二十、離れている。 くたびれたライトグレーのジャケットに色褪せた紺色のシャツ、たくさんの本の詰まった大ぶりのリュックを背負い、そこからまるで移動図書館のように本を数冊取り出すと、参考にするようにと前回借りた本の山の上に更に積み上げ、書斎兼事務所にしている私の部屋を出て行った。 デビュー当初は執筆を後回しにしてそれらを真面目に読破していた。今では冒頭の一文とラストの一文を読み、“読みました”といっては返却している。お返しだ。 悪い事とは思ってはいるが、遅筆な私が総てを読んでいたのでは、原稿締め切りに間に合いそうにない。おまけに最近はそのわずかな時間すら中断せざるを得ない理由が出来ていた。
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