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第一部 Ⅰ:遭難
Ⅰ:遭難
墜落してからの一週間、ふたりは一言も口をきかなかった。銀河はアリス3号に怒っていたし、アリス3号はしゃべることが何もなかった。それに、しゃべるとお腹がすく。体力の消耗を避けるため、ふたりは外の世界を調べに出ることもせず、ただ黙って一週間ふて寝し続けた。けれども、最後にアリス3号がくしゃみして、沈黙が破れた。
「お前のせいだぞ」
銀河がにらみつけた。
「失速なんて最低だ。もうちょっとで死ぬところだったじゃないか」
「ダッテ、アニキガソウジュウヲカワレッテイッタカラ」
「それがこの始末だ」
「ソウジュウノシカタナンテシラナイモノ」
「そこまでバカだとは思わなかったよ」
ふたりはもう長い間、二人乗りのひょっとこ丸で宇宙を旅してきたが、この一週間をのぞくと一日たりとも口げんかをしなかった日はない。
「サヨウナラ」
アリス3号は急に立ち上がって、船のハッチに歩み寄った。
「ジバクスル」
銀河はあわてて相手の短い腕をとらえて引き戻した。アリス3号は泣いている。
「ごめん、言い過ぎたよ」
銀河はちょっと反省して相手をなだめた。
「とにかく何とかしなくちゃ。このままだと二人とも飢え死にだよ」
やさしくされたのがうれしくて、アリス3号は目鼻のないガラスの顔を傾けた。すねても簡単に機嫌を直してくれる点だけはありがたい。
「ジャア、フネヲナオシテハヤクシュッパツダ」
「だから」銀河は忌々しげにかぶりを振った。
「ぼくに修理の知識のないことくらい知ってるじゃないか」
「オナカガスイテメガマワル」
「ぼくもだよ。おとといのくずパンでおしまいさ。もう何ひとつ残っちゃいない」
「ジャア、ショクリョウヲサガシニイカナクテハ」
「うん … お前は好き嫌いがないから、有機物さえ見つかれば多分、生き残れるよ」
「ワタシ、ヤサイモクダモノモダイスキナノ。ソレニオニクナラナンデモタベラレル。ヤモリダッテ、モグラダッテ、アシカダッテ、ソレニ … 」
アリス3号は銀河をジーッと見つめている。
銀河は宇宙服に身を包むと、見つけた食料を持って帰るための風呂敷をポケットにねじこんでロボットに命令した。
「お前、先に出ろ」
「イヤダ」
アリス3号は抵抗した。
「アニキガサキダ。シラナイホシダモノ。カイジュウガデテキタラドウスルノ」
「お前にはレーザー・ガンがあるじゃないか」
彼女は両腕に強力なビーム砲を具えている。
「ウツノガコワイモノ。ソレニ、キットアタッテモキカナイアイテダワ」
「弱虫!」
「フンダ、ジブンダッテコワインデショ」
旧式で性能が悪いだけならまだしも、十回に八回は口答えする。
「わかったよ」
銀河はあきらめて譲歩した。
「じゃあ一緒に並んで行こう。それなら怪獣が前から来ても後から来ても同じだろ?」
「ウン、ソレガイイ」
アリス3号はようやく納得して手をつないだ。つなぐというより、思い切り体を寄せてしがみついてくるので邪魔なことこの上ない。ふたりは並んで外へ出た。
荒涼とした星空が地表を被い、砂漠とクレーターの影だけがしじまの彼方へと落ち込んで行く薄闇の世界かと思っていたら、ふたりの前には、おとぎ話に出てきそうな林の小道が続いていた。
「アニキ、ヘルメットヲヌイデイイヨ」
急に勇気を取り戻したアリス3号が三本爪の手を銀河の腕から離した。
「ウチュウフクモイラナイワ」
素顔を出すと、なつかしいにおいの空気が銀河の鼻先をくすぐって来る。
「キオンニジュウド、キアツイチ、ジュウリョクイチ、ホウシャノウ、オヨビ、フシンウィルスノキケンナシ」
銀色のつなぎ服から脱皮して、銀河はお気に入りの魚釣りジャケットとハイカーズボンの姿に戻った。木漏れ日が柔らかい。
「良いぞ、これなら食べ物だってすぐ見つかるな」
けれど、そう喜んだのも束の間で、なだらかな上り坂をたどりながら、頭上の梢の所々に丸々と結ばれた色とりどりの木の実や、かぐわしい香りの熟れた果実を一つ一つ調べて行く毎に、アリス3号はこんな報告ばかり返して来た。
「テトロドトキシンガンユウ」
「ヒソケンシュツ」
「シアンカカリウムヲフクム」
のどかな見かけの景色とは裏腹に、この世界の植物たちは、みな敵意に満ちているらしい。
銀河は横目でアリス3号の様子を盗み見た。弱虫で生意気な奴だが根が無邪気で助かった。けんかして、もし、わざと偽せの報告をされたりしたらと思うとゾッとする。
「アッ!」
アリス3号が立ち止った。
見ると、すぐ先の茂みに小さな男の子が倒れている。
「ウチュウジンダ」
手と足が二本ずつ、頭も一つで、見かけは銀河と少しも変らない。顔も着ているものも土まみれで、目を閉じたままぐったり意識を失くしているようだった。
「オイ、シッカリシロ」
ふたりはしゃがみこんで男の子をなでたりさすったりしてみたがピクリとも動かない。
「ジュウショウダ」
「仕方がない。船まで連れて帰ろう」
「イイノ?」
「?」
「コノマエ、ワタシガトカゲノアカチャンヲヒロッテキタトキハ、スグステテコイッテオコッタカラ」
「あのトカゲは口から火を吐いてたじゃないか」
「コノコハハカナイカシラ?」
アリス3号は小首を傾げたが、同じ飼うならトカゲよりこちらの方が可愛くて好いかと考えて、自分の両腕に男の子の体をそっとすくい上げた。
ところが、まさにその時、アリス3号の目の前に、突然、それはおいしそうなおにぎりが一個、どこからか転がり出て来た。おにぎりはそのまま元気良く坂の小道を転げ上って逃げて行く。
「マテ!」
銀河が引き止める間もあらばこそ、アリス3号は男の子を抱いたままおにぎりを追いかけて駆け出した。銀河もあわてて後を追う。
しばらく走り続けて、彼女は遂に道端の木の根元におにぎりを追い詰めた。
「イイコネ、ジットシテイルノヨ」
アリス3号は隙をつくらないようにゆっくり間合いを詰めて、男の子を下に降ろすと、すばやく獲物に跳びついた。
「ツカマエタ」
少し遅れて追い付いた銀河は目を疑った。
アリス3号が、大木のかげに潜んでいた巨大な紫色の花のつるの触手に絡み捕られて、おにぎりを持ったまま短い手足をばたつかせているではないか。よく見るとおにぎりは長い長い糸のようなもので毒々しい花弁の真ん中につながっている雌しべのようだった。獲物をおびき寄せるためのおとりだったに違いない。
「タスケテ、タベラレル!」
アリス3号は必死でもがいたが、紫色の巨きな花びらが頭からすっぽりおおい被さって来る。銀河はとっさに彼女の手からおにぎりをもぎとって思い切りかみついた。口いっぱいに苦い緑色の液体があふれ出し、花は驚いてメシベを引っ込めると、アリス3号の頭を吐き出して林の奥へ逃げ去って行った。
銀河は大あわてで口から青汁を吐き出した。
「馬鹿! これが青酸カリだったらぼくは死んでたぞ! いつだってお前のせいでこんな目に …」
けれども怒り終えないうちに、銀河はアリス3号が愛らしい人間の少女の姿に変っていることに気がついた。
「… アリス、君って本当はそんなにきれいな女の子だったの …」
アリス3号はさっき人喰い花に襲われた瞬間と同じくらいゾッとした。
「ゲンカクダ」
分析してみると案の定、緑の液体には人間の精神に影響を与える成分が含まれている。
「ホレグスリダ。ホッテオコウ」
これでしばらくの間、アニキに叱られずに済む。何なら一生このままでいてくれてもかまわない。アリス3号は足元の男の子を抱き取って、とっとと歩き出した。
が、しばらく進んだ所で、はたと立ち止まる。ナビゲーションシステムの調子が変だ。故障したらしい。
「アニキ」
アリス3号は、片手で銀河の指先を引っ張ってみた。
「ドウシヨウ。マイゴニナッタ」
銀河は頬をちょっと赤らめた。
「照れるからもう少し離れていて」
まだバラ色の世界にいるらしい。仕方がない。ショックを与えなければ。アリス3号は、男の子を片腕に抱え直すと、空いている方の腕のレーザー砲を構えて、銀河の頭を撃ってみた。なるべく死なないように出力レベルは最小で。
「んっ !?」
銀河はキョトンとあたりを見回した。
アリス3号がそっぽの方角を見上げて口笛を吹いている。
「どうなったんだ?」
なぜか顔と頭がしびれている。
「ホウガクガワカラナクナッタ」
アリス3号はそれだけ報告して、目鼻のない上目づかいで相手の出方をうかがった。
「マダ、オコッテル?」
「怒る?」
銀河はやっと先ほどの怪物騒ぎを思い出した。そして、とてもやさしくうそぶいた。
「なぜ怒らなければならないのさ? たとえポンコツの馬鹿ロボットのおかげでぼくが毎日死に損ない続けているとしても」
「ゴメンナサイ」
アリス3号が急に素直になった。銀河は言い過ぎたことに気がついた。小さな子供と同じで、アリス3号にはひどく傷つきやすいところがある。たった今まで元気にしていても、強く皮肉や嫌味を言われるといきなり落ち込んでしまうくせがあるのだ。
「ワタシッテ、ホントニポンコツノヤクタタズダワ。ドウシテモットカシコクツクッテモラエナカッタノカシラ。オネガイダカラ、モウ、ワタシノタメニアブナイマネハシナイデネ。デモ、サッキハタスケテクレテアリガトウ」
銀河はさすがにそれ以上何も言えなくなった。ただ、彼女の言うように、アリス3号の製作者がなぜ彼女をこんな風に造ったのかと改めて不思議に思わずにはいられなかった。彼女は多くの点で確かに時代遅れに見える。他のロボットたちは皆、人間の姿をしているのに、彼女は大昔のおもちゃのような恰好をしている。今どきのロボットなら何億ケタもの複雑な計算を瞬時に解けるはずなのに、彼女は3ケタ以上の掛け算は積み算にしなければ答えられない。他のロボットたちにも感情はあるが、アリス3号のように逆らったり落ち込んだりはしない。それに、彼女は原子力チップやイオン電池ではなく、有機物を消化してエネルギーに変えて動く。だが、考えてみれば有機物を生体エネルギーに変えるにはイオンや原子力よりさらに高度な技術が必要な気もするし、逆らったり落ち込んだりするのにも、より複雑な感情回路が要るはずだ。クシャミをするロボットだって、宇宙中で彼女だけだろう。そんな余計なことにばかり技術を無駄遣いする者の気が知れなかった。
「もういいよ」
銀河はつぶやいた。何だか、少し心が痛む。
アリス3号のガラスの顔が急にテヘッと傾いた。しおれるのも突然なら、立ち直りの速さも呆れるばかりだ。
ふいに誰かの声がした。
「… ☠☣☯♬♑ …」
アリス3号の胸元で、男の子が身動きして目を開けた。
「☯☿!?」
この星の言葉だろう。意味はわからないが表情がひどく怯えているように見える。
「おい、わかるかい?」
銀河は試しに呼びかけてみたが通じるはずもない。それどころか、いきなりとんでもない悲鳴を発して死に物狂いで暴れだした。
「☠☢☣☤♑!!」
アリス3号が人間の少女だったら絶対に抱きとめていられないすさまじい勢いで手足をバタつかせ、所かまわずたたいたり爪を立てたり、かみつこうとしたりしてくる。
「アバレチャダメ!」
アリス3号は三本指のこぶしで男の子の頭を軽くこづいた。と、男の子はそれきり、元通り静かに動かなくなった。
「アレ?キゼツシタ」
銀河は青くなって、
「息はあるかい」と、確かめた。
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