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図書館で調べ物をし、午後の授業のために1号館の中を歩いているときだった。
前から、男が歩いてきた。
同学年ではなさそうだ。黒尽くしの服。圧がある。春だというのにニットキャップを被り、ご丁寧に手袋までしている。
ゆっくりと、気取られないように顔を見た瞬間に、ボクはさりげなく踵を返した。さっき、琥珀に掴まれたときに見た男だと直感した。
琥珀がどうしてその男をボクに紹介したいのかが皆目わからないけれども、面倒なことになりそうな予感しかしない。幸いなことに彼はボクに気がついていないようだ。
なんとなく背中に視線を感じる気もした。痛い。背中に視線が刺さるってこういうことをいうのか。あの圧で目の前に立たれたら、ビビり散らかしてしまうのは目に見えている。ボクは身長170センチもないし、体も貧弱だ。彼の存在感が重厚なプラチナだとしたら、ボクの存在感はたんぽぽの綿毛みたいなものだろう。
彼はまだボクを見ているのだろうか。背中には変わらずに気配を捉えてずきずきと痛みが走るほどだった。だから嫌なんだ、人と関わるのは。
「おい」
「ひ!」
不意に肩を叩かれ、ボクは文字通り飛び上がった。それと同時に変な声まで上げてしまった。
「これ、落としたぞ」
さっきの、圧100%の男がボクに掌を差し出した。その手にあったのはボクがいつも身につけている黒水晶……モリオンの十字架形のネックレスだった。
「あ、りがとうござい、ます」
初めて日本語をしゃべった宇宙人のように変な箇所で言葉をくぎりながらも、お礼を言えたボクを褒め称えたい。言葉を発すると同時に、ネックレスを奪うようにひったくれた行動力も。
「お前、黒水だろ」
「ひっ…」
顔がぐい、と近づいた。身長170センチに満たないボクを覗き込むように、大柄な男がかがむ。鋭い切れ長の目。目力が強すぎて直視ができない。薄い唇が歪む。
「なんだよ、怖いのか」
怖いです怖いです、お願いだから顔、近づけないで。ボクに触れないでください。
さながら肉食動物の歯牙にかかりそうな哀れな小動物のように、ボクはふるふると震えていた。すると、男の雰囲気がふっと和らいだ。
「おまえと同学年の琥珀から聞いたんだけどさ、サイコメトラーってマジか」
首を縦にも横に振り、これでは肯定も否定もできていないと気づく。しかし、そんなボクに構わず男は上着のポケットに手を入れた。
「オレ、獅童志っていうんだけどさ、お前に頼みたいことがあって。この指輪、ちょっと見てくれないか」
ボクの前に手を広げる、この男……獅童、さん。手がめちゃくちゃ大きい。ボクの顔くらい片手で掴めてしまいそうだ。手相、案外繊細だ……じゃなくて!
思わず目を奪われたのは、そのアンティークな作りと中央に鎮座しているロイヤルブルームーンストーンのてろん、とした美しさに因る。思わず伸ばした手を慌てて引っ込めた。だめだだめだ、触っちゃだめだ。
「どうだ。何か感じるか」
「何か、って」
「感じるかどうかを聞いてるんだよ。答えろ」
答えろ、なんて随分と横柄な奴だ。けど、顔を見ると眼光の鋭さに何も言えず黙ってしまう。
ボクはどうしようかときょろきょろと辺りを見回した。幸か不幸か、辺りには誰もいない。もうじき午後の授業が始まるからだろうか。
躊躇いながらもそっと、手を伸ばした。
淡いシラー。ミルキーホワイトの表面に、薄い青やすみれ色がある。決して派手ではないけれども神秘的で、引き込まれる。
震える指が指輪のアームを掴みそうになったときに、こめかみがちりっと痛んでボクは我に返った。こんな無防備に指輪に手を出して、もしも「引き込まれ」たらどうするんだ。
「わ、かんない、です」
ボクはゆっくりと手を引っ込めながら、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で言った。この人、琥珀からボクのことを、何をどう聞いたんだろうか。
「わかんねぇの」
「はい」
ち、と舌を打つ音が聞こえた。ボクは俯いたまま、目の前の指輪が大きな手のひらに包まれて下がるのを見ていた。
「邪魔したな」
頭の上から声が降ってくる。その低い声はかなり耳心地が良い、ということに今更ながらに気がつく。
顔を上げたときには、獅童さんはもうかなり遠くを歩いていて、けどその存在感は遠くても変わらずに、あった。
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