3. ムーンストーンの記憶

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「そんなこと言われても、前に触れたときはわからなかったって言ったじゃないですか」 「何度か挑戦してもらえないか」 「何度か、って」 「大学だと人が多いから、もしかして安心できないんじゃないかと思った」  ボクはぐっと言葉に詰まった。この人、案外勘がいいのかもしれない。 「オレはそっちの感覚は一切ないからてんでわからねぇ。けど、嫌いではないから多少知識はある」  獅童さんはちらりとボクを見た。まるでどう反応するか観察されているみたいで、ボクは癪に触って無表情を決め込んだ。 「人が多いところでは集中できないどころか、その場にいる連中の雑音が入る。ということは、静かな場所であれば感度が上がるはずだ。それに」  獅童さんはボクを見た。ボクも負けずに見返した……つもりだったが、彼の目力は強すぎる。まるで強力なビームに照射されているような気分で、ボクは慌てて目を逸らした。 「故人のエネルギーが残っている場所ならば、さらに感度は上がるはずだ」  獅童さんがすっと動く。ボクは反射的にびくんと震えた。 「そんなに驚くな。取って食うわけじゃない」  獅童さんはボクの隣に移動すると、例の指輪を目の前に掲げた。 「この部屋は、大叔母の気に入りの部屋だったらしい。日がな一日、このテーブルに宝石を並べ、手入れをしていたと叔父貴が言っていた。ここならきっと、指輪から何かを感じ取れるはずだ。やってくれないか。何も感じられないならそれでいいから」  獅童さんはボクの目の前に、さきほど拾ったボクの壊れたブレスレットの一粒を置いた。 「この指輪に触れてくれたら、何も感じられなくてもこれは返すから」  すっかり忘れていた。この場所は人気(ひとけ)がまったくないから、ボクの周りに押し寄せるものは何もなかった。  けど、明日はまた学校にいかなければならないし、それ以前に今日、家に帰るまでの間にがなければ、無事に帰れるどころか途中で倒れるのが関の山だ。  ブレスレットは十字架のネックレスとペアでボクを守ってくれる。片方だけじゃ、ボクは普通の人が普通に生活できることが何一つできなくなる。 「わ、かりました」  ボクは小さな声で言った。背に腹は変えられない。今は万事休すの事態で、この窮地を脱するには獅童さんの指輪を、読めなくても触れればいい。  獅童さんが、目の前に指輪を置いた。ボクはそれを凝視した。ああ、美しいムーンストーン 。キミには何の罪もない。ただ、美しくそこにあるだけだ。どうして人間は、そのシンプルな佇まいを複雑な環境に置いてしまうのだろう。  震える指でアームをつまむ。繊細な彫り。これはおそらく、百合を模したもの。開いた花の先端が石留めになっていて、そこに鎮座するムーンストーン 。  部屋は静かだった。獅童さんの呼吸音が規則正しく聞こえる。重厚な家具。美しい絨毯。クラシカルな猫足のソファとテーブル。大きな窓にかかる高そうなレースとゴブラン織の厚手のカーテン。  ぐるん、と床が回った。めまいか、と身構えるもからだはあっけなく崩れていく。ああ、石に飲まれるこの感覚。ボクは好きだ。こんなふうに石と一体化するのが好きだ。けど、それを自分に許したら、二度と人間として暮らしていけなくなりそうで、だからボクはあまり石に「潜り」たくないのだ。
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