亀田

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 (よし、いい感じだ) 最近とみに忙しく、猫の手も借りたいところだった私は、やっと来た即戦力にホッと胸を撫で下ろした。デザイン事務所というものは何しろ激務で夜も遅く、かといって給料がさほど良いわけでもないので、なかなか人がいつかない。だから「できる新人」は、本当に貴重でありがたい存在なのである。  そうこうするうちやがて昼休みの時間となり、私は亀田さんを誘って、会社近くの安くておいしいランチを出す行きつけの喫茶店に行った。 「とりあえずお疲れ様でした。ところで亀田さんは、ずっと鳥取なんですか?」 「いや、違うんですよ。じつはですね……」  亀田さんの、ウチに来るに至った経緯の話が、なかなかに衝撃的だった(履歴書に職歴もあったはずだが、私はあまりじっくり見ていなかった)。  実家は埼玉。東京の美大を卒業後はそのまま東京の映像製作会社に入社したが、昼も夜もない超絶多忙な生活で体を壊してしまい、1年経つかたたないかで辞めざるを得なかった。  大学では元々グラフィックデザインを専攻していたので、やはりグラフィックデザイナーでやっていこうとデザイン事務所に就職。しかしそこの上司とどうしてもソリが合わず、こちらも1年ほどで退社。  それから実家のある埼玉に戻り、地元の商店街にある小さな印刷会社で、スーパーのチラシなどのデザイン担当として働くことに。そこで事務をしていた奥さんと知り合い、結婚する運びとなる。 「まあ、生活も安定してましたし仕事もキツくないし。何より勝手知ったる地元ですから、共働きの妻と二人、そこそこ不自由のない暮らしではあったんですけどね、やっぱりつまらないんですよチラシだけじゃ。僕は美大出ですからね、もっとこう、クリエイティブなことがしたかったんです」  なるほど、東京の有名私立美大卒だからなあ。譲れないプライドもある事だろう。 「で、5年前の正月に伊勢神宮を参拝、まあこれは毎年恒例なんですけど、その時にね、おかげ横丁のお土産屋で、後ろの人にレジの順番を譲ったんですよ。こちらは急いでませんし、えらい混雑してましてねえ。そもそも伊勢神宮に初もうでなんて、人を見に行くようなもんですけどね、毎年やってることですから外せなくて。えっと、で、ですね、さっきの続き、その後ろに並んでいた中年男性とね、田丸さんて言うんですけど、出会ったわけですよ」  ……亀田さんはなかなかの話し好きと見える。話しだしたら止まらないタイプだな。 「そこから世間話なんかするうちになんだか意気投合しちゃいましてね、お互い奥さん連れだったんですけど、ちょっとお茶でもと」  亀田さんはそう言ってニッコリ笑った。相手もフレンドリーなタイプなんだろうが、亀田さんのさわやかスマイルにつられて、ということもあるんじゃないかな。 「会ったばかりなのに、なんだか初めての気がしなくて。とても気さくな人なんですよ」  
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