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序
それは、今や過去の話。
「オイロセ」
声を掛けられ振り向いた青年の、木の幹を思わせる褐色の面は、その半分が包帯で覆われていた。包帯が巻かれているのは顔面だけではない。彼は身体中至る所に怪我を負っていた。
その痛々しい姿に、声を掛けた女性は思わず眉を寄せた。
「可哀想なオイロセ」
女性は《火》の女神で、青年は《木》の精霊だった。同時に彼は女性の傍に仕える侍神――神の副官――であり、彼女の恋人でもあった。
木精は本来《木》の神である木神イスターシャに使えるものだが、彼を見初めた火神ペレナイカは自らの一存で彼を傍に置くことを決めてしまった。想い合う二人は束の間の幸福を得たが、当然彼女の本来の眷族である火精や火人族達は反発する。
結果、木精オイロセは彼等から制裁を受け、重傷を負ったのである。
そして、火神は加害者達に報復した。
「安心して。貴方を傷つけた者は、ちゃんと処分しておいたわ。もう二度と悪さを働くことはない。未来永劫ね」
オイロセはその言葉に無言で答えた。
火神の胸に言い知れぬ不安が過ぎる。
「ねえ、オイロセ。返事をして」
やはり返事はない。
「オイロセ!」
余所余所しいオイロセに焦りを抱き、火神は彼を抱き締めようと手を伸ばした。
しかし、伸ばした手は音を立てて振り払われる。
「俺に触るな!」
「……っ!」
火神は信じられないと言うような表情でオイロセを見た。それに対し、嘗て愛しあった筈の青年は憎悪の眼で女神を睨み返した。
「俺はもうあんたに関わり合いになりたくない! 顔も見たくない! 二度と近寄らないでくれ!」
「そんな、オイロセ……。怒らないで、オイロセ。私は……!」
溜め込んでいた思いを告げ、自分の前から立ち去ろうとするオイロセに、火神は追い縋る。
しかしそこで、彼女の身体は何者かに後ろから引き剥がされた。
振り向くと、そこにはよく見知った者達の姿があった。
「イスターシャ、リネルダス」
木神イスターシャと水神リネルダスである。
木神は火神の前面へ回り、眷族であるオイロセを背後に庇うと、悲しげな表情を浮かべて火神に言った。
「どうか理解してください、ペレナイカ。彼を本当に愛しているのならば」
「……私は――」
その後何を言ったのかは、彼女自身よく覚えていない。
◇◇◇
「夢……」
そう、これは過去の話。そして、悪夢だ。
「馬鹿。あんなに愛し合っていたのに」
豪奢な寝床の中で彼女は涙を流す。慰めてくれる者は、最早いない。
「こんな、簡単に壊れてしまうなんて思わなかった」
元より相性の悪い《火》と《木》。試練があることは覚悟していた。しかし――。
(私達の愛は、本物ではなかったということなのか!)
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