白い少女

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3  守野家の崩壊は、その後大きなニュースにはならなかった。邸宅が崩れた数時間後には、邸宅前には黒塗りのバンが何台も停まっていて、製薬会社の腕章をつけた社員たちが後片付けを始めていたからだ。社員たちは、重機まで動員して瓦礫の山を片づけた。そして数日後、邸宅のあった場所はただの更地となり、あの大きな門だけが残された。   この人里離れた邸宅は、どこの金持ちの別荘だと思われていたらしい。だから館建物が無くなっても、老朽化のため取り壊された位にしか思われてなかった。そして、この邸宅跡から大量の胎児の亡骸が見つかったというニュースは、とうとう聞くことはなかった。仮に誰かが証拠の隠蔽を図ったにしろ、肝心の章子やその家族の消息が分からない以上、これ詮索をすることは無意味だった。 自分としても、この出来事を外部に話す気はなかった。だから事件後しばらくは、自宅に引きこもって身を潜めていた。その間、章子の父親から受け取った例の資料や研究ファイルを読みふけっていたのだが、その中に興味深い箇所があった。白蟻の、仲間の死骸を残さず食べ尽くしてしまう習性についての記述である。もし、あの館全体が白蟻の塚だったとすれば、章子の産んだ赤ん坊の死骸は仲間たちが残さず食べてしまったと考えられたのだ。 邸宅からの脱出後しばらく放心状態だった木ノ崎も、数日間静養した後、すぐにまた大学に戻った。進級のために追試を受けねばならなかったのだ。木ノ崎は邸宅での出来事について語ることはなかったが、大学で会った際に、ポツリとこう漏らした。 「もう俺、女には興味もてないよ。」 それが、消えてしまった章子のことを言ってるのか、女王アリに精気を吸いつくされたことを言っているのかはわからなかったが、彼が以前のように女性に興味を持たなくなったのは確かだった。章子のあの強烈なフェロモンに晒された後では、人間の雌など、彼には取るに足らないものに感じるだろう。交わった男に不妊という副産物を与えるのは、女王アリとして己の種だけを残すための、戦略メカニズムなのだろうか。 「ねえ、木ノ崎くん見なかった?」 大学の食堂に早智子が現れ、そう言った。自分は骨付きチキンカツカレーの骨をあやうく噛みそうになった。 短大から駆けつけ、息を切らした早智子は黒いタイトなミニスカートを穿いたまま、高椅子に腰掛ける。スカートの中が見えやしないか、彼女は気にする素振りもない。ミニスカートに羽織の薄手のブラウス、露出が多い装いは木ノ崎の好みだった。彼とデートに行く約束でもしてるのだろうか。 「いや、見てないけど・・・・。」 「全然見当たらないんだけど、どこにいるか知らない?」 「いや、居場所には見当ないよ。」 「そう・・・。おとついから電話が繋がらないのよ。」 長い期間、放置されていたにもかかわらず、早智子は甲斐甲斐しく彼を慕っていた。自分が木ノ崎の居場所を知らないことがわかると、食堂から出て行った。 後ろ姿、彼女の臀部が黒いタイトなスカートの中で弾かれ揺れているのが見える。自分はそれをあの女王アリと対比させ、木ノ崎がもう戻らないことを予感した。  夕方、自分はあの山に行ってみることにした。 郊外の暗い山道を家の車で数時間走り続け、辿り着いた時には、辺りはすっかり真っ暗だった。山の頂に着くと、邸宅の大きな門も既に取り壊されていて、あたり一面更地になっていた。雑草が生い茂る中、邸宅の建っていた場所に歩いて向かう。辺り一面桜の花が満開だった。夜の闇の中、桜の花びらが風に舞って踊っている。 主を失った桜の花に季節外れの寒い風が容赦なく吹きつける。「売地」と書かれた立て看板が風に吹かれカラカラと音を立てた。 そうしてしばらく邸宅跡の桜を眺めていると、突然山頂から猛烈な突風が吹き始めた。森の中から、カサカサ、モゾモゾと大量の虫が蠢くような羽音が近づいてくるのが聞こえた。山の主たちが、古巣に舞い戻ってきた自分を迎えに使いを寄越したのだろう。自分は怖くなって一目散に車に戻ると、ハンドルを切り、急いで桜の花の舞うなか、逃げるように山をくだった。 〽かぁすぅみぃか くぅもぉか あさぁひぃに にぃおぉうぅ さぁくぅらぁ さぁくぅらぁ はぁなぁざぁかぁりぃ・・・・ 山頂から吹く強い風に混ざり、かすかに章子の歌声が聞こえた気がした。 その声に自分は章子の姿を思い出すと、彼女の人生がなんだか不憫に思えてならなかった。 車が山道のカーブを曲がるたびに、暗い森の藪から唸るように虫たちの羽音が大きく響いていた。自分は何度か車をぶつけそうになりながらも、命からがら山の麓まで戻って来れた。 いつしか強い風はやんで、辺りは静寂に包まれた。 車を停めて外に出、後ろの山を振り返る。はるか遠く、さっきまでいた山頂に、小さく見える桜の木が月の光に照らされ白く輝いていた。 白い女王蜂があの山に住んでたことを知る者は、自分以外もう誰もいなかった。 (村田基 作品 改題)        〈終わり〉
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