白い少女

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        1  大学の友人、木ノ崎が姿を見せなくなったのは秋の終わり頃だった。 いつもなら試験の準備のため、ノートを貸してくれとせがまれるのだが、今回は何も言ってこない。聞けば、夏の終わりくらいからあまり大学には姿を見せていないらしい。 彼はもともと学業よりもアルバイトや遊びなどに打ち込んでいる男だったので、そんなことは珍しくなかったが、今回みたく試験の準備すらせずにいることは彼らしくなかった。 木ノ崎はバイトに明け暮れてるが、とても計算高い男で、授業に出ずとも試験さえ受かれば通る単位を取っていたからだ。そのため、この時期になると彼はよく、まとめて講義のノートを借りにきていた。そして試験が終わると、お礼と称して居酒屋で奢ってくれるのが習わしだった。この前、夏の前期試験が終了した日、彼と居酒屋へ行ったときのことを思い出した。 「ったく、何時間待たせるんだよ、本当にいいかげんなやつだな。」 「いやあ、待たせてすまなかったな。」 時間にルーズな彼はこの日、大幅に遅刻してひょこひょこ現れた。悪びれる様子すらない。 狭い席に着くや、彼は話し始めた。 「俺さ、社会人たちの合コンパーティに参加したんだ」 彼は、そこである女性と親しくなり、その後何度か会ったらしい。 「同じ学生の女と付き合うのに、俺飽きてたんだ。その点大人の女はいいよ、飲食代もすべて向こうの奢りなんだぜ、会う度にプレゼントや小遣いまでくれてさ…」 木ノ崎はタレントのように整えた髪を、軽く撫でながら言った。 「でも昨晩、デートの帰りに告白されちゃって。参ったよ…もともとそんな気はなかったし、俺には彼女がいるだろ、それで断ったんだ。女が泣いちゃって、後が大変だったんだぜ」 悪びれる様子もなく、木ノ崎は笑いながらそう言った。そして横を通りかかった店員に、ビールを2つ注文する。  自分はぬるいビールを飲みながら、彼女がいるのに平気で他の女と遊びに行く彼を冷ややかな目で見つめた。入学以来、女性とあまり縁がなかった自分には、彼をやっかむ気持ちもあった。 自分が何も言わず黙っていると、木ノ崎は話題を変えた。 「そうそう!俺、最近あたらしいバイト始めたんだぜ。」 「ホストのバイトでも始めたのかよ」 自分はもう、まともに取り合わなかった。 「へへへ馬鹿言え、家庭教師だよ。」 彼が言う。 「家庭教師?」 自分は枝豆をつまみながら咽てしまった。 「ああ、楽な仕事だぜ。なにしろ中学生のお勉強だからな。」 「碌に大学の講義すら出てないお前に、人様の授業なんてつとまるのかよ。」 やけに塩辛い枝豆をビールで流し込み、自分は揶揄した。 「言うねぇ。でも、教育は知識じゃないんだぜ、大事なのはハートだよ。」 木ノ崎はニヤニヤしながら自分の胸を指す。 「ハートで試験が通れば誰も苦労しないよ。大丈夫なのかよ。」 自分はあきれて物が言えなかった。碌に授業にすらでていない女たらしの学生に、まともな家庭教師など務まる筈がない。 「これでもなかなか評判いいんだぜ、ハハハ。おい、そうやってチビチビとビール飲むのやめてくれよ、今日は俺のおごりなんだから。いい加減そのジョッキを空けてくれ、今度は何飲む?お、これ頼もうか。すみません、この『響』の特製ハイボール2つと・・・」 この日は謝礼日でお金の入った木ノ崎は、いつになく上機嫌だった。 なんでも家庭教師の授業には月数回だけ行けば良く、授業がないときも報酬はちゃんと支払われるらしい。そしてなにより彼が強調したのは、報酬の良さだった。依頼主はどこかの有名企業に勤めていた元社員の家庭のようだった。 「まぁ、ちょっと古風で変わった家だけどな。今時、山の中の大邸宅に住んでるんだぜ、駅から遠いし周りに何もない不便なところだよ。金持ちの考えることはよく分からんね。」 「そんな郊外にある家なのか。」 「ああ、郊外も郊外、もう伊豆の山ん中だよ。こんな山奥まで通うのは大変だろうからって、先方からこれを安く譲ってもらったんだ。」 そう言って彼は車のキーを出した。 「BMW。ひとつ前のグレードだけどね。明日これで大学行くから、帰りに乗せてやるよ。」 「その時計も、なんだか高そうなものだな。」 彼の、シャツを捲った腕にある外国製らしき時計を見つけて自分は言った。 「ああ、これも買ってもらったんだ。授業の時間に間に合うようにって」 「そんなもの買って貰うために、バイトを始めたのかよ。」 自分はいぶかしんだ。目の前にいるのは、ちょっと前まで家賃の支払いにすら窮してた男だ。 「まさか。食費と家賃を払うためさ。あと余ったら、いい服と靴でも買って、たまには高級フレンチでブルジョアデートと洒落込もうかな。この車や時計だって早智子がみたらびっくりするぜ、俺にとっては早智子とのデートへの余興みたいなものだよ。」 彼には短大生の早智子という彼女がいた。デートの度に、金のない彼に代わっていろいろ支払ってくれるらしい。こんな浮気性で貞操の緩い男と良く付き合うものだと感心する。しかし、世の中にはもてる男は存在する。彼は割とハンサムで女にも優しいため、何をしても許されるような雰囲気があった。 目の前で得意げに話す彼の話を聞きながら、結局自分も彼に対して小言の一つも言えなかった。  翌日、木ノ崎は約束通り大学に車で来ると、帰りに自分を乗せて郊外の山まで連れて行った。 彼の運転する車は、険しい山道を力強く駆け上がっていった。郊外を抜け、幾重にも縫うような山道を走り抜けると、突然目の前に大きな邸宅が現れた。周りを漆喰の黒門に囲まれていて、まるで城塞のようだ。 「どうだ、すごい屋敷だろ。」 車を止めると彼は建物を指さし、ここがアルバイト先の邸宅だと言った。車の中で煙草をふかすと、木ノ崎は雇い主について自慢げに話した。 なんでもここは、ある大企業を退職した元社員の家らしかった。その社員は研究者として成功したため、郊外のここに研究のための居を構え生活しているらしい。資産は見当つかないほどあって、夫婦と若い娘の3人でこの山の中でひっそり暮らしている様だった。 木ノ崎はこの家から、都合のつかない日の代役用に大学の知り合いを紹介してほしいと言われていた。その候補として家族に会わせるため、自分をここまで車に乗せてきたようだった。しかし、その話を聞いた自分は家庭教師の仕事もこの家にも興味がなかったので、それを断った。彼は残念がって引き留めたが、自分が早く車を出すように告げると、彼はしぶしぶ元の山道に車を向けると、山を下っていった。          
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