白い少女

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 枯葉の舞い散る中、そんなことを思い出しながら自分は山道を歩いていた。紅葉の時期はとっくに過ぎていて、木々はすっかり枯葉色に染まっている。息を切らせながら森の中を歩き続けると、やがて山頂に邸宅が見えてきた。さらに歩き続け、ようやく自分はあの邸宅まで辿り着いた。  邸宅は以前来た時と同じ佇まいだった、あらためて見ると広い屋敷だ。木ノ崎の話では昔あった山城跡に移築したとの事だった、どこか洋館の雰囲気も備えている。 門に掲げた木彫りの表札には『守野』とあり、周りは鬱蒼とした雑木林に囲まれていた。辺りの門の前にはオレンジ色の山百合が群生しいてる。 呼び鈴を押すと、年老いた使いが門の小窓を開けた。 「わたしは家庭教師の、木ノ崎琢磨くんの知人ですが。ここに彼がいると聞いて会いに来たんですが。」 そう告げると、しばらくして門が開いた。 使いの男は古ぼけた制服を着ていた。拳銃入れを腰に巻いていて一見警官のようにも見えるが、さすがに拳銃は持ってない。全身痩せ細り腰も曲がっていて、制帽からはみ出た白髪が無造作に伸びきっている。使いの男は陰気な顔で邸宅への入り口を指し示すと、あとは何も言わなかった。 門から屋敷の玄関まで石畳の道が続いていて、庭では使用人の男たちが薪を割ったり、草を刈ったり、様々な雑役をしていた。年を取った白髪の男ばかり目につく、どこか不思議な屋敷だ。 建物の入り口にたどり着くと、端正な着物を着た女性が玄関先に現れた。 突然やってきた自分に、女性は丁寧にお辞儀をした。 「木ノ崎さんのお知り合いの方だそうですね。どうぞお上がりになってください。」 女性は不自然なほどやさしく微笑むと、家のなかに入るよう促す。 「いえ、お邪魔する気はありません。ただ、彼の消息を確認しに来ただけですから」 さすがに遠慮したが、女性は言った。 「いま誰もいませんし、木ノ崎さんはもう家族みたいなものですから。さあさあ、ご遠慮なさらずに」 そう言われて自分は玄関で靴を脱ぐ、広い廊下が遥か向こうまで広がっていた。 「お車でおいでですか。裏手の駐車場、分かりましたか。」 使用人にスリッパを出させながら女性が尋ねる。 「いえ、箱根口から駿豆バスに乗りました。」 「まぁ、バス停から!山道が大変だったでしょう。お伝えいただければ、使いを寄越しましたのに。」 邸内の長い廊下を歩きながら丁寧な口調で女性は言った。 やがて廊下の先にある応接間に自分を通すと、女性はお茶をを持ってやってきた。自分は、木ノ崎の様子を見に来ただけだったので恐縮したが、母親は、こんな山奥まで来てつかれたでしょう、と言いながらお茶を煎れてくれた。それは台湾の凍頂烏龍茶みたいに黄色がかっており、味も癖が強かった。 「木ノ崎さんには、娘がよくしていただいて……娘の、章子(しょうこ)も先生の授業に喜んでいるんですよ。」 女性は笑ってそう話した。 「はい。」 自分は相槌を打った。 「章子の様子も、前よりとても良くなりました。以前は暗い部屋にひき籠り、鬱ぎ込んでることが多い子だったんですよ。」 「そうですか。」 「なにしろ遅くできた子で、兄妹もおらず学校にも行けない体なので・・。木ノ崎さんを毎日、先生、先生と慕っていて、もう章子にはなくてはならない存在ですのよ。」 母親はオホホと笑いながら臆面無く話した。 「木ノ崎は元気でやってますか。」 「元気も元気、さっきまで章子の勉強を見てくださってたから、いまは2階にいるんじゃないかしら。」 自分は邸宅の2階に案内された。古めかしい木製の階段が踏む度に軋んだ。廊下からいくつものドアが目に入る。母親はそのうちの一つをノックすると、静かにドアを開けた。 部屋はもともと洋室を改装して作ったのか、天井や窓枠などの調度品はまるで舶来の骨董のように凝っていた。窓には厚いカーテンがかかっており、中は薄暗い。ドアも敷かれた絨毯も外国風で、なんだか高そうな代物である。 しかし、部屋の隅だけは何故か畳敷きになっていて、そこには和風の衝立と布団が垣間見える。誰かが寝ているようだ。布団は長く敷かれ、隣の部屋まで続いていたが、衝立に阻まれその先の様子は分からなかった。長く敷かれた布団のシーツは丸で昔の平安貴族の長い衣裳のように伸びていて、一風変わった寝室だった。自分はそのアンバランスな部屋の様子に少々困惑した。木ノ崎はこの部屋にいるというのか。部屋の中は、畳の和風布団の一角以外、特に何も無くガランとしていた。 「どうぞこちらへ。章子、お客様ですよ」 後から部屋に入ってきた母親はお盆に何かをのせ運びながら、自分を部屋の畳敷きの一角に案内した。 「あの、寝てるんじゃないですか」 自分は深い絨毯を踏みしめながら近づくと、躊躇しながら布団の側で言った。 「いえ、起きてますの。章子は日の光が苦手なんで昼間はいつもこうなんですよ」 微笑みながら母親は言う。 「お客様?」 花柄の布団がもぞもぞ動くと、その端から、白い小さな顔が現れた。それがこの邸宅の娘だった。黒色の艶やかな髪をした色白の少女。自分はこの部屋の異様な雰囲気に、一体どんな相手が現れるかと身構えていたので、彼女を見て少し拍子抜けした。そこにいるのは、まだ子供と言ってもいいあどけない顔をした少女だったからだ。年の割には少し落ち着いていて大人びた雰囲気がある。 気のせいか頬が赤らんで上気してるように見えた。 「先生のお知り合いの方よ。章子、起き上がって挨拶なさい」 母親がそう言うと、少女はこっちを見て、上半身を起き上がらせようとした。 しかし一人では起き上がれないのか、少女は背中を母親に支えられながらなんとか半身だけを起き上がらせる。 「こんにちは」 少女はこっちを見てお辞儀をしながらそう言った。 視線を浴びた瞬間、自分の身体は一瞬びくっと痙攣した。脊柱から下半身にかけて電流が走ったような感覚があった。動悸が高まり体中が熱くなるのを感じる。 「先生には、お世話になっているんです。なんでも先生に教えてもらって」 照れるように言う。まだあどけなさが残る子供だった。 「自分は木ノ崎と同じ大学の知り合いです」 胸の鼓動を抑え、何とか平静を保ちながら自分は言った。 「先生とお友達なんですか?」 「まあそんなものです。彼も自分も同じ富山の出なんですよ」 「富山、どこ?北海道の近くかしら。」 艶やかな黒髪の下の整えられた眉毛と大きな瞳で興味を表わすと少女は笑った。やけに大人びた感じがする子だ、まだ中学生なのだろうが、口元の朱に彩られた唇が印象深い。色白のため、黒髪と朱の唇が一際際立つ。 「いやだわ、この子ったら。学校に行ってないものだから世の中のことは何も知らないんですよ。今度、木ノ崎先生に教えてもらいましょうね」 母親の言葉に、少女は頷いて笑った。 母親は布団の横に簡易型の小テーブルを広げると、そこにティーポッドを置いた。 「最近では、なかなか起き上がれないものだから、ここで章子に午後のお茶を取らせるんですよ」 そう言いながらテキパキとお茶の準備をする。二人分のティーカップにさっきと同じ黄色いお茶を注ぐと、母親は「木ノ崎先生も、すぐ戻りますからここでお待ちください」と言って部屋を出て行ってしまった。 初対面の少女と二人部屋に取り残され、自分は違和感とも警戒感ともつかない妙な感覚を覚えた。茶を飲んだらすぐにこの部屋からは失礼しよう。 「わたし、あまり外に出たことなくて。だから、この部屋で先生から教わることが世界の全てなんです」 少女は言った。 「失礼だけど、外に出たりすることはできないの?」 少女は静かに頷いた。 「小学校の2年生くらいまでは、みんなと同じように学校に通ってました、でもだんだんと外に出れなくなって・・・」 「それは寂しいね。早く良くなるといいね」 取ってつけたように自分は言う。 「わたし、体は悪くないんです。ただ、わたしの体質が、外の太陽や乾燥した外気に合わなくて・・」 「へえ、・・・」 自分はアルビノという奇病を思い出した。白子症、いわゆる先天性白皮症とか先天性色素欠乏症とかいう奴だ。生まれつきメラニンが欠乏している疾患で、太陽光や外気への耐性が極端にないと聞いたことがある。少女の肌がこんなに白いのもそのためだろう。しかし、それにしては髪や眉毛は真っ黒だし、瞳の色も普通のままだ、自分の知っているアルビノの症例とはだいぶ違う。 少女は少し黙ってから言った。 「学校に通えなくなってからもう何年にもなります。先生やお友達の顔ももう忘れてしまいました・・。でも、わたしが学校に行けなくなった最後の日に、お友達みんなでわたしにお別れの歌を歌ってくれたんです。いまでも、その時のことは覚えています」 そう言うと、少女は澄んだ声で「さくら さくら」を口ずさみ始めた。 〽さぁーくぅーらぁー  さぁーくぅーらぁー  のぉーやぁーまぁーもぉー  さぁーとぉーもぉー  みぃーわぁーたぁーすぅー  かぁーぎぃーりぃー  ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中学生の少女が拙い音調で「さくら さくら」を歌う姿は、どこか滑稽で切なかった。その歌を聞いて、自分は彼女の境遇を悟り悲しみを覚えた。歌が終わると、少女はこっちを見て恥ずかしそうに笑った。 自分は思わず言った。 「また、学校に行けるようになるといいね」 「でも今のわたしには、木ノ崎先生がいるから・・・」 少女は照れるように言った。 「ところで、当の木ノ崎はどこにいるのかな、知ってる?」 自分は部屋を見まわして言う。 「先生は授業が終わったので、部屋を出て行ってしまわれました。隣の寝室にいるんじゃないかしら」 部屋のドアを指して少女は言った。 寝室だって・・?木ノ崎はやはりここに住んでいるのか。泊まり込みをする家庭教師なんて聞いたことなかった。なにやら嫌な予感がする。 「ちょっと彼に会ってきます。お茶、ごちそうさま」 自分はティーカップを小テーブルに置くと少女に告げた。 「そうですか、今度また木ノ崎先生のお話を聞かせてくださいね」 少女はティーカップを手にしながら軽くお辞儀をする。テーブルが遠いのかお茶カップを胸元に持ったままだ。 「それ飲まないなら、テーブルにもどそうか?」  体の不自由な少女に気を遣い、自分は尋ねる。 「ありがとう。・・いいですか?」 遠慮がちにぎこちなく少女は言った、心なしか少し疲れているように見える。 自分はカップを受け取るとテーブルの上に置いた。 「少し・・疲れちゃった」 そう言うと少女は、起き上がった上半身を元の布団の中へ戻そうとした。しかし足元が詰まっているのか、なかなかうまく戻れない。それを見て、自分は思わず手を差し伸べた。 「だいじょうぶ?ゆっくりでいいからね」 自分は、さっき母親がしていたように少女の背中を支えると、彼女が布団の中に体を仰向けにもどすのを手伝った。 そのとき支えている自分の手に、彼女の背中から何かひんやりとした熱気が伝わって来るのが分かった。それは腕を通じて瞬く間に体中に伝わる。自分は急激に動悸が高まり体中が熱くなるのを感じた。彼女が布団の上に仰向けに戻ると、自分はあわててその手を離した。彼女の黒髪に微かに体が触れる。その感触は絹糸で出来た繊毛のように繊細なものだった。 「ありがとう・・」 仰向けに戻った彼女は、布団の上で自分を見上げながら静かに言った。自分は身を起こそうとして、彼女に覆いかぶさった姿勢のまま動けなくなった。彼女の艶かしい声と吐息、挿すような視線が自分の行動を阻む。目を背けようにも目の前、寝巻の少し開けた胸元からは彼女の白く透き通った肌が露出しているのが見える。 部屋の薄暗い光に、彼女の肌の白さが蛍光色のように輝いている。白い肌の艶めかしさに自分は気が遠くなった。彼女の身体から、目に見えぬ熱気が上がっていた。嗅いだことのない何とも言えない甘い香りが自分の鼻腔に入ってくるのが分かった。ますます動悸が激しくなり欲求を抑えられなくなった。いつしか自分の股間は膨張していて、彼女は自分をうるんだ瞳でずっと見つめ続けている。 「先生の・・・おともだち・・・・」 彼女は自分の顔に触れようと白い手をこっちに伸ばしてきた。まるで雌カマキリに捕食される雄カマキリが感じるような恍惚感・・・。 自分は愉悦のなかで得体のしれない恐怖を感じて、なんとか体を動かすと逃げるように彼女から離れた。あやうく彼女に抱きつくところだった。 そして、暗い部屋に彼女を残して足早にドアに向かうと、自分は逃げるようにその場を去った。
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