白い少女

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話がすむと木ノ崎がいる2階の部屋に向かった。 木製の階段を勢いよく駆け上がると章子の部屋の前についた。 黄色いお茶をがぶ飲みした自分は、部屋の外に父親を待機させたまま部屋に躍り込んだ。 「おい!」 自分は木ノ崎の姿を部屋の中に確認すると大声で叫んだ。 そこには、以前よりやつれた木ノ崎の姿があった。洗濯していない汚れたシャツ姿のまま、髪は伸び放題、髭も剃っていない。目は虚ろで焦点は合っていない完全に精気を抜かれた状態だ。 「木ノ崎、どうして家に帰らなかったんだよ。家から捜索願が出てるかもしれないぞ」 彼の肩をつかむと自分は言った。 「章子が・・・離してくれないんだ」 泣きそうな顔で木ノ下崎は言う。 「逃げればいいだろ、鍵をかけられて監禁されてるわけでもないし」 木ノ崎は首を振って言った。 「違うんだ。章子が、とても苦しそうで。俺は彼女を見捨てて逃げることなんてできない」 彼は目が虚ろのまま、しきりに部屋の襖の向こうを心配している。部屋の奥には、前回はなかった襖の仕切りがあった。章子のいる布団の方角だ。気づくと部屋の間取りがこの前とかなり変わっている。部屋全体が大きく改装されており、襖の仕切りが壁一面に巡らされていた。章子の布団はなぜか腰から下の部分が隣の部屋に襖で仕切られている、上半身だけがこの部屋に残されている状態だった。襖の向こうの仕切られた空間に何かあるのだろう。襖は閉まっているため、中の様子はよくわからない。  よろよろの木ノ崎と共に布団の上の章子の近くに寄る。 布団の上では、息も絶え絶えに変わり果てた姿の章子が横たわていた。 「もう何日もこんな状態で・・・章子を助けてくれ、頼むよ」 章子はハアハア荒い息を繰り返していた。熱に魘されているようで、頬は火照っている、白い顔から首筋にかけていく筋もの汗がしたたり落ちていた。その度毎に木ノ崎は冷やしたタオルで汗を拭きとるが効果はなかった。汗からは何とも言えない甘美な芳香がする。頭がまたこの前と同じようにくらくらし始める。  自分が布団のすぐそばに座ると、章子はそれに気付いて目を開けた。あの黒い綺麗な瞳でこっちを見る。 「・・・・・・先生のお友達・・」 「体はの具合はどう?」 「・・・体がずっと熱くて・・・・」 「何か食べたいものとかない」 「・・もう・・何も食べられないんです・・・」 「・・」 自分は久しぶりに会った章子の妖艶な姿に心奪われた。彼女は半年前に比べ随分大人びた気がする。趣が、もう少女のそれではなく淑女のそれに近い。少女性と母性を兼ね揃えた存在、その前では有無を言わせず全てを委ねたい衝動に駆られる。と同時に章子に対して自分のなかの性的本能が目覚めるのを感じた。彼女を大切にしたいと思いながらも破壊衝動に駈られる、あの男に特有な性衝動に襲われた時の感覚。 体中に熱が起こり、自分は性的興奮を覚え始めた。彼女と近くで少し話しただけなのに・・お茶の効き目はまだまだ足りないらしい。 木ノ崎は、生気のない顔で章子の世話を続けている。 章子の汗はひどくなる一方で、寝巻も汗を吸い始めている。 「木ノ崎!彼女、医者に連れていこう!」 自分がそう聞くと、木ノ崎は言った。 「その前に着替えさせないと・・一緒に汗を拭きとってもらえないか・・」 木ノ崎は真新しいタオルを枕元の洗面桶の氷水にひたすと、絞ったそれを自分にも渡す。自分はそれで章子の寝巻を捲りあげ、胸元を拭き始めた。白い肌が、玉のように浮かんだ汗を弾いていて、見ただけで若い肌の弾力と温かさが想像できる。汗からは何とも言えない甘い香りが湧き上がってくる。ひどい痛みのため章子は喘ぎ、何度も体をびくんと痙攣させた。そのたびに小ぶりで形のいい胸が、自分の目の前で跳ね上がる。彼女の苦悶に眉を顰める表情は妖美なもので、自分は理性が無くなりつつあった。このままずっと章子の近くで過ごせたら・・・と思い始める。この苦悶に喘ぐ彼女と共に毎日過ごせたら、どんな官能を感じることが出来るだろう・・・そんな考えが頭に浮かんできた。しかし、自分はさっき章子の父親から聞いた白蟻の話を無理やり思い出し、理性をなんとかつなぎとめていた。 苦痛のため、章子が声をあげた。 「章子」 「せ、先生、苦しいよ、苦しい!」 「章子!だいじょうぶか?」 「痛いっ、痛! 先生ぇ……たす・け・・て・・」 「章子、章子!」 いままでになく顔を歪ませ苦しむ章子。その苦悶の声に自分は理性を取り戻し愚かな劣情を振り払うことが出来た。 木ノ崎は章子の小さな白い手を握りしめ、ずっと彼女を励ましているが、彼女の痛みは増す一方のようだった。 父親から章子の正体について聞いた自分だったが、目の前布団の中で藻掻き苦しんでいるのは、年端のいかぬ少女だった。彼女に罪はない。彼女の体内に残る何十万という女王アリの怨念、フェロモンが人を狂わせたのだ。そう思い、彼女に同情を禁じえなかった。 「木ノ崎!ここの父親は製薬会社の人間なんだろ、痛みを緩和する薬くらいないのか。」 章子の苦しむ様子を見かねて、自分は木ノ崎に問う。 「どうしょうもないらしい。もう成す術は無いと言われた・・・」 「そんなバカな。自分の子供がこんなに苦しんでいるのに、なんで親が手を拱いて見てるんだよ。父親は部屋のすぐ外にいるから、せめて痛みを寛解する方法は無いのか、ちょっと聞いてくるよ。」 こんな状況に至っても、この部屋に木ノ崎たちを放置している親たちの無責任ぶりに気付き自分は思わず語気が強くなった。 そして父親を呼びに部屋を出ようとした瞬間、バリバリバリ、凄い音と同時に部屋を二分していた襖が一斉に倒れる。見ると隣の部屋から襖を薙ぎ倒し、巨大な太い白蛇がうねりながらこちらに来るのが見えた。 「木ノ崎、逃げろ!」 自分は木ノ崎に声をかけ章子の側から無理やり離れさせると、そのまま一緒に部屋の出口に向かった。 白蛇は部屋中の物を薙ぎ倒しながら、迫ってくる。間一髪で部屋から出ると、自分は振り向いて部屋の様子をうかがった。部屋全体に白く太い物体が溢れつつあった。横にいる木ノ崎はすでに廃人のようだった。白い物体は幾重にも重なりあい、部屋全体に艶やかな白い壁を作っている。よく見ると、それは脈をうち何かを内包している。透明な薄い粘膜に包まれた楕円の無数の球……それが太い白蛇の体内をいったり来たりしている。それをしばらく見ている内、不思議な衝動に囚われた。この艶やかな巨大な白蛇の中に身を投じたらどんな快楽があるだろうか‥その衝動が自分を部屋に突き動かした。意識が遠のいていく……。 そして、白い壁にみたされた部屋に踏み出そうとした瞬間。 「やめなさい!」 後ろから肩を掴まれ自分は正気に戻った。それは章子の父親だった。 「章子はもう助かりません」 そう言って父親は自分たちを部屋から押し戻すと、放心したままの木ノ崎を連れて階段に向かった。邸宅全体にミシミシと不気味な振動が響きわたる。 「もう助かりません、助かりません。」 階段を降りながら、父親は何度も呟いた。 一階に着くと、父親に誘導されて応接室の横の部屋に入った。そこは広い饗宴会場だった。 「とりあえずここに避難を。この部屋はコンクリで出来てて特別頑丈なので大丈夫なはずでー」 ドスン! その時、天井から大きなシャンデリアが落ちてくると、勢いよく目の前の父親の頭を直撃した。父親は一瞬よろめくと、頭部から勢いよく血を吹き出し、その場に倒れこんた。さらにその上に、天井からバラバラと天蓋の破片や材木が落ちてきて、父親の姿は瓦礫の山で見えなくなった。 自分は手を振りかざして瓦礫を払い除けようとしたが、落ちてきた天井の破片や材木から父親を助け出すことが出来なかった。そして天井が崩落すると同時に、部屋の四面でも壁の化粧板や窓ガラスが割れ、破片が砕け散った。部屋中埃が立ち込め暗くなる。この邸宅全体が、もう壊滅の時を迎えたようだった。 天井が完全に抜け落ちた後、上からずるずるずるとあの巨大な白蛇が這い出し、姿を現した。白蛇と共に大量の濁った白い水が上から流れ落ち、床に水が溢れる。白蛇の表面の皮は所々に穴が開いて、ずた袋のように張りがなかった。そしてその穴からは何かがゴロゴロと出てくる。思わず踏みそうになって足元を見ると、それはさなぎの姿をした赤ん坊であった。床にはそんな姿の胎児が無数転がっていて、それに混じって蛹のような物も見られる。 自分は理解した、この白い蛇は章子の腹部だ。部屋に現れた太い白蛇。ここまで追い回されたと思っていたものは、妊娠して伸びきって邸宅中に充満した章子の腹部だったのだ。腹の中にこんなに無数の胎児を抱え、章子はあんなに苦しんでいたのだ。それを見た木ノ崎は、発狂したように何度も章子の名を呼び続けていた。 自分は木ノ崎と共に、床の上の胎児たちを避けながら崩れかかった部屋を出た。天井が壊れた際に章子の腹にも傷がついたのか、白く伸びきった章子の腹はもう動かなかった。薄暗い廊下に出ると、壁も天井も全て崩れていて歩くことは容易ではなかった。その瓦礫と埃の舞う暗闇の中、遠くに光明をあることを見つけ、自分たちはそこからなんとか外に出ることが出来た。 外に出ると、洋館はほぼ潰れていた。
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