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「梓雪。明日、デイキャンプ行こう」
「…え、なんて言った?」
「だから、キャンプ」
俺の腕の中で、見上げる姿勢のまま紬が伝えてきた言葉を聞き返す。インドア大好きな干物女には全く似合わない単語に顔が固まった。
「近場にね、割と日帰りでキャンプ出来るスポットがあって、朝早く出発すれば十分楽しめそうだし、」
「…なんで、突然?」
「……本当は今日、梓雪アウトドア好きだし、おもてなしするつもりだったけど、それも私が駄目にしたし…」
それは本当に気にしてないと言っても、自分の罪悪感はなかなか拭えないのだろう。表情が曇ってそのまま視線も下がってしまいそうな紬を阻止するように唇に熱を落とす。綺麗にカールした長くて濃い睫毛に縁取られた瞳が少しだけ熱を孕んで潤んでいる。死ぬほど可愛い。
「……紬がキャンプねえ」
「なに、その馬鹿にした感じ。出来るよ。すっごい調べたから何が必要かも大体把握したし」
「"すっごい調べた"の?」
「……梓雪はすぐ揶揄う」
残念ながら、俺は紬がふらっと意図せず発してしまった可愛い言葉も、ちゃんと見逃すことなく拾い上げる。みるみる眉間に皺を寄せて恥ずかしさに耐える顔が見たいからだと以前伝えたら「性格悪いね」と口を尖らせたのを思い出す。
今もまさに頬を赤く染めて不機嫌に目を細めて見上げてくるから、ちょっと色々と、もう無理かもしれない。
「……紬、やっぱりこのまま家に帰ろうか」
「え、ご飯屋さんは?」
「…明日出かけるなら今日は家でゆっくりしよ」
「そっか、それもそうだね」
納得して「じゃあスーパー寄ろう」と既にここからの動き方を計画している女の手に自分の指を絡める。
「紬さん、早起きできるんですかね」
「……アラームを大量にセットすれば大丈夫」
「いや、それこそもう前科何犯なのって感じだけど。
あんまり無防備に寝てるから、キスし放題です」
「…梓雪、馬鹿だね」
「照れてんの?」
「…何言ってんの?」
そんなに顔を真っ赤にしておいて、この女は誤魔化す気があるのだろうか。
口ではどんなに素直じゃなくても、結局他の人を助けたり、誰かの感情を敏感に察して、動いてしまう。
キャンプだって、絶対得意じゃ無いくせに。仕事で疲れてるくせに。明日の予定はどうやって阻止しようかと、俺の思考は既にもうその段階まで進んでいる。
器用に見えて、実はとても不器用で損をすることも多い紬のいじらしい優しさは、俺が絶対持ち合わせ無いものだ。
「…梓雪」
「ん?」
「迎えにきてくれて、ありがと」
喧嘩なんてそんな暇は、これからも無いよ。
どうしようもなく愛しくてたまらないこの女に、ありったけ可愛いと伝えることに、俺はいつも忙しい。
大事にする覚悟を乗せるように握っている手に力を込めたら、ふわりと花が咲いたような柔らかい笑顔で応えてくる紬にやはり我慢はきかず、もう一度キスをした。
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