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「出会ったその年は、雪が多くてね。何匹か、タヌキが人里まで降りて来てたのよ。同じ小学校の男の子たちは通学途中、面白がって雪を投げたり、棒を持って追いかけまわしたりしてたけど、私は、そんな事できなかった。一番お気に入りのハナジロさんに、こっそり家から持ってきたパンやお菓子を食べさせるのが、楽しみだった。知らず知らずに、餌付けをしちゃってたの」
水原は、ただ小さく頷いた。
「乱暴に見えた男の子たちの方が、正しかったのよ。人間は怖い、近づいちゃだめだって、野生の生き物には教えなきゃいけなかった」
私はすっかり氷の溶け切った酎ハイを、一口飲んだ。水原は、また枝豆を口に運び、その先をもう促して来ない。
だから、その後、ハナジロさんが猟師の仕掛けた罠に捕まってしまった事は、言わなかった。
「本当、悪い事してしまったなって……」
それだけ言って、また水になった酎ハイをすすった。僅かな沈黙が、妙に堪える。
「明日の天気予報が雪だったからかな。うたた寝で、こんな夢見ちゃうなんて――」
「でも、ハナジロさんは、美味しいパンをありがとうって、思ったかもしれないじゃないですか」
かぶせるように言ってきた水原の言葉は少しだけ唐突で、いつになく幼かった。
「え?」
「捕まっちゃったのは、……よく似た他のタヌキだったかもしれないし」
言いながら、皿の中の枝豆を、まだ探している。けれどもう、さやの中はどれも空っぽで、枝豆は見つからない。
「……ありがとう。でも、ハナジロさんだったよ。辛いけど、そういうことは、忘れちゃいけないんだと思う」
水原は、何か言いたげに、じっと私を見る。邪念とは無縁そうな黒い瞳とそんな仕草に、不思議と懐かしさを感じた。
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