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「枝豆、追加しようか?」
「あ、いえ……」
水原は首を横に振り、そして少しうつむいた。微笑んだようにも見えた。
「帰りましょうか。雪が、止んだみたいです」
なぜ分かったのだろう。雪は本当に止んでいた。
一歩店を出るとその路地は数時間前と全く違って、すっかり雪国だった。
夢の中に引き戻された気がして、私は言葉を失った。
「雪が降ると、人もタヌキも、人恋しくなるんじゃないですか?」
白い息を吐きながら、彼は言う。そのまま私の少し前を、ゆっくり歩きだした。
「タヌキも? そうなのかな。初めて聞いた」
「僕も、聞いたことはないですけど」
「だよね」
生真面目に言うのがおかしくて、声を出して笑ってしまった。さっきまでの胸の痛みが、サクサクと雪を踏むごとに、消えて行く。
寂しげな飲み屋街の路地に積もった雪は、オレンジの灯りを映して、思いがけず、美しかった。十歳近く年下の、優しい後輩の後ろを、ゆっくり歩く。
「もう、夢に見なくていいと思います」
「うん?」
「ハナジロさんは、怒ってないです」
「なんでそんな優しい事をいうかな」
「なんとなく。そう言ってあげたくなったから」
「……そっか」
「雪が降るたびに、それ思い出すのは辛いです」
「……うん」
「きっとハナジロさんは怒ってないです」
「……そっか」
返す言葉に困って視線を落とすと、真っ白な道に、お団子がふたつずつ並んだ、可愛い足跡があった。
まだ酔いが醒めていないみたいだ。
二度瞬きしたら、それは消えて、前を行く青年の足跡に変った。
「……ハナジロさん」
聞こえないくらいの、小さい声で、呼びかけてみる。
後輩は立ち止まらずに振り返って、ニコリと笑った。
そんなはずはないのに。
サクサクと、雪を踏む音が心地よく響く。
まあいいや。今夜はもう少し夢の中にいよう。
そしたら。
あしたからの雪は、優しい気持ちで迎えられるかもしれない。
(了)
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