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雪はもう止んでいた。
白砂糖を振りかけたような木立の間を、私はうつむいてゆっくり歩く。眩しい雪面に残った花びらもようを、ずっと辿っている。
十センチほど積もった柔らかい雪の上につけられた小さな足跡は、犬や猫や狐のものとはちょっと違っている。二個ずつ並んだお団子に似ていて、可愛いのだ。
前足を置いたすぐそばに、後ろ足を置く。タヌキ独特の歩き方のせい。
この足跡を辿った先にいるのは、私の良く知っているハナジロさんだ。きっとそうだ。この雑木林には他にもタヌキは居るだろうけど、ハナジロさん以外、思い浮かばなかった。
――雪が積もったね。寒いよね。お腹、空いたよね。
声は、なぜか出ない。届かない。
それでも、あの茂みの向こうには、ハナジロさんがいるのがわかる。私が来るのを、きっと行儀よく待っている。
雪が降って、寒くて、今日は特に冬毛をまん丸く膨らませているに違いない。
目の下から頬が真っ黒で、コミカルだけど、鼻は意外とほっそりとしていて、美形なのだ。いつだって小さな二つの耳をピンと立てて、私の声をじっと聴き、そしてつぶらな黒い瞳で真っ直ぐ見つめて来る。今日も。きっと私を待っている。
――お腹空いた?
ポケットに手を入れる。茂みが揺れて、粉雪がふわりと舞う。
――おやつ、持ってきたよ。
ハナジロさんの、黒い足が葉っぱの影から覗く。
けれど、突如あふれて来たのは、胸がつぶれそうなほどの悲しみだった。
――来てはダメ。
寂しくて、切なくて、堪えきれなくて、私は目をギュっと閉じた。
ハナジロさんにはもう会えない。もう取り返しがつかない。悪いのは全部私。何も知らなかった、幼い頃の私。
――ごめん……。
しゃくり上げるように息をした。
息といっしょに入って来たのは雪の森の冷たい空気ではなく、日本酒とビールと串焼きの混ざった、ぬるい匂いだった。
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