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「えぇ? ……まぁ、そうねぇ」
お婆ちゃんは「そうしようかしら」なんて言って、「でも靴が玄関だわ」とひとりごちながら、曲がった腰に手を添えて、おそらく目一杯の速さで廊下を歩いた。
「もう、婆ちゃん何してたのよ」
居間で待っていたお母さんは少し苛ついていたようだったけれど。
「もうちょっと待ってて」
お母さんにそう頼んだのは私だった。
「たぶんもう外で待ってていいと思うよ」
「そう?」
そんな会話をしている間に、お婆ちゃんはそそくさと外へ出ていった。その様子がなんだか、恋人に会いに行く乙女みたいだな、なんて、ロマンチックなことを思ってしまった。
後から私とお母さんが玄関を出ると、サーッと、強めの風が吹いてきた。まだ冷たい風。でも、真冬のそれとは違う。ささやかな湿気と、花の匂いをまとった風。
「ねぇお母さん、この花の匂いって梅?」
「え? えぇ、そうよ」
来年も、再来年も。この家が誰かのものになってしまっても。
「どうして?」
「え?」
「珍しいじゃない、花の匂いなんて気にするの」
「いやぁ、結構匂うから、なんか気になっただけ」
この庭の梅が、永く永く、どうか咲き続けますように。
「あらあら、お待たせ」
間もなく、お婆ちゃんが息を弾ませながら、ゆったりとした小股で庭の奥から戻ってきた。
「もうこのウチに未練はないの婆ちゃん」
お母さんが茶化すように言う。
「ないって言ったら嘘になるわよ。でもね、しょうがないじゃないの」
お婆ちゃんは気丈に返した。
「はいはい。じゃあ行きますよ」
賑やかな女三人が、ぞろぞろと庭の階段を下りる。外から門扉を閉めたら、お婆ちゃん家の庭は一気にしんとなったように思えた。
「そこ曲がったとこのコインパーキングに車を停めてあるのよ。それくらいなら婆ちゃんも歩けるでしょ?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
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