0人が本棚に入れています
本棚に追加
3章
「何かあったか。最近同じものばかり持ち帰るが……どこへ行ってるんだ」
彼の元へ戻ると、そう問われた。
それはまるで父親のようだった。そう、ぼくにとっては厳格な父であり、頼れる兄であり、心許せる友だった。
「同じところばかりから盗むのだと、バレて危険だろう。どこへ行っている?」
「なんでもないよ」
そう言いながら彼の前をすたすたと通り過ぎようとする。ぼくは初めて彼に嘘をついた。このとき彼に、ちゃんとぼくから相談すべきだったのかもしれないけど、男の子の言葉は聞かなかったことにすればいいと思った。彼を置いて行くなんて、できるわけがないから。
「もしかして人間の家か」
背筋がひやりとした。
「違うよ」
ぼくは二度目の嘘をついた。
「いや、怒っているんじゃない。止めたいんじゃない。逆なんだ」
彼はぼくの前にゆっくりと歩いてきて、どっしりと座り、話を続けた。しわしわの顔の奥で光る目を、じっとぼくに向ける。
「いいか、もしお前を拾ってくれるような人間がいたのなら、お前はそちらに行け」
思わぬ言葉にびっくりして、ぼくは目を丸くした。
「いつも言っているだろう。人間は悪い奴ばかりじゃない。私は、ほかの逃げた動物も探して、皆で暮らそうと思っていたが、今のところ見つからない。それはいいことだ。不幸な動物が少ないということだからな。でもそうすると、私とお前だけになってしまう」
「いいじゃないか。ぼくとあんたで、ずっと一緒に暮らせば」
「動物は、それが良い人間でさえあれば、人間に飼ってもらった方が安全なんだ。あたたかい家も、飯もある。病気になったら、病院に連れて行ってもらえる。私はもう年老いていて、拾う人間は現れないだろうが、お前には未来がある」
「でも、ぼくはあんたと一緒にいたいよ」
彼はぼくをじっと見つめて言った。
「いいか、私はもう、先が長くない。せめてお前の幸せを確認してから、死なせてくれないか」
「良くない! ぼくは、ぼくは今でも幸せだよ」
必死に訴えた。いいか、じゃない、全然良くない。なぜ、決めつけるのだろう。あんたと共にいるより、人間と共にいることの方が幸せだと。
今回ばかりは、「わかってるよ」なんて、言えなかった。
「私の言うことが聞けないのか」
「聞けないよ! 聞かない!」
ぼくは耳を塞いで叫んでいた。彼のしわしわの額にパンチする。彼に反抗したのも初めてだった。大きな体の彼が少し後ろによろけた。
「そうか……」
彼は悲しげにそう呟いた。
「お前に会えて、よかったよ」
彼のその言葉を聞かずに、ぼくは走り出していた。
ぼくは逃げ出した。こんなに全速力で走ったのは久しぶりだ。人間から食べ物を盗んだあとは全速力で逃げていたけど、最近はずっと、男の子の家にご飯をもらっていたから。
そういえばあの日も全速力で走っていた。彼と出会う前、人間から逃げ出した日。
別に今回は、彼から逃げ出したかったわけではない。ただ、彼の言う言葉が、受け止めきれなかった。
彼はぼくといて楽しくなかったの? ずっと一緒にいるんじゃなかったの? だって、逃げ出した動物たちを集めて、暮らすって言ってたじゃないか。たとえ集まらなくて、ぼくたちだけだったとしても、いいじゃないか。
なんで人間のところに行けなんて言うの? 離れろなんて言うの? いやだ、いやだよ。一緒にいたいよ。
一緒にいたいと心の中で叫ぶのと矛盾して、ぼくはどんどん彼から遠ざかっていた。走って、走って、走り抜く。
しばらくして走り疲れて、今日はそこでそのまま寝ることにした。眠れそうなスペースを探して、入り込む。彼のお話を聞かずに眠るのも、久しぶりだ。彼がそばにいないから、いつもよりちょっと寒い。
歩くと地面の土が少し濡れていて、足跡がついた。それはやっぱり、彼のものよりずっと小さかった。
最初のコメントを投稿しよう!