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ふたりぼっちの日々は、退屈なほど平凡だった。朝起きて最初に「おはよう」を言い、最後に「おやすみ」を言う。たったそれだけのことが幸せと思えた。水瀬の家にいた頃は、そんな当たり前の挨拶もなかった。平凡な日々と平凡なやり取り。たったそれだけで、死にたくなるほど幸せになれた。
『飲みに行かないか?』
安達からそんなメールが来たのは、12月末のことだった。
『葛西と月島と、4人でさ』
「水瀬」
待ち合わせ場所の居酒屋に行くと、安達が席から結菜を手招いた。
「こんばんは」
引き寄せられるように近付いて、結菜は安達の向かい側に座った。他のふたりはまだ来ていないらしい。
年末なだけあって、店内は大勢の客で溢れていた。明るい照明の下で、店員がせわしなく動き回っている。
「無理に誘って悪かったな。嫌じゃなかった?」
「いえ、嬉しいです。あの、他の人は?」
「仕事が長引いてるんだってさ。もうちょっとしたら来るから、先に始めてようぜ」
そう言うやいなや、安達は店員を呼び止めて生ビールを頼んだ。結菜も慌ててメニューを広げ、少し悩んだ末、カシスオレンジを注文した。
それからふたりは、他愛もない話をした。職場のこと、学生時代のこと。過去を話すのも今を話すのも苦手な結菜は、ただ安達の話にうなずいてみせた。うなずき、同意し、笑顔を作る。それだけで会話が成り立つのは、安達の気遣いがあってのことだろう。
高校時代、安達と結菜は同じクラスで3年間を過ごした。学級委員だった安達は、雪人に劣らないほどの人望があった。雪人が人を引き付けるタイプだとすれば、安達は自ら人に寄っていくタイプだった。クラスで孤立している人がいれば、率先して声を掛けに行く。それは結菜に対しても例外ではなく、現に今でもこうして頻繁に連絡をくれる。世話好きで社交的で、明朗な好青年。それが安達健次だった。
「あの、どうして私に構ってくれるんですか」
注文した品々も出揃い、世間話も一段落した頃。訪れた沈黙を埋めるように、結菜は長く胸に生じていた疑問を口に出した。
「どうして、って?」
「だって高校時代、安達君と私は特別仲がいいってわけじゃなかったし。それに、私は地味で目立たなかったし……」
「そんなことないよ。隠れファン、結構いたんだぜ。俺もそのひとり」
結菜が顔を上げると、安達は穏やかな目で結菜を見ていた。その表情があまりにも優しげだったので、結菜は慌てて目を逸らした。
葛西と月島は一向に来る気配がない。所在なさげに置かれている箸とつきだしを見て、早く来てほしいと願った。安達にしてみれば軽い冗談なのだろうが、この手の話題はどうも苦手だ。そんな心境を知ってか知らずか、安達は更に言葉を続けた。
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