第1章 禁猟区

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第1章 禁猟区

 その日はとてもよく晴れていた。  最高気温22℃、最低気温16℃という11月にしては少し暑いくらいの天候で、外を歩くと太陽熱にやられてじんわりと汗ばむ。冷たくなってきた風だけが季節に適応していて、シャツの間をするりとすり抜けては、汗をさらさらと乾かしていく。  望月雪人が亡くなったと聞いたのは、そんな何気ない秋の日のことだった。 「心臓発作だってさ。生まれつき心臓が弱かったらしい」  しんみりとした口調でそう語る安達健次に、水瀬結菜(ゆな)はそうですか、と曖昧にうなずいた。  どう反応するのが正解なのか、思考を巡らしていることをばれないように、頼んだばかりの紅茶にミルクをたっぷりと注いだ。赤茶けた液体の中に、どろりとした白色がゆっくりと溶けていく。その様子がなんとなくおかしくて、いつまでも眺めていたいと思ったけれど、安達の視線を感じて、やめた。  ミルクが均一になるようにかき混ぜて、ストローを口にくわえてみる。こうして口を塞いでおかないと、何か余計なことを話してしまいそうだった。間違った表情を浮かべてしまいそうだった。  何気なく外を見てみると、景色よりも先に、窓に映る自分と目が合った。黒よりも少し明るい色のショートボブ。感情のない大きな瞳。美しくも醜くもない平凡な23歳の女が、こちらを見て不吉に目を細めた。  ストローを口から離し、唇の端をくいっと上げて、子供のように無邪気にせせら笑った。それが自分自身だと気付いて、結菜は慌てて唇を噛んだ。項垂れて眉を下げ、膝の上で拳を握る。肩を震わせ、大げさに息を吐いてみる。  今自分は、知人を亡くした哀れな女の感情をうまく表わしているだろうか。早すぎる死を嘆いているだろうか。どんなに悲しみを浮かべようとしても、涙は少しも出てこない。  それは空が雲一つない快晴だからだろうか。それとも、喫茶店が人の笑い声で満ちているせいなのか。どちらも違う、と結菜は思う。どんな残酷なニュースでも、もう自分の視界を曇らせることはできないのだ。 「大丈夫か、水瀬」  安達が気遣うように顔を覗き込んできた。この男は昔からそうだった。誰かが暗い顔をしていたら、それがたとえ他人だとしてもためらうことなく声を掛ける。完璧すぎるその優しさが、結菜は苦手だった。 「大丈夫です。それで、葬儀の方は」 「親族だけでひっそりと済ませたらしい。俺も昨日知ったばかりでさ、まだ混乱してるんだ。水瀬には伝えた方がいいかなと思って。……付き合ってたんだよな?」 「いえ、そういうのじゃなかったんです。そりゃ、好きじゃなかったって言ったら嘘になりますけど。ほら、望月君を好きじゃない女の子なんていませんでしたから」 「それもそうだな」  当時を思い出したのか、安達は懐かしげに目を細めた。
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