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食事を済ませ、洗い物も済ませ、ついでに風呂も済ませた結菜は、濡れた髪をタオルで拭きながら雪人の隣に腰掛けた。
ひとりで座るには大きすぎるソファーは、雪人のおかげでようやく本来の役割を果たせるようになった。火照った体を冷ますように、雪人の腕にするりと体を絡ませる。彼の体温はまるで死人のように低いのだ。雪人は結菜の額に軽くキスをし、ニュースキャスターの声に耳をすませた。
つられてテレビに目をやると、『連続殺人事件、犯人は未だ不明』のテロップが飛び込んだ。ふうん、とそっけなく呟いて、結菜はことん、と雪人の肩に頭を預けた。
テレビの中の映像はどこか非現実的で、まるで別世界の出来事のように感じる。色づき始めた紅葉も、政治家の不正も、都内で起きた自動車事故も、虚構なのではないかと思えてくる。――いや、もしかしたら本当は、幻なのはこちらの世界なのかもしれない。今雪人と共にいるという事実こそが、現実ではないのかもしれない。だからこそ、結菜は雪人と腕を絡める。ぬくもりを実感し、これが現実であることを確かめる。
「また連続殺人事件か」
アナウンサーの報道を聞いて、雪人が独り言のように呟いた。
「被害者は女性ばかりだって。結菜も気を付けてね」
「私なんかを殺す悪趣味な人、いませんよ」
冗談混じりに答えて、結菜は携帯を手に取った。ブックマークフォルダを開いて、接続。画面に溢れている文字を見ると、思わずくすりと笑いが漏れた。
「何を見てるの?」
雪人が結菜の携帯を覗き込んだ。
「雪人は本当に人気者なんだな、と思って」
ほら、と結菜は携帯画面を示す。雪人はまじまじと画面を見つめ、顔をしかめた。高校の卒業生が集まるコミュニティーや個人のツイッターまでもが、望月雪人の死を嘆く書き込みで溢れ返っている。
「そろそろ広まってきたみたいです。この分だと、また近々同窓会とか開かれそう」
「井上さんの時はこんなんじゃなかったのにね」
あきれるように、雪人が言った。
「雪人は人気者だから」
「同窓会ってさ、どうせ中川が仕切るんだろ? あれ、見てて寒気がするんだよね。仕切りたがりって言うの?昔から鬱陶しかったなぁ。きっとこいつ、芝居がかって追悼の言葉述べるよ。えー、望月雪人はー、頭がよくて優しくてー」
「顔もよくてスポーツもできて、性格もよくて」
「惜しい人を亡くしました……ってね」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
「お決まりの台詞ね」
「そういうものさ」
雪人は体の向きを変え、結菜の髪を指で梳いた。長い指が、髪の水分を吸い取って濡れていく。指先に付いた水滴が、ぽたり、と結菜の膝に落ちた。乾いたはずの肌が、また、濡れる。雪人によって、濡らされる。
雪人はそのままタオルを手に取って、優しく結菜の髪を拭いた。それがなんだか嬉しくて、結菜は素直に頭を差し出す。こうして世話をしてもらうと、まるで彼の飼い犬にでもなった気分だ。恋人よりも甘く、家族よりも近い。
「……羨ましいな」
ほぼ無意識に、口からぽつりと呟きが漏れた。雪人は手をとめ、優しい表情で結菜の顔をのぞいた。
「私が死んでも、誰も泣いてくれないもの」
自虐的に吐き捨てて、結菜は雪人を見上げた。
「雪人だってそうでしょう」
「……そうだね」
雪人はそっと微笑むと、再び結菜の髪を拭き始めた。
「結菜が死ぬ時は、僕が死ぬ時でもあるんだから」
――逆もまた、然り。
「……そうね」
雪人から与えられた安堵は、すぐさま笑みに形を変える。結菜は目を閉じ、彼の優しさに身を委ねた。
殺されるなら、あなたがいい。愛撫のふりをして首を絞められるとか、キスのふりをして舌を千切られるとか、そういう終わり方がいい。愛情の温度に包まれたまま、死の海に溺れていきたい。
そうやって死ねたら、きっとそれは本望だ。
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