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「結菜。……ゆな」
目を開けると同時に、ひゅ、と短く喉が鳴った。
暗闇に、白い天井がぼんやりと浮かび上がっている。荒い息を整えながら、首を少し傾けてみると、雪人が心配そうな顔でこちらを見ていた。
「ゆき、と」
老婆のようにしゃがれた声が出た。その声の醜さに驚いて、結菜は軽く咳払いをした。
「怖い夢でも見たのかい?うなされてた」
「……大丈夫。ごめんなさい」
ベッドから上半身を起こし、結菜は長く息を吐いた。朦朧としていた意識が、次第に現実に引き戻されていく。汗ばんだ体に、シャツがぴたりとくっついて気分が悪い。体の火照りを冷ますように、隣に座る雪人にそっともたれた。
昔の、夢を見た。
幸せの彼方に忘却していた記憶だ。真夜中は闇が侵食する。水瀬の家を出てから、何度も何度も、繰り返し過去の夢を見る。母の、化け物を見るような鋭い瞳と、決して届かない父の背中。そして要の、花のように美しい微笑み。全部捨てたはずなのに。
時計の音がやけにうるさく耳に響く。窓の外で、風が木々を揺らしている。雪人は気遣うように、そっと結菜の髪を撫でた。何度も何度も、ぎこちなく。大きな手からぬくもりが伝わる。冷たくて、でも温かい。雪人は精神安定剤だ。傍にいてくれるだけで、乱れた心が凪いでいく。
「ねぇ、今度ふたりでデートしない?」
唐突に、雪人が明るく提案した。
「大丈夫。誰も僕らのことを知らない場所に行こうよ」
不安げに顔を上げた結菜に、雪人は優しく微笑んだ。
「思い出をたくさん作るんだ」
「作って、どうするの?」
「刻むんだ」
その声に甘い誘惑を乗せ、雪人は結菜を抱き締めた。
「頭に、体に、心臓に」
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