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プロポーズ
【ロイ視点】
「シシリア!」
立ち上がったと思ったら崩れ落ちた彼女を見て思わず手を伸ばしたが間に合わなかった。
地面に倒れたシシリアを抱き起こし頬を軽く叩くが反応がない。脈はあるし呼吸もしているので、命に別状はないだろう。人混みで貧血でも起こしたのかも知れない。ああでも何か命に関わるような病気だったら……考えただけで血の気が引いた。
「サラ、悪いがシシリアを医者に見せないと。見物は明日とか明後日で構わないか?」
「当たり前よ。そんなのシシリアの方が大事に決まってるじゃない!」
シシリアの店はさほど離れていないので横抱きのまま連れて行こうかと思ったが、何しろこの人混みではかえってぶつかって危ない。
背中におんぶする状態で来た道を戻る。
「サラ、先に店に行って店を閉めてくれるように伝えてくれ。あとかかりつけの先生がいたら呼んで欲しいと」
あと数百メートルもない真っ直ぐの道で、私はサラに頼んだ。
「分かったわ!」
サラが走って行くのを見ながら、シシリアの様子を伺う。呼吸も規則的だし、発作らしきものも起きていないようでホッとする。
無意識なのか私のお腹をむにむにして来るのだけはちょっとくすぐったいので止めて欲しいが。
でも、倒れたシシリアを見て思った。
いつまでもウジウジとアタックせずにシシリアの気持ちが変わるのを待っていて万が一の事があったら、私は死ぬほど後悔する。
もう断られてもプロポーズしようと心に決めた。
シシリアの店に着くと、イライザが既に店を閉めて2階のシシリアの部屋でベッドの支度をして待っていた。
「シシリア様を寝かせて少し見ていて頂けますか?
私はひとっ走りしてアーク家の専属医だった先生を呼んで参りますので」
「心配するな。ちゃんと見ているから」
ベッドにシシリアを横たえると、毛布を掛ける。
額に手をあてるが熱はないようだ。
「おじ様、シシリアは母様みたいに死んだりしないわよね? 大丈夫よね?」
サラがズボンを掴み、私を見上げた。
「大丈夫だよ。シシリアはいつも元気で風邪も殆ど引かない位だったんだから」
そういいながら部屋を見回した。
私の屋敷の使用人部屋より狭いし、立て付けも悪いのか窓を閉めているのにすきま風が入って来る。
必要最低限の家具に簡素すぎる内装。とても元子爵令嬢の部屋とは思えない。
こんなところで暮らしていたのかと思うと、胸が締め付けられた。
「──疲労じゃな。多分良く寝てなかったんじゃろ。
元は健康だからのシシリアは。寝てりゃすぐ治る」
やって来た年配の医師は診察してそう笑うと、こんな近くに店を始めたんか、こらあ買いにこんとなあ婆さんと、と言いながら帰って行った。
「ありがとうございましたグロスロード侯爵様。サラお嬢様も」
イライザが頭を下げお礼を言葉を口にした。
「シシリア様はすぐ頑張りすぎるので、きっと出かけた後に私が困らないよう在庫を作ったりするので無理されたんですわね。それに注意書きのメモまであちこちに置いてありましたの」
イライザの見せたメモには、
「ローワン様はお子様がイチゴのアレルギーだから、決してイチゴのお菓子は勧めないように」
「バッカス家の奥様はチーズケーキ系を好むわ」
などとお客様の情報が細かく書いてあり、相変わらず気配りが細やかだと感心した。自分の事は大分そっちのけだが。
「あの……グロスロード侯爵様」
「長いだろう? ロイでいいよ」
とりあえず安心した私は、イライザの淹れてくれたアイスティーを口にした。サラは心配そうにシシリアの手を握って枕元に座っている。
「……すみません。ではロイ様、お伺いしたいのですが、シシリア様を、そのう、愛人か何かにしようと思っておられるのですか?」
「ぐふぉぅっ」
むせた。
「愛人って、そんな、まさか! 私はシシリアにプロポーズしようとしているのに!」
「平民ですからね、今のシシリア様は。子爵令嬢のままであったとしても、格が違いますもの。愛人ならともかく」
「私はそんな不実な事はしない! 愛してるのはシシリアだけだ。だが、シシリアはそういうところが生真面目だろう? 私は当主だし、どんな反対があろうとシシリアを守れるんだが……でももしかしたら、そこまで好かれてはいないのかも知れないね。
嫌われてはいないと思っているんだけれど」
「──そうすると、ちゃんと妻として迎えるお気持ちはおありなのですね?」
「シシリアさえ頷いてくれればね。私は無理強いだけはしたくないんだ。強制しても虚しいだけだろう?」
念を押すようなイライザの言葉にため息混じりに応えたが、イライザはポン、と胸を叩いて顔を寄せてきた。
「1つ、ご相談がございます。シシリア様の気持ちを知る為にも先ずはプロポーズしてみて頂けませんか?
サラ様にも少々御協力願えれば……」
サラがその言葉を聞いて目を輝かせた。
◇ ◇ ◇
「シシリア! 目が覚めたのね?」
小一時間も経った頃、サラの声でベッドを見ると、シシリアが目を覚まして体を起こしていた。
「やたらと爽快に目覚めてしまいましたが、何故私はベッドに寝ているんでしょうか?」
私は祭りで気を失った事と、寝不足から来る疲労だったみたいだよ、と告げた。
「そうでしたか……サラ様、せっかく楽しみにしておられたのに申し訳ありませんでした」
「いいのよ。お祭りはまたあるもの」
「ご主人様、倒れた人間なんて重たかったでしょうに、本当にありがとうございました」
シシリアが私を見て申し訳なさそうに頭を下げる。
「気にしないで。シシリアは細いから全然大変じゃなかったよ」
それでね、と私はシシリアのベッドの前に膝をつく。
「シシリアがまた私の知らない所で倒れたらと思うともう怖くて仕方ないんだ。……改めて言う。シシリア、愛してる。私の妻になってくれないか?」
「ご主人様、しっかりなさって下さい。私は平民ですから」
「それでも私はシシリアと結婚したいんだよ」
「お断りします。サラ様の為にも、ちゃんとした貴族のご令嬢に支えて頂いて、広い歴史ある侯爵領を守って頂かなくてはなりません。私には無理です。
お言葉は有り難いですがお気持ちだけで充分です」
速攻で断られた。
まあ予想していたけれど。チラリとイライザを見て、イライザが頷いたのを見て立ち上がる。
「また気が変わるかも知れないし、改めて来るよ。
ほらサラ、帰るよ」
サラがシシリアを見て、
「ウチのおじ様、いいと思うんだけどなあ」
とぽそりと呟くと、またケーキ買いに来るわね、と手を振った。
「……ありがとうございました」
軽く手を上げて部屋を出ると、サラは私に話しかけるように声を上げながら1人で階段を降りる。
私は素早くクッキーなどが置いてある倉庫の方へそのまま身を隠した。
階下で扉を開閉する音がして、少し経つと靴を脱いで手で持ったまま音を立てないように上がって来たサラが、私のいる倉庫の方へやって来た。
ここはシシリアの部屋の隣なので話し声がよく聴こえるが、逆に言えば私たちの声も聞こえてしまう。
サラにしいー、と口元に指をあてると、コクコクと頷いた。
「……宜しいんですのシシリア様? あんなに簡単に断ってしまって」
イライザが紅茶を淹れ直してシシリアに問いかけているようだ。
「仕方ないじゃないの。ご主人様がプロポーズして下さるなんて夢にも思わなかったけど、どっちにしろ平民と侯爵ではどうにもならないわ」
「私は、シシリア様がグロスロード侯爵様の事をお慕いしているとばかり思っておりましたけれど」
「慕ってるに決まってるじゃないの! ご主人様は控え目に言っても最の高なのよ? サラ様だって私の天使だし。初めてお会いした18の頃から、あのボリューミーな頼り甲斐のありそうなぷにぷにボディーにメロメロだったわよ。
特に食べ物を食べている時の幸せそうな笑顔なんて神がかってるのよ。究極の癒し系男子と言っても過言じゃないわね」
「……っ?」
え? あのデブデブの時からシシリアが?
驚きで思わず声が出そうになり慌てて口を押さえた。
シシリアは、やっぱり少し変わっている。
「お痩せになったらすっかり別人のようになられましたけどねえ。かなり美丈夫ではありませんか」
「そうね、恐らく社交界では人気が高まったのは間違いないわね。私はもう少しぷにっとしてる方が好みだけれども。ただ食べてる時の笑顔は相変わらずなのよ。
健康の為だと思って血を吐くような思いでダイエットして頂いたけど、正直元のままのご主人様の方が人気が無くて、私には嬉しかったのよね。
だって、あれだけ頭もよくて仕事も出来て、使用人にも思いやりのある素晴らしい方なのよ?
その中身を見て下さる目利きな淑女の方が現れたら、グロスロード侯爵家も良き妻を得られて安泰じゃない」
「……もし、シシリア様が爵位ある淑女だったらプロポーズはどうされてましたか?」
「勿論こちらこそ喜んで! 一生幸せになります私が! の勢いで受けてたわねえ。
あ、当然ご主人様も幸せにするつもりだけれど」
「……だそうですわよロイ様」
私とサラははイライザの声にシシリアの部屋の扉を開けた。
「ごっ、ご主人様っ? 今の話をき、聞かれて──」
アワアワするシシリアの手を取り、
「嫌われてるんじゃないと分かって嬉しいよシシリア。じゃあ早速結婚の準備にかかろうか」
「……は? わ、私断りましたよね? キチンとした貴族のご令嬢と──」
「シシリア様、お伝えするの遅れてしまいましたが、旦那様……ヘイデン伯爵にシシリア様の事をお伝えしたら大層親身になって下さって、『家で養女にしてから嫁げばいいじゃないか』と言って下さいましたのですよ。
ヘイデン伯爵家は歴史ある名門ですわ。
ですから、シシリア様は名門伯爵令嬢として、ロイ様とでもどなたでも結婚出来ますわ」
「……」
「どなたでもは止めてくれないかイライザ。
プロポーズさっき断られたばかりだけど、シシリアの気持ちも聞けたし、いや勝手に聞いて本当に申し訳ないけど、でももし良ければもう一度……シシリア?」
私のジャケットの裾を掴んだままうつ向いていたシシリアは無言だった。
やはり隠れて聞いてはいけなかったか、そう思い今一度謝らねばと口を開こうとした時、シシリアが何か呟いた。
「……ざば……」
ざば? 改めて顔を覗き込んだら、シシリアの目からはポロポロと涙がこぼれていた。
「……ご主人様ざばー、ざっぎばずびばぜんでじだー、まだ、まだ有効でじだら、私、領地の勉強どが沢山頑張るので、ジジリアの、ジジリアの家族になっでくでないでじょうがー」
「勿論だよ! その返事を待ってたよ!」
私はシシリアを抱き締めた。
「シシリア、私も家族でしょ! これからはお母様って呼んで上げてもいいわよ」
サラも目を潤ませながらシシリアに抱きついた。
「うぇーん、ザラざばー、お母様ば一気に老け込む気がずるのでイヤでずー、ジジリアにしでおいてくだざいー、でも家族になってくだざーいザラざばー」
「分かったから取りあえず鼻をかみなさい。ざばーざばーって私が波にさらわれてるじゃないのよ」
サラがハンカチを取り出してシシリアに渡した。
シシリアが私から離れて、ずびばぜーん、と言いながらちーん、と鼻を噛んだ。
私は思わず笑ってしまったが、私たちはこんな様にならないスタートでもいいか、と思った。
「シシリア様、一番欲しかった【自分の家族】が出来て良かったですわね」
イライザもハンカチで目元を押さえていた。
だが、あ、っとシシリアが顔を上げ、
「ご主人様、シシリアはお店がありました!」
と慌てた。
「別にそのままやればいいよ。今は貴族のご夫人でもブティックやアクセサリーの店を開いたりしているのだし、パティスリーだって構わないだろう?」
「……よろしいのですか?」
「ちゃんと毎日屋敷に戻ってくれるならね」
「ありがとうございます!」
「私も味見役で付いていけるし」
「いえそれはお断りします」
「即答? 即答なのシシリア? ひどくない未来の娘に対して」
「シシリアの天使が堕天使になりそうなので」
「……まあそれはちょっとあるけれど」
私は一緒に笑いながら、ああ幸せってこういう風に出来て行くんだな、と心が満たされて行くのを感じていた。
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