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主治医倒れて代診
「先生、もう死にたいです」
凪子がか細い声でいうと堀田先生は明るい声で、
「死ぬ前にやりたいことってないですか?不倫とか高級ブランド品買い漁るとか、ホストクラブでパーっと散財するとか」
精神科医とは思えないトンデモ発言に、凪子は顎が外れるかと思った。
「先生…。不倫とか高級ブランド品買い漁るとか、ホストをキャバクラに変えたら先生がやりたいことを適当に言ってませんか?」
疑いの目でこの風変わりな代診の医師を見る凪子。堀田先生は、ギクッと大袈裟なリアクションをしてから、
「バレたか~。でもひとつくらいあるでしょ?死ぬ前にこれやりたいってこと」
ペン回しをしながら診察室の机に肘をついて頬杖をつく。
「死ぬ前に…もう一度小説を書きたいかも」
凪子か思い出したように呟くと、
「いいね、それ面白そう!書いたら僕に読ませてよ、添削してあげるから」
首を左右に振ってぶりっ子笑顔で凪子を煽る堀田先生。凪子はそのぶりっ子笑顔が可笑しくてつい笑ってしまう。
「じゃ、締め切りは次の診察日ね。作家先生頑張って!原稿お待ちしてますよ」
堀田先生の診察は風変わりだ。カウンセリングの基本、傾聴、共感、受容など何処へやら。自己流のしゃべくり漫才で患者を笑わせることに命を懸けていて、まともな診察をしていない。
凪子の主治医の江崎先生が脳梗塞で倒れて入院して、代診になったのがこのお調子者の堀田先生。凪子は真面目で律儀な性格なので一月後の診察日に書きかけの小説の原稿を持参した。
診察室のドアを開けるとそこには…。机の上にはロボットのプラモデル、床には鉄道模型とジオラマ、先生の椅子の隣にはエレキギターが立て掛けてあった。
「先生、この部屋一体どうしたんですか?」
凪子が尋ねると、
「あー、これは僕の暇潰し用。患者さんの話がつまらないときはこれで遊んでるの」
机の上のロボットを車から飛行機に変形させるのに先生は夢中だ。
「先生…。地方厚生局に患者から密告されますよ。診察せずに医師が遊んでるって。真面目に診察してください」
先生は飛行機に変形させたロボットを飛ばす素振りをしながら、
「大丈夫。最近患者さんが僕のことを心配してくるの。先生こそ夜は眠れてますか、食事は食べてますかって。みんな優しい人ばかり」
ニコニコ笑っている。凪子は文字通り頭を抱えた。
「これじゃぁ、どっちが患者かわからないじゃないですか…」
「人はね、誰かを心配したり誰かの世話をしてるとイキイキしてくるの。患者さんが僕の心配をしてくれる、そうすると自分の悩み事が飛んでいく。素晴らしい治療法だよ。あ、凪子さん今日締め切り。ちゃんと小説書いてきた?」
先生は飛行機を机の上に置くと、赤ペンを持ってデスクの引き出しからタスキを取り出してかけた。そのタスキには「天才敏腕編集長」と書かれている。凪子は呆れつつも、書いてきた小説を先生に渡す。
先生は意外と真面目に読んでくれて、誤字脱字や助詞の間違いに容赦なく赤ペンを入れて原稿を返してくれた。
「やっぱりお医者さんって頭良いんですね」
凪子が添削された原稿を見て感心していると、
「うん、医者の中でも僕は天才だから」
ドヤ顔の堀田医師を見て、凪子は堪えきれずに大爆笑してしまう。
「笑いは心身の健康にとってもいいんだよ。凪子さんももっと笑った方がいい。笑う門には福沢諭吉って言うでしょ?」
「笑う門には福来たるですよ、先生」
なるほど、先生が笑いを取ることに命を懸けているのは意外と深い理由があるのかもしれない。凪子はこのおちゃらけ医師は本物の天才かもしれないと思い始めていた。
「じゃあ、次の診察までに続き書いてきてね。連続テレビ小説ならぬ、月刊連続小説を楽しみにしてるから」
バイバイと無邪気な笑顔で手を振る先生に見送られて、凪子は診察室を出る。
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