オンライン恋愛

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 私には好きな人がいた。  同い年で、都内の大学生で、身長は171センチ。高校時代の得意科目は国語と体育で、英語は苦手。得意なスポーツは野球。好きな食べ物はハンバーグ、嫌いな食べ物はピーマンとセロリで、まるでお子様みたい。明るくて冗談を言うのが好きで、たぶん、周りからはいじられるようなキャラ。そして、書く文章がとても素敵な人。顔は、知らない。  彼とは、とあるSNSで出会った。ソーシャル・ネットワーキング・サービス、インターネット上で人とコミュニケーションがとれるツールだ。今の若者には馴染み深いだろう。出会った、といっても、ネット上での話だけで、現実世界では会っていない。だから、顔を知らないのだ。  そのSNSは、簡潔に言えば日記サイトだった。日記を書いたり、人の日記にコメントをつけたり、趣味のコミュニティに入って同じ趣味の人とメッセージで会話したりすることができる。お互い気に入った人とは、日記サイト上の「フレンド」になることができて、フレンドの日記は自分のトップページにも出てくるようになる。  日記サイトは、周りにもやっている友達が多く、大学生になったことだし新しいことでもしてみるかと、登録してみたのがきっかけで始めた。もともと文章を書くのが好きだった私は、いつのまにか日記サイトにログインするのがすっかり日課になっていた。  最初は、中学、高校や大学の友達とだけ「フレンド」になっていたが、せっかくインターネットという広い世界が目の前にあるのだから、普段触れ合わない人たちとも交流したくなり、いくつかコミュニティに入ってみた。  彼とは音楽のコミュニティの「好きな曲を挙げよう!」という掲示板で、とあるアーティストの好きな曲がかぶっていたので、そこからメッセージを送って語り合い、「フレンド」となった。もともと自分の周りにはそのアーティストを好きな人がいなくて語れなかったし、ややマイナーな曲だったので、魅力を話し合えることがとても嬉しかった。プロフィールを見たら同い年であることも知って、より親近感が湧いた。    最初はその程度の気持ちだった。「同い年で、音楽の趣味が合う人」。それが、彼の日記を読んでいるうちに徐々に変わっていった。  私は彼の文章に惹かれた。とても読みやすくて、面白くて、クスッと笑えるような、元気をくれる文章。自分の周りにいる人たちは、みんな品があっていい人ばかりだけど、冗談など全く口にしないし、言ってしまえば「普通」で「まじめ」だった。一方、彼は自由な校風の大学に在籍していて、身の回りのちょっと楽しい出来事を面白おかしく書くのが得意で、私は少し離れた世界で自由に生きる彼の日常や文章にいつも笑顔をもらっていた。  離れた世界といっても、同じ大学生なわけで、人から見たら、大してかけ離れてもいないのだろうけれど。ずっとまじめな世界で育ってきた私には、それだけで十分、離れた世界に思えたのだ。  その日記サイトは、人が自分のページを読みにくると、わかるようになっていた。私は自分の日記を書きあげると必ず、読みにきてくれた人を確認した。 (あ。読みにきてくれてる)  読みにきた人の一覧に彼の名前を確認して、ふっと頬を緩める。そして、自分の日記のページに戻り、更新ボタンを連打する。 (コメント、まだかな) (もうそろそろ、読み終わると思うんだけど)  彼は私の日記を読むと必ずコメントを書いてくれた。そしてフレンドになってから、それは一回も抜けたことはなかった。必ず読みにきてくれて、必ずコメントを書いてくれる。 「あ。きた」  つい口から言葉を漏らしながら、コメントを読む。 「悔しいけどつい笑ったわ! くそー。 ギャグセン合いそうだわー、話してみたいなー」  そして、そんな褒め言葉ひとつでも私は、その日一日ご機嫌になるくらい、幸せになる。 (話してみたい、かあ)  私も都内に住んでいたので、会おうと思えばきっと、会えた。でも私はあえて、会わずにいた。会いたい気持ちもある反面、もし、思い描いているような人ではなかったらどうしようかという恐怖も強かった。そのイメージはこれまで長い間、時間をかけて作ってしまったからこそ、壊したくなかった。  彼は、私だけの彼。他の誰も知らない、彼。  「会ったことがないのに、好き」なんて、人には言えなかった。人に打ち明けたところで、「それ、好きって言わないでしょ」と笑われるのが目に見えている。でも、彼の日記更新やコメントが楽しみで、ちらちらとスマートフォンを確認してしまうし、通知が来ると小躍りする。できれば彼の日記は真っ先に私が読んで、一番にコメントしたい。これを「好き」と言わないのなら何なのだろう。小学校からずっと周りは女ばかりで、これまで恋をしたことがなかったので、「普通の恋心」はわからず、比べようがなかった。  たまに、彼はどんな素顔なのだろう、と想像することがある。野球好きというから、日に焼けているのだろうか。スポーツマンなのだから、体もがっしりしてそうだ。ちょっと堀が深くて、穏やかな目元かな。  いや、私は彼の文章に惹かれたのだから、多少顔が好みじゃなくったっていいんだけど。  そんなふうに妄想を膨らませながら、ああ、私ってば恋してるなあ、と、酔いしれるのだ。  社会人になってからは、お互い仕事が忙しくて、日記はめっきり更新しなくなってしまった。  たまにアップされる彼の日記も、会社の愚痴が多くなってきた。上司がパワハラ気味だとか、先輩が仕事しないくせに怒ってくるだとか、新人ができないやつだとか。前のような、明るくおちゃらけた文章はまったく顔を出さなくなっていた。  それでも私は、大学生の頃のように、更新ボタンを押し続けた。そして必ずコメントを残した。きっと今は、仕事で疲れているだけ。余裕が出てきたら、また前の彼に戻ってくれるはず。    ある日、仕事が終わって日記サイトを開くと、彼の「ご報告」というタイトルの日記が上がった。  ――嫌な予感がした。何だろう。転職? ……彼女が、できた?     ページを開くか、開かないか。その二択で初めて私は躊躇った。  でも、彼のすべてが好きなの。大丈夫、受け入れられる。いち早く、コメントしたいの。彼女ができたなら、ちゃんと祝福する。おめでとうって、言わなくちゃ。  そう言い聞かせて私は日記タイトルをタップし、ページを開き、スクロールする。 「結婚します」「会社で出会った後輩です」「ここの日記は更新しなくなると思います」  そんな言葉が、目に飛び込んできて。  そこには、ひょろりとした冴えない顔の男と、たいしてかわいくもない女の写真が載っていた。 ――ああ。  このときの衝撃は、何と言ったら良いのだろう。街中を歩いていたら、突然ボールをぶつけられたような。突然落とし穴にでも落ちたような。突然スリにでもあったような。  一瞬、何が起きたのかわからなくなる。  これは彼ではない。彼はもっと……たくましい体で……こんな暗そうで頼りのない顔じゃなくて……もっと明るくて……見るからに聡明で……、  訳がわからなくなり、私は初めて、彼の日記にコメントしなかった。スマートフォンの画面を消して、ベッドに座り込んだ。  所詮私は、画面越しの、音楽の趣味が合っただけの女。付き合ったことも知らされないような間柄。  そんなことはわかっていた。最近、私は日記を書かなくなったし、彼の日記に私が一方的にコメントを書くだけで、返事もなかった。ただの、連絡も取り合っていない、ネット上の女なのだ。 「さよなら」  そう呟いて私は、アカウントを削除した。
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