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兄さんはいきなり下駄を手に持ち、芸術作品にその足跡をつけた。
気は確かか? 折角の美しさを台無しにしてい……ない!
下駄の足跡、言わばあの太い一直線から溢れ出る力強い信念、
それが作品の完成度をさらに一段階上へ引き上げている。
信じられない。下駄がこんな離れ業をやってのけるとは。
「オメェがよ、足跡に拘っていると聞いて、わざわざ遠方から取り寄せた。
だけどな、届いていざ見ると何かが足りない。
それで坂越家で作っている下駄を今、押してみたんだ。どうだ、綺麗か?」
俺は下駄の本質を見抜けていなかったようだ。
案外、下駄も悪くない。いや、最高だ。
足跡の最高傑作から滲み出る麗しさに心揺さぶられた俺の口からは、
無意識にこの一言が出ていた。
「兄さん、俺……やっぱり戻ってもいいですか?」
恐らく駄目だろうな。俺は一度、下駄を投げ出した身。
簡単に許されるはずがない。ははは、これからどうやって生きていこうか。
すると、兄さんは渋い顔をしていった。
「遅すぎる。もう一席しか空いてねぇぜ」
俺たちは笑った。久々に兄弟で顔を見合わせて、笑った。
その後に兄さんと一緒に食した自然の恵みフルコースは格別の美味さだった。
結局、俺は下駄職人として、また、足跡マーケティング
下駄部門の専門トレーダーとして一から修行に励んだ。
心機一転、人生をやり直す。悔いはない。
下駄から受け取った信念を胸に抱いた俺は、
目先の利益に囚われるのではなく、その遥か遠くを見つめるようになった。
兄さんも引き続き会長として、下駄の振興活動に当たっている。
二人で頑張る。単純なことに思えるが、今日までそれができていなかった。
こんな未熟な俺を成長させてくれた下駄に感謝したい。ありがとう。
そして、孤立無援のスリッパにも救いを。
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