返り道

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乗り込んだ客車は歴史物のドラマでよく見るような、これぞまさしくSLの客車といったレトロな内装だった。 今まで歩いてきた町と同じように、人の気配はない。誰かが乗ってくることもおそらくないだろう。 やがて汽車は走り出した。四人掛けの席の隅に座りぼんやりと窓の外を眺めた、暗闇のなか街灯の灯りだけが流れる。 『本日はご乗車誠にありがとうございます。まもなく乗務員が切符の確認に参ります。お客様におかれましては、切符をお持ちの上でそのままお待ちください。繰り返します……』 そんなアナウンスが車内に響いたと思えば、間髪いれずに客車の扉が開いた。入ってきたのは帽子を深くかぶり、ネックウォーマーで顔を隠した人物だった。 「切符を拝見しまーす」 軽薄そうな男の声が響いた。 「おや? もしかしてお客さーん、無賃乗車っすかぁ?」 当然切符なんて持っていない、俺はあわててポケットの中をまさぐり財布を取り出し中を確認すると、いつの間にか見覚えのない真っ黒い紙きれが入っているのに気がついた。 紙の裏には、ついこの前まで使っていた中学の、それも自分の名前が書かれた名札がプリントされていた。 「なぁんだ、ちゃんと持ってるじゃないですか」 ちょいと失礼。乗務員の男が軽口を叩きながら私から紙切れを奪い取ると、男は制服のポケットからハサミを取り出した。 そのハサミは汽車の乗務員が持つには小さく、目を引くほど真っ赤で、ゴツゴツとしていた。 そのハサミは紛れもなくあのとき私が切り刻んだザリガニのハサミだった。 ※※※ 昔から我慢ができない子供だった。3時のおやつの時間が待てなかったり、集合時間よりも滑り台を優先して幼稚園の先生に怒られたり、早く遊びたくてご飯を急いで食べて吐き戻すような、そんな子供だった。 当然アタリを待つことが醍醐味の釣りなんて得意なはずもなく、ザリガニですら釣ることができなかった俺はよくこうして不貞腐れていた。 「そんなところでなにしてるのー?」 それでも声をかけてくれる子は何人かいた。だけど、私の周りに集まってくる子達の顔にはクレヨンで塗りつぶされたような黒い目線が入っていた。 顔も名前ももう思い出せない。興味がなかったわけではない、覚えられなかったのだ。 それでも、声をかけてくれたことだけは覚えている。 「どうせつれないもん」頬をふくらませながら俺はそう答えた。 「じぁさじゃあさ!」その中の一人、幼なじみの少女が屈託のない眩しい笑顔でこう答えた。 「私がいっぱいつったらさ! いっぴきあげるよ!」 その言葉に顔を上げる、目の前には彼女の手が伸ばされている。 俺がその手を取ると直ぐに引っ張り上げられ、太陽の光が眩しく反射する釣り場へ皆と向かった。 ※※※ 楽しそうに遊ぶ子供たちを眺める。あの場に……あの中に俺という少年がいたことは確かだが、今はもう自分の姿はあの集団にまぎれて見つけることはできない。 ふと、釣糸を引き上げてみると餌のイカがなくなっていた。 用意していたイカもすべてなくなっていた、途中から食べながらやったのが災いしたらしい。 釣果なし。現実はこんなものだと諦め、帰るためにゴミを集め始めた。 「おにーさん!」 背後から声をかけられ、振り返るとあの少女がそこに立っていた。 「つれなかったのー?」 あい変わらず顔はよく見えないが、無垢な瞳で問いかけてくる。急に話しかけられた衝撃でうなずくことしかできない。 「そーなんだー……」そうすると少女は不思議な笑みを浮かべた。 「おにーさん、てーだして!」その言葉のままに手を出すと、少女は何か刺さるような物を俺の手の平に押し付けてきた。 それは、とても小さな体に立派なハサミを持ったザリガニだった。 「いっぱいとれたからいっぴきあげる!」 突然ザリガニを渡された俺はそれをとり落としそうになり、あわててつまみあげる。 一方のザリガニも乱暴な扱いをされたせいか、ハサミを振り上げていた。 突然の出来事に驚き、ザリガニとにらめっこしているさまを見て少女は満足したのか、 「じぁーねおにーさん! バイバーイ!」 まるで友達に別れを告げるように俺の前から消えていなくなった。 引き止める、間もなく…… 違う…… 俺が欲しかったのはこんなちっぽけな慈悲じゃない、もちろんザリガニなんかでもない。 腹の奥底からどす黒い感情が湧いて出る。 違う、違う、違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!! ポケットからハサミを取り出す。その刃はザリガニの腹に向かっていた。 優しさか? 違う! 達成感か? 違う!! 不器用であることの言い訳か? 違う!!! 自問自答と共にハサミを動かし続けた。 足元にはザリガニだったものが転がる。 俺の手元に残ったのは無惨な姿になったザリガニのハサミだけだった。
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