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「いや情緒不安定かよ」
無言を貫く俺に男が突然言いはなった。そう言う男の周りには空になった発泡酒の缶が転がっていた。男は5本目の発泡酒を傾けながらこう続けた。
「どうせあれだろ? ザリガニ釣りも実はたんなる思い付きで、チョビに会いに行ったのも引っ越し準備から逃げ出す口実だろ?」
「そんなことはない!」
「だよな、知ってた。お前の悩み自体は本物だ。まあ、実際お前は今現実から逃げ出してる訳だけど」
そう言うと男は6本目の発泡酒をポケットから取り出した。
この男、先ほどから人間離れしたペースでお酒を飲んでいる。しかしそれでいてしゃべり口調は相変わらず軽薄だが一つ一つがハッキリとしている。おかげで意味の解る解らないに関わらず、彼の発する音が全て刺さってくる。
「思春期特有の悩みってヤツ? 美しいねえ、正直うらやましいよ、いつまでも悩んで悩んで悩み抜いて、そんで悩んだ末に自爆するなんて大人になったらできないよー」
「……まるで俺が自爆するような言い方っすね」
「だって現にしたじゃん、てかしてるじゃん現在進行形で。まあ、爆発の種類にも色々あるけど」
「……」
今朝から汽車に乗る前までの、そしてこれまでの歩みを振り返りそのことを深く実感する。
「爆発の種類にも色々ある、派手な自爆はもちろん、それはそれはキレイな花火が上がることだってある。爆風が誰かの糧になることもあるかな、時には爆発が爆発を呼ぶ誘爆なんてもんもあるなぁ」ニヤケ面でつらつらと言葉を並べる。それは年を重ねた老人の言葉のように重く、なにも知らない若者の言葉のように薄っぺらだった。
「ただ、一番ダメなパターンは燻って燻って燻りまくった先にある」
醜い不発弾だよ。
※※※
夕焼けの茜色が路地裏の住宅街に差し込む。チョビの前で泣きはらしはしたものの、とくに何か変わるわけでもない。
今はこのどうしようもない黒い感情をどこかにぶつけたい気分だった。
やがて、中学校にたどり着いた。私の通っていた、そして母校となってしまった中学校に。
やがてフラフラと私はその場所に足を踏み入れる。
職員室、美術室、体育館、理科室、PC室、家庭科室、図書室、通常教室、そしてトイレ。
段々と、呼吸が荒くなる。思えばここにセーフゾーンなんてなかった。
いつからだろう、クラスで浮くようになったのは。
いつからだろう、名前の知らない後輩にバカにされるようになったのは。
いつからだろう、誰も彼も頼れる人がいなくなったのは。
いつからだろう、
ひとりぼっちになったのは。
先ほどから、違和感があった。校舎内の何処に行ってもガスの臭いがする。
教室のストーブをよく見ると油まみれになっていた。周囲には灯油や食用油のボトルやアルコールランプの残骸が転がっていた。
もしやと思い特別教室…理科室や家庭科室のガスの元栓を確認すると、チューブを傷つけた状態で元栓が全開になっていた。最低限の処置を行い理科室を出て廊下の奥に視線を移すと、その場には居るはずのない人物と目が合った。
それは紛れもない中学生時代の自分だった。
遠目にも呼吸が荒くなっているのが解る。
俺を見た中学生の自分は、何を思ったのか一目散に逃げ出した。
「待っ……!」
あの頃の自分と話しても何となく無駄だとわかる。それでも話したい一心で俺は走り出した。
あの頃の自分の隠れ場所、この学校の人の来ない場所と言えば数えるほどしかなかった。
図書室の隅、校舎中央のトイレを確認して最後の砦。俺の通っていた教室、特別支援学級の扉を開けた。
夜とも夕方とも取れない狭間の時間、教室の窓からは本来なら夕食の準備を始める家々の灯りがよく見える時間帯だが今日は点いていない。まるで町から誰も彼もいなくなってしまったようだ。
特別支援学級の二つある扉の内の片方はバリケードで固く閉ざされていた。仕方なくもう一方の扉から教室に入る。
この教室は内部の壁で二つに仕切られており、休み時間なら壁に設置された中扉から自由に出入りができた。しかし扉が開いているか否かで精神的なハードルはかなり違う。
二つの教室を分ける扉は案の定閉ざされていた。俺が扉に手をかけようとしたその時。
「来るな!」
頭にに直接響くような大きな金切り声が響き渡り、思考と視点が入れかわる。
「今さら何の用なんだよ!」
扉の向こうのその人物は…………
「話をしたい、扉を開けてくれないか?」
「今さらあんたらに話すことなんて何もねぇーよ!」
俺は拒絶を続けた。思ってもない言葉が次々と口から飛び出してくる。
「いつもいつも遅い遅いって言うくせに、何で気がつかないんだよ、もう遅いんだよ! 今さら動いてもなにも解決しないんだよ!」
「全てが遅すぎるなんてことはないんじゃないかな」
「だから遅いんだよ! 何もかもがさ! じゃなかったらここまで苦しくならない!」
不意に窓からどすん! という音が聞こえてくる。最初は一発だけ。そのうち二回三回と音の数が増えてくる。いじめっ子が雪玉を投げてきた音だ。
「じゃあ何で早く先生に言わなかったんだ!」
「言わなかったんじゃない! 言えなかったんだよ! それにSOSはもう出した!」
そうしている内に窓の音はどんどん大きく速くなる、そのうち人の笑い声も加わってきた。
「……! ……! 」
扉の向こうの声も段々と窓の外の音にかき消されていく。
音が大きくなるにつれて段々と呼吸が荒くなってくる。
そのうち何もかも見るのもやめてうずくまり、耳をふさいで動けなくなってしまう。
窓の外の音も次第に大きくなり、扉からの声かけも怒号のように聞こえてくる。
もうこんなのは嫌だ
もうやだ、もうやだ、もうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだ、もうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだ!
プツンっと何か切れたような音がした。
周囲の動きが、段々とスローモーションになる。
音は聞こえているけど聞こえてこない。
周りの全ての色が抜けて、灰色になってゆく。
そこにある感情は、無。無そのものだ。
やがて私は、ポケットに右手を伸ばし、カッターナイフの刃を出す。
左腕を出し、意識するのは、自分の血管。
左腕と右腕を縦方向に水平になるように伸ばして、右腕を、天高く掲げる。
そして、俺は、素早く右腕を振り下ろした。
叩き続けたかいあってようやく扉が開いた。
そこにあったのは、粉々に割れた窓ガラスと魔法陣のような配置の机と椅子。バリケードのつもりだったのだろうか。
そしてその中央には、真っ赤な血溜りが広がっていた。
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