ただいま、おかえり

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「ただいまー!」 涼くんが元気良く帰って来た。 「おかえりー!」 僕と一伽が同時に言ったのを聞きつけて、涼くんは急いで部屋に入って来た。 「あ! おじさん!」 「お邪魔してるよ。今日は涼くんにキーボードをあげようと思って」 僕はリュックから、ケースに入っているキーボードを取り出し、ケースのファスナーを開いた。 「ほんと⁈」 ランドセルを投げるように置いた涼くんは、僕の横にぴったりとくっついた。 「使い方を教えてあげるね。見ててごらん」 「うん!」 目を輝かせている涼くんは、まるで昔の自分のようだと思った。初めてキーボードを買ってもらった時、僕もこんな表情だったに違いない。 「中学校は何部に入るの?」 「ギターマンドリン部に入りたい。ほんとは友達とバンド組みたいんだ」 「そうか、いいメンバー見つかるといいな」 趣味が合う男同士は打ち解けるのも早かった。すぐに涼くんは僕を名前で呼んだ。 「爽おじさん! ここ押したらどうなるの?」 「ここはね、ほら、リズムが出るんだよ」 「わー! すげー!」 ホッとした表情で一伽が僕らを見ていた。 東京に帰って、マネージャーの安藤くんに結婚する、と伝えた時は、目玉が飛び出るくらい驚かれた。 「だ、誰とですか⁈  ……は? その県の? 一般女性⁈」 「うん。だから、あの物件に住んでもらう。曲作りの時は向こうで暮らすからよろしく」 「マジですかー!! 俺、仕事どうなるんだろう」 事務所は、ああ、そういう年齢だよね、ということで、地味に発表してくれた。アイドルでも俳優でも無いので、そう騒がれることも無く終わった。 三月の始め。引っ越すにしても、涼くんに理由を言わないといけない。 二月はひと月に三度向こうに行って、リフォームの進捗状況や涼くんとコミュニケーションを取った。いつでもわからない時は電話していいと言ったので、キーボードに関する質問の電話も掛かって来たし、こちらからも電話した。 「わかってくれると思うから、正直に言うよ」 「涼も、何となくはわかってるとは思うんだけど……」 金曜日の夕方、涼くんが学校から帰ってきた。 「ただいまー! あ、爽おじさん!」 「おかえりー!」 僕の声を聞く前にもう靴を見てわかるようになったのか、涼くんは玄関先で僕の名前を呼んだ。僕が手を挙げるとパシッと叩くのもお馴染になった。 「おじさんさ、涼くんのおかげでギターも練習するようになったよ」 「一緒に弾けたらいいのになー」 「うん。それはおじさんもそうしたいと思ってね。それで、色々考えたから涼くんに相談なんだけど」 涼くんが真剣な表情で僕を見つめてくる。 「涼くん、楽器が思い切り弾ける場所に、お母さんと引っ越してこないか?」 「それは、おじさんの家?」 「そう。でもおじさんは東京で仕事があるから、曲作りをする時に帰って来る。その時に一緒に演奏しよう」 しばらく、ひとところを見て黙って考えていた涼くんは、慎重に口を開いた。 「……おじさん、僕の先生だけじゃなくて、お父さんになってくれるの?」 「ああ、そうだよ」 「やった! ずっと一緒に楽器弾けるんだね!」 涼くんは飛び上がって喜んでくれた。 「ただいま」 「おかえりー!」 ただいまと言ったのは僕で、お帰りと言ってくれたのは一伽と涼だ。あっという間に涼も中学二年生になり、声変りをして背が高くなってきた。 「父さん、待ってたよ! このフレーズ弾けるようになったんだ!」 アンプからクリーントーンのギターの音色が流れ始めた。 見た目もフィリップに似てきて、少し辛いと一伽は言うけれど、僕はこう言った。 「涼はフィリップよりもすごいギタリストになるから待ってろよ。涼を自分の元で育てなかったことを後悔させてやろう」 僕の勢いに、一伽はキョトンとした顔をすると、こだわってるのは爽くんの方ね、と笑った。 「すごいな! ギターの先生にコツ習ったのか?」 「ううん、自分でいろいろやってみた」 「涼、その時間を少し勉強に充ててくれない? 母さん三者面談で冷や汗が出るわ」 「英語はやっとけよ? 海外のミュージシャンともやり取りするんだから。そうなると社会も必要だし、理科と数学も音楽理論理解するのとか楽器改造するのに必要だぞー!」 「なんだよ、全部じゃんか」 「そうだよ、だから夕食まで勉強してこい。その後はスタジオに入ろう」 「マジで? 父さん俺勉強してくる!」 走ってドタバタと自分の部屋に向かう涼を見て、一伽が溜息をついた。 「爽くんの言うことは聞くんだから……」 「ニンジンぶら下げてるだけだよ。いつもありがとう一伽」 一伽に口づけると、やっぱり体の芯から熱く痺れる。 僕はこの人に出逢うために生まれたのだと思う。 そして、ミュージシャンで良かった。そうじゃなければ、涼ともここまで仲良くなれなかっただろう。 全部は一伽に出会うための必然だったんだ。 「明日の朝、山に散歩に行こうよ」 「うん。久しぶりだね」 そしてきっと、またあの場所で、僕は君を抱きしめてキスをする。 「ねえ、爽くん、そろそろハトさんに報告しなくていいかな」 「一伽からそう言ってくれると思わなかった」 「明日の夜、涼が友達の家に泊まりに行くの」 「じゃあ、久しぶりにハトさんとこ行こうか」 翌日の夜。僕らは久しぶりにハトさんのバーに顔を出した。 ハトさんが手を繋いで一緒に現れた僕らを見て、グラスを落とした後、薬指の指輪を見て大泣きした。 「驚かせるなよ、爽ちゃん……! 一伽連れてくるなんてさぁ……!」  そこにいるお客さん達まで祝ってくれて、皆で踊りまくって大変なことになった。 一伽の踊る姿を久しぶりに見た。 昔、ステージから客席を見た時と同じように自由に踊る彼女。 ずっとこんな風に笑顔で踊っていてもらおう。 おばあちゃんになっても、僕の側で。 それが僕の願いだ。 僕は何度も心の中で繰り返し願った。 「ずっと一緒にいてよ、一伽」 「え? 聞こえない! 爽くん、なあに?」 仕方がないな。僕はハトさんのいるDJブースからマイクを取って言った。 「一伽、愛してる!」 ギャー! きゃー! とあちこちから悲鳴が上がり、フロアは大騒ぎになって揉みくちゃにされた。 一伽が笑って僕の耳元で言った。 「爽くんありがとう。ずっと一緒にいてね」 やっと、一伽のこの店での辛い思い出も、それから乗り越えてきた現実も、上書きできたような気がした。
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