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この人は音楽が好きな人なんだ。音楽の話になるとキラキラと目を輝かせる。
「で、爽さんのこの曲なんですけど、どうしてこれアルバムに入れなかったんですか? とってもいい曲っていうか、すごく匠の技が光ってる曲なのに!」
一伽はEPの二曲目に入っている、マイナーな曲を話題にした。そんな曲まで聴いてくれてるんだ。
「だって、この曲とても切なくてセクシーな曲なのに、誰もそこを話題にしないでしょう? インタビューとかも読んだけど、都会的なディスコですね、ってそれは形式の話で、中身の話じゃないしほんとに呆れちゃった、インタビュアーに」
少し酔いが回ってきたのか、一伽は一気に曲の感想を口にした。
僕は感動していた。
音楽を聴くと言っても色んな階層があって、気持ち良ければいいという人から、曲を書いた人間の意図まで汲んで聴く人までいる。
そしておそらく彼女は僕の曲を深く聴いてくれているのだ。
直接曲の深い感想が聞けるなんて、そうそうないことだ。もっと教えてほしい、君がどこまで僕の曲を聴いているのかを。
「あの曲のどこが好きなの?」
「あの曲は私大好きなので、ずっとリピートして一時間くらい聴いてたんですけど、ある時に気付いて」
「何を?」
「淡々と歌ってるお洒落ディスコじゃない、この曲は熱情を巧妙に隠してて、でもその曲を伝えたい相手の人にだけは伝わる曲なんだって」
一伽は完璧に僕の曲の意図を看破した。
その曲は、昔僕が夢中になっていた人に向けて書いた曲で、本気で好きだったけれど、絶対に振り向いてもらえない辛さと彼女が欲しくてたまらない気持ちを、お洒落に聴こえる編曲とで少し奇妙なコーラスでコーティングした曲だった。
「曲の早さも不思議ですよね。車に乗って聴くと遅く感じるのに、じっとして聴くと早く感じる」
その曲のテンポはね、と言おうとしてやめた。初対面の女性に言う話じゃないし、誰にも言わなくていい類のことだ。その曲の早さは、僕がその人を愛した時の身体のリズムだなんて。
だから、淡々と歌っている。本当は劣情を潜ませた曲だから。
「……うん、乗り物に乗った感じのテンポじゃないかもね」
それだけを言うにとどめた。
「ゆったりしてるのに急いてる感じもあって不思議な感じがします」
それ以上追求しなくていいよ。僕がすごくいやらしいのがバレてしまう。
そんなキャラでは売ってないしさ。
こんな風に僕の曲を理解してくれる人がいるんだ。それだけで嬉しかった。
そう、僕の想いはここで止めなければ。この人は僕が好きなのではなく僕の曲が好きなのだから、勘違いしてはいけない。
なのに、一伽はくるくると表情を変えて、僕があの時ライブで見た自由な感じで身体を動かしながら音楽にノり、僕に笑顔を見せる。
「Ain't No Stoppin' Us Nowだ~!」
一伽が両手を振ってリズムに乗る。ハトさんがMCを入れながらお客を煽ると、狭いフロアで踊りだす人が増えた。
僕はその一伽の開いた手に自分の手を重ねて指を絡めて握った。僕よりも小さくて薄い手から甘く痺れが走って僕を貫く。
ダメだ、僕はこの人を好きになってしまった。
取り立てて美人でもない普通の子なのに、僕にとっては特別だ。
気付いてる? すごく気持ちいいんだ。君もそうだろ?
手を握り合って左右に振ってるだけなのに。
他にもお客さんがちらほら来ていたけれど、僕は奥のカウンターで奥に座る一伽の方を向いて話していたから、僕に気付く人はいなかった。
「ハトさん、今日はお客さんに僕だとは言わないでください、今一伽さんと話してるのが楽しいから」
「ああ、そのつもりだよ。ごゆっくり」
ハトさんは僕に目配せしてニッコリと笑い、別の客にオーダーを取りに向かった。
僕は愛想を振りまけるタイプではないから、こういう場所で中途半端にちやほやされるみたいなのが苦手だ。マスターもそれを理解してくれている。
それにきっと、ハトさんにはバレている。マスターは長年カウンターの中からたくさんの男女のラブアフェアを見てきたはずだ。
今僕はきっと一伽をそういう目で見ている。
この人と一晩中話したい。
言葉だけじゃなくて、身体も使って。
「あ、もうこんな時間!帰らなきゃ」
バタバタと一伽は帰る支度を始めた。
「もう帰るの?」
「終電無くなるし」
「一伽ちゃん、明日は来てくれるよね?」
明日は僕がこの街でライブをする。こんなに僕の曲を理解してくれる人が来ないはずは無いと思った。
ハトさんに支払いをしながら、彼女は振り返って言った。
「ごめんなさい、どうしても都合がつかなくて」
「チケットなら準備できるよ」
「……爽さん、いいライブになることをお祈りしてます」
寂し気に一伽は言って、店の出口に向かった。
「待って、下まで送るよ。ハトさんちょっと行ってきます」
「……ああ。見つからんようにな」
そうだ、僕は顔が世間に出ている人間だ。マスクをしてまで、どうしてこんなことを。ここでさよならでいいじゃないか。頭の中ではそう思うのに、全く理性が働かない。
僕と一伽はオレンジ色の扉を開け店を出た。エレベータホールでエレベータが上って来るのを待つ。
「どうして? 仕事?」
「家族の都合で……あの、申し訳ないので送っていただかなくても」
急に他人行儀な言い方をするなんて、僕は嫌われるようなことをしただろうか。
「……ねえ、帰らなきゃダメ?」
エレベータが来て金属製の扉が中心から左右に開いた。誰も降りてこない空っぽのエレベータの内部が眩しいくらいに明るく照らされている。
僕はエレベータでは無く、その向かい側にある背後の扉のノブを回して開けた。
その中に彼女を引き込む。
薄暗い非常階段。照度の低い蛍光灯がぼんやりと光っている。
「爽さん⁈」
「一伽、好きになった」
僕はマスクを外すと、一伽を壁に押し付けて腕を回し唇を奪った。さっきまで彼女が飲んでいたカシスソーダの味がする。
地方公演の時にミュージシャンが、その土地のファンの中からピックアップした子と遊ぶ。よくある話だ。
こんなことする人間じゃなかったはずだ、僕は。
でも、本気なら?
そう、僕は遊びの恋は出来ない。
恋する時はいつだって本気なんだ。
だから、曲ができる。
一伽、僕にもっと曲を作らせて。
君が欲しければ欲しいだけ、僕は君が好きな曲を作るよ。
だから、君を、今夜は僕にくれないか。
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