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(咄嗟とはいえ、受け止められて良かった)
怪我で済まなかっただろう。
下手すれば何人も巻き込む大事故だ。
「あ、ありがとうございます……え……と」
「転んだみたいだけど。怪我は?」
「ないです、ないと思います」
彼らを取り巻いていた人たちは、彼女が階段の上から落ちてきた瞬間は静止していたけれど、もう動き出している。
いつもの朝、それぞれの日常に慌ただしく戻っていく。
そんななかで、彼は彼女を抱きかかえていた。
「気をつけて。本当に危ないから」
そこで、はじめて目が合った。
彼は世界が一旦動きを止めたように、世界中から音が奪われたように、自分と彼女以外が消え去ってしまった心地になった。
息が、一瞬、とまる。
影が降って来た時の、あの感覚とは、また違う。
「あの、」という、彼女の申し訳なさそうな声で我に返った。
「すみません……足を踏み外しちゃって……」
彼女はようやくひとりで立ち上がった。
そして、一段上に立って彼を見る。
それでもまだ、彼の方が視線が高い。
「ありがとうございました」
「怪我がなくてよかった」
「はい」
彼女は丁寧に頭を下げた。
綺麗な長い黒髪がさらりと流れる。
「じゃあ」
彼が見守る中、彼女は階段を軽やかに上がっていく。
彼は階段に立ち止まり、その背を見上げていた。
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