21.暴力団関係者 Gang Members

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21.暴力団関係者 Gang Members

 令和二年一月二日。私は電話をかけた。相手は水上。ニュースで報じられた状況が、事前に水上から聞いていた内容と違うのだ。  彼の話では、倉沢は六日に自殺と見せかけて殺される計画だった。それが元日のうちに殺されたと来た。  水上からは「連絡をするな」と釘を刺されていたが、いかなる事情か確かめずにはいられない。 「……出ないな」  数回のコール音の後は、無機質な沈黙。何度か時間を置いて掛けてみたものの、その日は水上が出ることは無かった。 「まあ、いいや」  少し不安な気持ちはあったが、気にしても仕方がない。私は時折襲ってくるモヤモヤした気持ちと戦いながら、残りの正月休みを過ごした。  一月七日。実家から東京に戻った私の携帯に着信が入った。菅野からだ。 「沙紀ちゃん。明けましておめでとう」 「うん。今年もよろしくお願いします。もう退院したの?」 「おかげさまでなぁ。けど、しばらくは無理したらアカンって医者に言われたわ」  電話の向こうから聞こえた声は、とても健康そうだ。私はホッと胸を撫でおろす。 「菅野さんが元気になったのなら、何よりだよ。で、どうしたの? 新年の挨拶をするだけなら、メールでも良かったと思うのに」 「実はな。沙紀ちゃんが例の件を進めてるって話を聞いたんや」 「例の件?」  言いにくそうに、菅野は声を潜めた。 「殺しの件や」 「ああ! あれか。私、水上さんって人に頼んで進めてもらったんだよね」  誰に聞かれているとも分からぬ電話だったが、私は菅野に事の次第を全て説明した。 「なるほど……ほな、依頼料はあたしが立て替えたるわ」 「えっ! ほんとに? いいんですか?」 「もちろんよ。元はと言えば、あたしの方から持ち掛けたことやし」  水上への報酬は残り、百五十万円。私にとっては大した金額では無かったが、肩代わりしてもらえるのは有難い。厚意は素直に受け取ることにした。 「ありがとうございます!!」  翌日以降、水上から頻繁にLINEが送られてくるようになった。内容は至って日常的なもの。 「〇〇の『〇は〇〇のように』って曲。あれはマジで泣けるよねぇ」  私は送ってみた。 「何かあったの?」  すぐに返信が来る。 「あれを聴いてると、昔付き合ってた女を思い出すんだよ」  LINEのやり取りを重ねていく中で、水上について様々なことが分かってきた。埼玉県の熊谷市出身で、年は私と同じ。学生の頃は陸上競技をやっていたという。 「最初は短距離だったんだけどね。周りに勧められるまま投擲競技に移行したんだ」 「へえ。そんなことが」 「高校の頃は砲丸投げで記録も持ってたよ。まあ、やめちゃったけどね」  私達はごく普通に連絡を取り合うようになっていく。そんなある日、夕方頃に電話がかかってきた。 「水上君、どうしたの?」 「芸能プロの新人で、目をかけてる子がいるんだよ。紹介しても良いかな?」 「構わないよ」  ここで私は疑問を持たねばならなかった。  どうして、自分に紹介するのだろう――。  何か魂胆があるのではないか。そう考えるのが普通だが、私は何の気なしに待ち合わせの場所へと向かった。 「悪いねぇ。忙しいところ」 「大丈夫だよ。暇だったし」  招かれたのは六本木のレストラン。前の年の10月に後輩たちと共に食事に訪れた店だった。 「で、紹介したい子ってのは?」 「おう。入ってこい!」  水上の合図に応じて現れたのは、いかにも全てが軽そうな若い女だった。 「初めまして~。セイネでーす!」  そう甘ったるい自己紹介をすると、彼女は私の隣に当然のように腰かけた。 「は、初めまして…」  水上曰く、セイネと名乗る女は上京してきたばかりの22歳。元々タレント志望で上京してきたものの、鳴かず飛ばず。グラビアやイメージビデオへの出演をこなす毎日。  タレントとしては、大した仕事にありつけない状況が続いているらしい。  私はセイネの方をちらりと見た。ルックスも印象も普通。これと言った特徴もない。バストも私とあまり変わらない一般的なサイズで、身長もそこそこ。水上が彼女に、目をかける理由が分からなかった。 「霧島。どうかな? 君から見て、セイネは芸能界でやっていけると思うか?」  どんな言葉をかけたら良いのか、私は返答に困ってしまった。見た限り、セイネはどこにでもいる所謂「量産型」の女の子だと感じたのだ。 「磨けば輝く、宝石の原石みたいな娘だと思うよ。今はまだ粗削りだけど、これから着実にステップアップしていけばきっと売れる」  そう答えるのがやっと。他に適切なコメントは浮かばなかった。 「霧島、週刊新星でセイネの記事を書いてくれないか?」  どうやら、それが目的だったようだ。しかし残念なことに、水上のリクエストには応えられない。 「ごめんね。私は社会班の人間だから、芸能関係の記事はちょっと……」 「じゃあ、新星の巻頭グラビアに出さしてもらうっていうのはどうかな?」 「それも私ひとりの裁量じゃ、どうにもならないんだよね」 「うーん。だったら、どうにかできる人間を紹介してほしいな」  その口調からは、是が非でもセイネを売り込みたい思惑が伝わってくる。芸能事務所の背後につくヤクザは何度となく目にしてきたが、単なる「ケツ持ち」に終わらず営業活動にも本腰を入れる者は水上が初めてだった。 「わかった。とりあえず、上に持ちかけてみるよ」  そのような返事をしたが、私に上申する気はさらさら無かった。反社会的勢力の排除が声高に叫ばれている昨今、暴力団絡みの仕事と知っていながら引き受ける会社が、どこにあるというのか。 「頼んだぞ」  水上には申し訳ないが、新星は週刊誌だ。仮に出してやったとして、事の真相が発覚すれば大問題に発展するだろう。  普段はスキャンダルを追う立場の我々が、追われる側になってしまう。編集会議に上げたところで却下されるのは目に見えていた。  ならば、やるだけ無駄というもの――。  そんなことを考えながら水上の話を聞いていた。グラビアの話は後日、適当な嘘で誤魔化して立ち消えにさせようと考えた。その後、水上とは芸能界の話や些細な小ネタを交換して時間が過ぎた。 「つい、長話になっちゃったよ。付き合ってくれてありがとな」 「ううん。おかげで良い暇つぶしになった」 「それじゃあセイネの件、頼んだぞ」  水上がカタギの人間であれば、力になっても良かったのにと思った。どのような魂胆があるにせよ、誰かが自分を頼ってくれるのは素直に嬉しい。私は少し複雑な気持ちで二人を見送った。  それから間もなくして、再び電話が入る。 「よう霧島! 例の件、伝えてくれたか?」 「ごめん。編集会議で却下されちゃった」  本当は、提案すらしていないのだが。 「そうか……残念だな」  ここでの返答は意外にも、あっさりとしていた。しかし翌日、水上から別件で電話が入る。 「ねぇ、何か耳寄りな情報を持ってたりしない?」  私はジャーナリストであって情報屋ではない。むしろ、こちらが情報を欲しているところだ。  水上は特定の著名人の名前を挙げ、彼らについて私が知っている事を話すよう求めてきた。だが、あいにく渡せる情報などは持ち合わせていない。 「なら、今から調べてくれよ。記事にしてほしいネタもあるしさ」 「ごめん。別件が立て込んでて、力にはなれないよ」  外部の人間に頼まれて記事を書くこともありえない。何か特別な事情があるなら話は別なのだが。その辺りの事情を丁寧に説明すると、渋々ではあったが諦めてくれた。 「わかったよ」  このような出来事が続き、私を利用しようとする水上の企みは自分の中で明白になっていた。  そんなある日のこと。いつものように共に食事を済ませた帰り道。車中、会話の中で気になることがあった。水上の口から、聞き覚えのある名詞が飛び出したのだ。 「陸上の畠山選手って、もうヤバいんかね」  その名を久々に聞いた。私自身、日々の忙しさにかまけてすっかり忘れてしまっていたほどだ。前の年の初夏にコカイン使用の件で強請ってから、まったく会っていなかった。私は思わず聞き返す。 「ヤバいって何が?」 「もう逮捕間近なんじゃないかって話。仮にそうなったら、代表選考にも間に合わなくなるよね」  なぜ、畠山が薬物中毒であることを水上は知っているのか――。  裏社会の人間であれば、知っていてもおかしくはない。しかし、この時の水上の口調には違和感をおぼえた。どこか不自然だったのだ。やがて話は別のテーマに移った。 「もっと取っても良かったと思うよ」 「ん」 「口止め料。畠山選手から、五十万円くらい貰ったんでしょ?」  私は凍りついた。  なぜだ――。  どうして強請りの件を知っているのか。畠山本人が漏らしたに違いない。 「お、覚えてないねぇ」 「誤魔化さなくたって良いじゃん。霧島、色んな方面からお金を強請ってるみたいだよね。この前も、三葉銀行の岸田専務からも百万くらい取ったんだろ」  水上は畠山の件だけではない。私が過去に強請りを行ったいくつかの人物について、大まかなデータを把握しているようだった。  私はすっかり、怖くなってしまった。首輪を付けられた動物のような気分だ。私は思い切って尋ねてみた。 「水上君……もしかして知ってるの? 私の副業について」 「知ってるとも。君の活躍は、こっちの世界でも有名だからね。『有力者の醜聞をネタに大金をせしめる悪徳ジャーナリスト』って。まったく、大したもんだよなあ」  相手はヤクザだ。情報収集能力には長けているはず。触れられたくない部分を触れられてしまった以上、どのような言い訳ももはや無意味であった。 「へえ……よく調べたんだね。でも、驚きだな。自分が知らない間に有名人になってたなんて」 「そういう噂は広まりやすいんだよ。ほら、『悪事千里を走る』って言うだろ?」  ヤクザであるお前にだけは、言われたくない――。  素直にそう思った。もちろん口には出さず、それから車中で口をつぐんでいた。年末同様、吉祥寺までの約三十分がやけに長く感じる。 「おう。それじゃあ、気をつけてな!」 「おやすみ……」  その夜以来、私は水上とは距離を置こうと思った。もう倉沢の件の報酬は払ったのだ。手切れにしても問題ないだろう。  かかってくる電話にも出ないようになった。LINEが送られてきても、数時間くらい経ってから返信するほどだ。これが水上の気に(さわ)ったのか。そのうち、留守番電話に入っていた音声は声を荒げたものが目立つようになっていた。 「シカトしてんじゃねえぞオラァ!」  同じころ、久しぶりに菅野から電話が入った。退院して以降、大事を取って自宅療養を続けていたらしい。水上とは対照的に、とても穏やかな声だった。 「沙紀ちゃん。心配かけてすまんなぁ。でも、休んだおかげですっかり良くなったよ」 「良かった。それなら何よりです」 「んでな。きょう電話したんは他でもない。沙紀ちゃんに伝えなきゃならんことがあんねん。いまから会える?」  会話の流れから、私は電話で話せない内容だと察した。すぐにでも行きたいところだったが、その日は片づけなければならない仕事があったので翌日会うことした。しばらく顔を見ていなかったので、会うのが待ち遠しかった。  そして約束の一月二十七日。場所は亀戸にある菅野の店。時刻は正午を少し過ぎた頃、ドアをくぐった私は店内にいた人物の顔に驚いた。 「えっ……」  水上だった。こちらをじっと睨みつけながら、菅野の隣に座っているのだ。私は状況を理解できない。 「よう。霧島!」 「どうして彼がいるの?」  私は水上の声を聞き流して菅野に尋ねた。 「ごめんな。恭介から『沙紀ちゃんと揉めた』って聞かされてなぁ」  申し訳なさそうに事情を説明する菅野。曰く私と水上の軋轢を知り、間を取り持ってやろうと考えたらしい。 「いや、そんなことしなくていいのに」 「でもな。うちの子が沙紀ちゃんに無礼をはたらいたんや。きちんと謝らなきゃいかん……ほら、あんたも謝りぃ!」  菅野に背中をパシっと叩かれ、水上は頭を下げた。納得がいかない様子ではあったが、形としては「謝った」ことになるのだろう。元来謝罪など求めてはいない私は、適当に受け流す。 「ああ、はいはい」  その様子を見ていた菅野は、軽く咳払いをする。ああいう仕草は場の空気を変えるのにぴったりだと思う。 「恭介はあたしにとって、息子みたいなもんやさかいな。自分の子が他人様に迷惑をかけたら、きちんと謝るのが筋。沙紀ちゃん。ほんまに済まなかったなぁ」  ヤクザの世界では親分たる組長に対して、子分ないし弟分が絶対的に服従する家父長制のごとき疑似的家族関係を構築する。  水上にとって菅野は「親分の姉」、一般家庭でいうところの「伯母」にあたる人物なのだ。筋を通す・通さないの意味は分からないが、身内の不始末を真剣に詫びる姿勢は理解できた。 「菅野さんがそこまで言うなら、もういいよ」  私は受け入れることにした。心なしか、彼女も笑っているようだった。 「話は変わるけどな」  ひと呼吸ほど置いてから、菅野は脇に置いたバッグから白色の封筒を取り出す。その分厚さが気になった。 「なに、これ?」 「前に言ったやろ。報酬は私が立て替えるって」  封筒の中に入っていたのは300万円の束だった。日常にかまけてすっかり忘れていた。 「あっ……」  菅野はにっこり笑うと、こちらに封筒を握らせる。 「ほら、この子に渡したってぇな」  促されるまま、私は菅野から受け取った封筒を水上に差し出す。 「はい、これ」  いま考えると、あれは実に不自然な動作だったと思う。立て替えてくれるなら、直接払えば良い。間に私を挟む必要など無いはずだろう。  しかし、そこに疑問が抱けないほどに当時の私は防御壁が脆くなっていた。 「確認させてくれ」  左手を伸ばして封筒を受け取った水上は、いつもの様子では無かった。はっきりと分かる。動作がぎこちないのだ。  妙にゆっくりとした手つきで、水上は封筒の口を開ける。  中からは札束が出てくる。やけに時間をかけて、彼は枚数を確認し始めた。  まさしく「丹念に」という形容詞が似合うほど、しっかりとチェックの目を入れていたように思える。  やがて水上は妙なことを呟いた。 「本当に良いんだな?」  良いも何も、私に問われても仕方がない。 「うん」  軽く頷いた適当な返事だったと記憶している。一方、菅野はそんな私に問いかけた。 「そういえば、どんな計画やったっけ?」  突然の質問に戸惑った。 「えっ」  どうして私に聞くのか。実行したのは水上なのだから、すぐ目の前にいる彼に聞けば良いではないか。そんな考えも少なからずあったが、おぼろげ記憶を基に私は説明した。 「たしか……車で(さら)ってタコ殴りだったはず。そうだよね?」  補足説明を求めるように、水上に目配せした。すると、彼の様子がおかしい。 「そういうの、良くないと思うよ」  突然そう言うのだ。意味が分からなかった。 「ああ?」  思わず、強い口調で聞き返してしまう。その場に一瞬、ひんやりとした沈黙が流れた。 「いや、常識としてさ。やっぱり人を殺すのは駄目だと思うんだよねぇ」  会話の流れが不自然過ぎる。考えてみれば、ここに至るまでの流れも自然ではなかった。ただならぬ違和感を覚えた私は、返す言葉に詰まってしまった。その場にひんやりとした沈黙が流れる。 「まあまあ、頼んだのはあたしだから」  菅野が間に入り、沈黙を破ってくれた。だが1度変わってしまった空気というものは、なかなか元には戻らない。  その後、適当に繰り広げた雑談も味気なかった。  水上とはこれを最後に、関係を絶とうと思った。人間関係で最も難しいことは、関係を終わらせることなのだ。暖房の音だけが部屋に響いていた。 「水上君、その節はどうもお世話になりました」 「おう」  これで良かったのか。  人には誰しも役割というものがあり、それは見えない何者かの手によって与えられている。これまで誰かを脅して金を取る役割の下で動いていた私が、まさか脅される側に回るとは。  この時は、考えもしなかった。
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