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1.生業 Business
令和元年六月十二日。
水曜日の午後、私は都内の某高級ホテルの一階にいた。ロビーに置かれたソファーにどっかりと腰を下ろしながら、取材相手の到着を待つ。
只今の時刻は十五時十四分。当初の約束をとっくに過ぎている。
ずいぶんと待たせてくれるな――。
待ち合わせの相手と、私は二人きりで会う予定だった。しかし、いくら時が流れても現れる気配が無い。
「はあー。もう、いつまで待たせるんだか!」
頭に浮かんだ言葉が、つい声に出てしまった。
思わず周囲を見回す。ホテルのロビーという場所柄、多くの人が行き交う雑踏にかき消されたのだろう。
幸にも反応した人は誰もいなかった。私は、ホッと息をつく。軽はずみな独り言を誰かに聞かれるのは恥ずかしい。
今度は口から出ないように気をつけながら、頭の中で「よかった」と呟いた。その直後だった。
「すみません……遅くなりました。西本さんですよね?」
「ええ、そうです。待ってましたよ」
待ち人がやっと現れた。陸上選手の畠山里緒菜。二十一歳。
練習の前後だろうか。
服装はジャージの下にTシャツ姿でスニーカーを履いている。ホテルのロビーには似合わない、カジュアルな装いだったが本人が整った顔立ちをしているせいか、あまり気にならない。
そんなアイドル顔負けの容姿を持つ畠山は、一部のメディアから「百メートルのプリンセス」と形容されている。
出場する大会は、テレビ中継が毎回のごとく高視聴率をはじき出し、彼女目当てで観戦に訪れる男性客も多い。
また、ルックスに劣らぬ実力も兼ね備えており、国内の主要大会を殆ど優勝。その年の時点でオリンピック強化指定選手にも選ばれていた。
名実ともに、将来を嘱望される美女アスリートであった。
ちなみに、私が彼女に名乗っている名前は西本。偽名を使わざるを得ない理由は、畠山を呼び出した目的にあった。
「例の件、本当に良いんですね?」
「……はい」
例の件――。
それは畠山が一枚のディスクを買い取る事だった。決して誰にも見られてはいけない、彼女の醜い姿がそこには収められている。
私は彼女に、その動画を五十万円で買わないかと持ちかけたのだ。
もちろん、ディスクを渡したところで数ある記録媒体の一つが消えるに過ぎず、動画のデータ自体はコピーを取って私のPCに保存済み。
畠山が買い取りに応じても、応じなくても、後に彼女のスキャンダルのスクープ記事が週刊新星から出るのは確実だ。
記事の最後には筆者として、私の実名が載る。畠山が「あの日、動画を買い取ったのに記事が出た!」と訴えれば、私は詐欺罪に問われてしまうだろう。そうなるのを未然に防ぐために、私は彼女の前で「西本」と名乗っているのだ。
「西本」はフリーの記者で、週刊新星記者の霧島とは別人。
そういう設定だった。
「なるほど。それは良かったです。でも、十四分の遅刻は流石に待たせすぎじゃないかな?」
「道路が混んでいたので……」
「この時間、道路が混むのはある程度事前に予測できますよね。もっと早めに出てきたらどうなの? そもそもあなた、自分がどういう立場か分かってる?」
「すみませんでした」
申し訳なさそうに頭を下げた畠山。私は、わざとらしく言った。
「しっかし、驚きですよねぇ。オリンピック候補がドラッグ中毒だったなんて」
「……」
ここで言うドラッグとは、いわゆる麻薬のこと。
畠山の黒い噂が浮上したのは、ちょうど三か月前。私が情報源として懇意にしている人物から、ネタの提供があったのだ。
女子陸上の畠山選手がコカインを吸ってる瞬間を収めた盗撮動画がある――。
初めて聞いた時には疑ったが、ネタ元に動画を見せられて一発で本物と確信した。
ネタ元から高値で買い取った私は、すぐさま畠山本人の連絡先を手に入れると、すぐさま電話をかけた。
「コカイン吸引ビデオ」の存在をちらつかせ、買い取るよう提案。当初、彼女は知らぬ存ぜぬといった素振りだったが、私が報道関係の人間である事を仄めかすと態度が一変。
「お願いだから記事は書かないでください!!」
電話で激しく泣きつかれ、急遽この場が設けられたのである。ここまでは計画通りに展開が進んでいる。あとは、現金の束を入手するのみ。
「持ってきてくれましたか?」
「はい」
畠山はショルダーバッグの中から白い封筒を取り出すと、こちらに差し出してきた。
「ここに、お金は入ってます。約束の額です」
私は中身を覗き込む。福沢諭吉が描かれた紙幣の数がきちんと五十枚あることを確認し、私は笑顔を浮かべる。
「たしかに。まいど、ありがとうございますね!」
一方、畠山は俯いていた。
「もう勘弁してください……」
吐き捨てるように呟く彼女からは、悔しさがにじみ出ていた。まさに「不本意」の三文字が見て取れる。
これだ。この顔が見たかったのだ。
表沙汰になったら確実に破滅するような弱みを私に握られ、渋々こちらの要求を呑んだ相手が見せる苦悶の顔。
私は、この女を屈服させてやったのだ――。
そう思った瞬間、とてつもない快感が私の体を電流のごとく走り抜ける。征服欲が瞬く間に満たされてゆく。
この気持ちよさは、一度味わってしまったら必ず虜になるだろう。そういった意味では麻薬と同類かもしれない。
私にとって、誰かを脅す事は非常に気持ちが良い行為だった。この快感が味わえるために、私は強請りを止められないのだ。
「ええ、もちろん。それはあなたに差し上げますよ」
「では失礼します」
「あっ。ちょっと待った」
立ち去ろうとする畠山を右手で制し、前のソファーに座らせた。
「何ですか」
「せっかくだから聞かせてくれません?どうして、ドラッグなんかに手を出したのか」
「……」
不安げな表情を浮かべた畠山に、私は穏やかな口調で言った。
「大丈夫 オフレコにしといてあげますから」
だが、本当は違う。真っ赤な嘘だ。美味しい話が聞けるのに、わざわざオフレコにするはずが無いではないか。
そ私は密かに服の内側に隠したICレコーダーを起動させる。後に本名で書く記事に載せる為である。
さらに、髪をいじるように見せかけて眼鏡の縁のスイッチを押した。私の眼鏡には小型カメラが搭載されていて、隠し撮りするのには打ってつけだ。畠山には悪いが、音声の他に映像の証拠もあった方が良いだろうと考えたのだ。
もっともコカイン吸引ビデオの件で、隠し撮りされるのには少し慣れているだろうが。
そんなこととは知らない畠山は、しばらく黙った後でゆっくり話し始めた。
「私は小さい頃から走る事が大好きで、中学・高校と短距離を続けていました。自分でいうのもおかしいですが、大きな大会で何度も優勝するくらいの選手だったと思います。でも、大学に上がってからはスランプに陥って、まったく記録が出なくなってしまいました。自己ワーストを更新する最悪のタイムで一年生が終わり、二年生に上がっても調子が戻りませんでした。大会では後輩に大きく抜かれ、オリンピック強化指定選手の座も、危うくなりかけてたんです。そんな時……」
「そんな時?」
「同じゼミの男の子に、あるパーティーに誘われました。彼とは会ったら話す程度の関係で、特に仲が良いわけでもなかったんですが『男一人じゃ参加しづらいから、一緒に参加してくれないか』ってお願いされて、断り切れなくて。彼からは『合コン』って聞かされてました。いろいろ悩んでた時期ですし、たまには気分転換も良いかなと思ったんですよね」
「そのパーティーでドラッグを覚えたと?」
畠山は小さく頷いた。
「はい。彼に連れていかれたのは、六本木の店でした。七、八人くらいの男女が集まっててて、みんなでお酒を飲んだり、カラオケを歌ったりして遊んでました。でも私はお酒が飲めないし、歌も下手だから、ただ周りが盛り上がってるのを見てるだけでした。そんな私に、主催者らしき男の人が白い錠剤みたいなものを手渡して来たんです。『何ですか?』って聞いたら『ヒーリングキャンディ』って言ってました」
聞き慣れない単語の登場に、私は思わず聞き返す。
「ヒーリングキャンディ?」
「はい。その人は『飲むと不安感やイライラが消えて、優しい気持ちになれる』って言ってました。何でも『お酒を飲んだ時と同じ効果が得られる』とかで。最初は怪しいドラッグなんじゃないかって、怪しく思いました。でも、その人が言うには『そのキャンディーはヨーロッパから直輸入したもので、現地では普通に薬局で売られている。まだ日本じゃ認可が下りてないだけのことで、体に害はぜんぜん無い』って」
「それで、飲んだのですか?」
畠山からは言いにくそうな様子が伝わってくる。彼女は声を潜めながら、生々しい事情を語った。
「……飲みました。さっきも言いましたが私、お酒が飲めないので。一度、飲んだ時の気持ちを味わってみたかったんです。ほんとに軽い気持ちでした。その時は、まさか後でこんな事になるなんて思いもしなかったので…あと、私自身が押しに弱い性格っていうのも関係してると思います」
「なるほど。で、どうなりました?」
私の問いかけに畠山は一瞬、目をうつろにさせた。
「三十分くらいで……変化が訪れました。突然、変わったんです。体がみるみるうちに軽くなるのが分かりました。フワフワしていくような感じです。自分でも変化に驚きました。今まで味わった事が無い、未知の領域に足を踏み入れたような気分になりました。その後はもう、一気にテンションが高くなって。普段は歌わないカラオケを歌いました。体が勝手に動くんですよね。歌おうと思った時には、もうマイクを手にとって歌ってる…みたいな。思考がどんどんポジティブになって、いつもなら絶対に口にしないような言葉も、次から次へと出てきました。『生きてることが楽しい!』とか。不思議な話ですよね。それまで、アスリートとしての人生に絶望していたのに」
畠山の話を聞いて、私は彼女が飲んだ錠剤の正体は合成麻薬「MDMA」ではないかと予想した。
以前、六本木周辺で出回っているという話を聞いたことがあったのだ。クラブやバーに出没する売人が流しているという。
「ヒーリングキャンディ」という言葉に覚えは無いが、おそらくはその筋の人間が使う隠語だろう。畠山はこうも話していた。
「キャンディの効果はパーティーが終わるまで、ずっと続きました。終盤、主催者は私に錠剤を七つくれました。『プレゼントだよ。気持ちが不安になった時、イライラした時に飲んでごらん? リラックスできるから』って。その人は私が陸上をやっている事を知っていました。たぶん、インカレのテレビ中継を見たんだと思います。記録に伸び悩んでいる事も知ってて『君のファンだ』って言ってくれました。応援してくれる人と出会えて、素直に嬉しかったです」
標的と定めた者に近づき、最初は無料もしくは安価で薬を渡し、甘い言葉を吹き込んで安心させて取り入る――。
典型的な売人の手口だった。畠山は続ける。
「その後、私は日常に戻りました。いつも通り、練習漬けの毎日です。キャンディーの錠剤は、気持ちが不安になった時に飲みました。あれを使っていると……結果が出ない、不甲斐ない自分を忘れられるようで。ほんの一瞬でも、自分が強くなった気がして……そうしているうちに、すぐに錠剤は無くなりました。パーティーの夜に連絡先を交換していたので、その主催者の人に補充をお願いしました」
「いくらで補充してもらえたんですか?」
「無料です。『里緒菜ちゃんみたいなアスリートは応援したくなる』って言ってました。あと、その時にアドバイスみたいな言葉をかけてもらったんですよね」
「どんな言葉?」
「たしか『どんな人間にもスランプはある。いまは耐える時期だと覚悟を決めて、いつもの事をいつも以上にしっかりこなすのが良い』って言ってました」
私は思わず吹き出しそうになった。
安いアドバイスだ――。
書店でみかける著名人の自伝や自己啓発本の受け売りである事を匂わせる、取って付けたような言葉。そんな言葉を受けたところで、普通の人であれば何とも思わずスルーしてしまうだろう。
しかし、畠山は違った。
「私の事をこんなに考えてくれる人がいる。そう思ったら、自然と気持ちが楽になりました」
あの程度の言葉で心が動いてしまうとは。やはり、悩んでいる人間の考えることは分からない。
「……なるほど。その主催者とは、それからも付き合いがあったんですか?」
「はい。キャンディを貰って、足りなくなると足してもらうだけの関係でしたが、いつの間にか頻繁に会話をする関係にまで近くなっていました。彼はスランプに苦しんでた私の心の隙間に、うまく入り込んできたのだと思います。私も、常に優しく励まして勇気づけてくれる彼を頼もしく、感じるようになってました。それで、気づいたら彼に恋愛感情を抱いてる自分がいたんです」
「ほう。では、恋人関係に?」
畠山は首を横に振った。
「いえ、あくまで片思い。それに、私はオリンピックを目指してるから……それが終わるまでは競技に集中したかったんです。そのためにもキャンディーの存在は欠かせませんでした。でも、そんな時に彼が『キャンディーはもう用意できない』って言ってきたんです。何か、輸入先の国の政情が不安定になって手に入れづらくなったとかで」
「いつ頃の話です?」
「去年の秋です」
その頃の欧州において、社会的な動乱が起こった国は一つも無い。ゆえに「政情が不安定になって手に入れづらくなった」というのは、売人の戯言だろう。
ネットで調べれば簡単に見破れるような嘘をまんまと信じてしまうとは。
畠山はつくづく世間知らずな女だと感じた。ほとほと呆れかえる私を尻目に、彼女は自らの話を続ける。
「彼は私に、代わりの物を勧めてきました。『キャンディーよりも効果が強くて、おまけに日本国内で簡単に調達できる』って」
「それが……コカイン?」
「はい。私は『マジックパウダー』って呼んでましたが。でも、名前を聞いた時に『あっ。これは違法な薬だ』って思いましたけど、もうキャンディーが無いと不安でたまらなくなっていたので、吸ってみることにしました。最初の一回を吸った時は正直、何が良いのかぜんぜん分かりませんでした。いくら待っても効果が現れなくて…そしたら彼、言うんです。『効果を発揮させるためには三回以上、吸わなきゃ駄目だ』って。彼に言われるがまま、三回目を吸ったら…瞬く間に効果は現れました」
「気持ち良かったですか?」
畠山は首をゆっくりと縦に振った。
「はい。気持ち良かったです。キャンディーの時とは比べ物にならない速さでテンションが上がって、気分が高ぶってゆくのが分かりました。もう自分が自分じゃないみたいでした。ありとあらゆる事がポジティブに受け止められるんです。彼とはその時、エッチをしました。いきなり押し倒されたんですが、特に抵抗はありませんでしたね。彼の事は好きだったし、とにかく今は気持ちよくなる事だけに集中しよう……みたいな? ちなみに初めての体験でした」
「なるほど」
一度でも麻薬を使った性行為の味を覚えてしまうと、忘れることは決して不可能だという。一般的にはそこから薬物依存に陥ってゆくケースが多いという。畠山も例外ではなかったようだ。
「キャンディに代わって、パウダーが生活の必需品になりました。練習が終わってクタクタな時や、眠れない時。パウダーがあれば、すべてが解決しました。それから競技の方も順調にタイムが縮まり、今年の春頃になるとスランプから何とか抜け出しました」
「それは良かったですね。でも、流石にコカインまで無料ってわけにもいかないでしょう。お金はどうしたんですか?」
「地元の親に無心してます。新しいスパイクの費用や遠征の旅費が欲しいって言えば、すぐに振り込んでくれるので」
「へぇ……」
罪作りな女だ。感想は、それ以上でもそれ以下でもない。親に嘘をついて、せびった金をあろうことかドラッグに注ぎ込んでいるとは。少し引いてしまったが、私は質問を続ける。
「で、これから先も続けるんですか?」
「やめようと思います。お金も足りなくなってきたので。彼とも会っていません。連絡を取るのもやめましたし」
「そうですか。ま、ああいうものはやらないに越した事はありませんからねぇ」
この時点で、畠山は例の売人と関係を絶つよう試みていたらしい。返信も返さなければ、かかってくる電話にも出ない。
理由は、ドラッグを買うための金が尽きたから。
売人から提示される金額は最初こそ「こんなに安いの?」と思うような桁数だったそうだが、次第に値段がつり上がっていった。
やがて親から送ってもらう金だけでは払えなくなり、やめる事を考えたのだとか。
しかし話を聞く限り、畠山はドラッグへの依存性が生じてしまっている。既にドラッグなしではいられない体になっているようだ。
そんな体になった人間が経済的な理由だけで、使用をやめられた例を私は知らない。一定期間使うことを中断できても、後で苦しくなって再び手を出してしまうのだ。
この女に、未来は無い。
そんなことを考えていると、今度は私が畠山の方から質問を投げかけられた。
「ちょっと聞きたい事があるんですが」
「何でしょう」
「私がパウダーを吸ってるところを隠し撮りした動画、西本さんはどうやって入手したんですか?」
私は一言で答えた。
「秘密です」
その返答に、畠山はやや不服そうな反応だった。
「どうしても……教えてくれないんですか?」
「はい。どうしても、駄目ですね」
「そうですか……」
畠山は肩を落とした。さらに続ける。
「動画を西本さんに渡した人って、もしかしたら彼なんじゃないかなと思ってるんです。あの状況で隠し撮りできるのは、彼だけですし。私がいきなり連絡を絶ったのを不快に思って、あなたみたいなマスコミ関係者に動画をばら撒いたんだとしたら……」
相手が誰であっても情報源は明かさない主義なので、私は答えずに質問を受け流すした。
だが実のところ、彼女の懸念は当たっている。
私に動画の存在を教えた「ネタ元」は、畠山にコカインを渡していた売人と同一人物なのだ。
動機も彼女の指摘どおり。
突然音信不通になった事への報復だと語っていた。他にも何か意図があるのかもしれないが、私には関係ないことである
「考えすぎですよ。彼の事は忘れるべきです」
「……わかりました。あの、もういいですか?そろそろ行かないと、練習に遅れちゃうので」
「そうですか」
帰り際、畠山はこちらをじっと睨んで吐き捨てた。
「もう、これで最後にしてください……」
たぶん、それは無理だよ――。
私は心の中でそう呟いた。
いずれ、畠山は再びドラッグに嵌まる運命にあるだろう。使いたい欲望を抑えきれなくなり、今度はコカインより安価な覚醒剤に手を出して溺れ始めるはず。
この時点では推測に過ぎなかったが、同時に「そうなってほしい」という願望でもあった。
畠山が覚醒剤に手を出し、取り返しのつかない中毒に陥ってくれた方が面白い記事が書ける。
記事を書く前に今回同様、金をむしり取っても良い。どちらにせよ、私にとっては良いことづくめだ。
しかし、その前に彼女が警察に捕まっては困る。
相手が警察に相談できない事情を抱えていることが、強請りを行う上での前提条件であるからだ。警察が事実を把握して捜査に乗り出してからでは、記事は書けても金は取れない。
ゆえに私は最後、彼女にこんな言葉をかけてやった。
「畠山さん、どうか捕まらないでくださいね! 私はあなたを応援してるんですから!」
去っていく彼女の背中は、テレビの競技中継で見かける凛とした姿とは程遠いものだった。萎えてすっかり縮こまった、非常に情けない背中。私は笑みを浮かべながら、畠山を見送る。
この日、私は動画を使って美人アスリートを脅し、五十万円も巻き上げることができた。それだけでも大した収穫なのだが、私にはまだやる事があった。編集部へ戻って上司に報告をしなければならなかったのだ。
面倒な事にも思えたが、仕事は仕事。直行直帰が許される職場でもない。私はホテルを出て近くの道路でタクシーを拾うと、まっすぐにオフィスへと帰っていった。
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