19.想起 Flash Back

1/1
55人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ

19.想起 Flash Back

 大晦日。岐阜の実家へ戻った私は、憂鬱な気持ちに包まれていた。両親に年明け6日まで滞在する事を伝えると、渋い顔をされたのだ。  親としては正月が明けたら一日でも早く、早く東京へ戻ってほしいようだ。年に数回しか会えない、娘の帰郷なのだから、もう少し丁寧に扱ってほしいと思った。  憂鬱な原因は、それだけではない。  自分があと七日で人を殺してしまうことだ。直接手を下すわけではないにせよ、私の望みで人間が死ぬのだ。殺人には変わりがないだろう。  他人の弱みにつけ込んでは、金を脅し取る行為を日常茶飯事に繰り返し、人の道からはとっくに外れている私でさえも、誰かの命を奪う事には躊躇いが生まれた。  しかし、計画は既に動き始めている。もう後戻りはできない。この時の私にできたのは、ただ粛々と事が進めばいいと祈るだけであった。 「はあ……こんな大晦日は初めてだ」  つい、ため息と共に独り言がこぼれてしまう。  何か、気晴らしになるものはないか、と実家の自室をあれこれ探してみる。大学進学に伴い上京するまで、そこは勉強部屋であった。最も、勉強らしい勉強をしたことは無いのだが。  東京に居を移してからは、ほとんど足を踏み入れなくなった。ゆえに、室内は当時とほとんど変わっていない。無論、本棚の位置や書籍の並びも手つかずだ。  少女期に愛読した漫画や雑誌、ライトノベルなどが綺麗に並んでいる。その中で、小学校時代の校内文集を発見した。 「これ、小五のやつじゃん」  懐かしさから自然と手が伸びる。パラパラとページをめくっていくうちに、私が書いた生活文のページを発見した。 『今年も三月がやってきました。私たちのクラスも、あと少しでみんなが6年生になります。けれど、全員で進級できるわけではありません。横山春樹君が欠けています。三年生の時から同じクラスの春樹君が亡くなったことは、とても悲しかったです(以下略)』  当時十一歳だった私が書いたものだ。題は「悲しかったこと」。クラスメイトの男子児童が亡くなった思い出について書かれていた。しかし、ひと通り読み終えた私の脳内には疑問が浮かぶ。  横山春樹は、亡くなったのか――。  私の記憶では、横山は小学五年生の秋に転校したはずだった。しかし文集を読む限り、横山は死んだらしい。学校の用務員室に置いてあった殺虫剤を誤飲して死亡した、と他にも複数人が書いていた。  単に、私が忘れていただけなのか。少し考えてみる。思い返せば、確かに同級生が亡くなったという記憶があった。心に残る風景こそ実に曖昧だが、学校内で死人が出て、騒ぎになった記憶が残っていた。  しかし、ハッキリとは覚えていない。どうもあやふやなのだ。  そのまま、私は小学校の文集を片手に記憶の森を辿ってみたのだが、しばらく彷徨ってようやく、ピンと来るものを見つけ出した。 「そういえば、私が殺したんだ!」  あれは、学習発表会の準備に熱が入っていた最中の出来事だった。学年全員で、ポップソングの名曲を合奏する命題が課せられていたのだが、その練習は、クラスごとに行われる。各楽器ごとに、パート分けがされた。  私はトランペットを担当することになり、数人の男子と共に、練習に励む。そんな同じパートの中にいたのが、当時校内でも指折りの問題児だった、横山春樹だった。  今思えば、七十以下のIQしか備えていなかったのであろう。言動には落ち着きがなく、好奇心の向くままに悪戯を繰り返し、漢字もろくに書けない。  真っ当な感性を持ちうる者なら、そんな奴とは関わりたくないと思うのが自然だ。実際、私の同級生たちも可能な限り横山との接触を避けていた。  しかし、学級委員の私はそれが許されない立場だった。 「お前が、横山の面倒を見なさい」  そう担任に、命じられてしまったのだ。  横山は、兎にも角にも物覚えが悪く、どんなに丁寧に教えても、僅か数秒で忘れてしまう。楽器を覚えさせる、ましてや管楽器を吹かせるなど無理があると感じた。 「最初から『横山にはできない』と決めつけているんじゃないか? もっと教え方を工夫して、粘り強く教えてあげなさい。いいか? 本番までに横山がペットを吹けるようにするんだぞ。もし、本番当日に横山が少しでもミスをしたら、その時は全部お前が悪いんだぞ」  教師から言い渡されるのは、そんな押しつけがましいアドバイスばかり。 「もう無理です。できません」  あの頃、そう言えたらどれだけ楽だったか。しかし当時の私は、周囲の大人にひたすら盲従する、典型的な「いい子ちゃん」だった。途中で投げ出すという道を選べなかったのだ。  幼い頃から、厳しい躾を受け、親の言う事を素直に聞かなければ、常に叩かれる、殴られる、蹴られるのうち、いずれかの罰が待っている環境で育った為に、大人たちの不興を買うのが非常に怖かった。  周囲の期待に誠実に応える「いい子ちゃん」であり続けなければ、酷い目に遭わされると思っていたのだ。ゆえに、私は横山の指導もベストを尽くした。だが、いくら私が出来る限りの事を尽くしても、私の努力とは裏腹に、横山は一向に上達する気配が無い。  それどころか、練習ではふざけてばかり。彼は目に映るありとあらゆる物に次から次へと興味を抱き、自分の手で触れて確認しないと落ち着かない性の持ち主だった。  本人に悪気は無いらしいが、それでは練習にならなかった。  自分の努力が報われないのもさることながら、最も辛かったのは、横山から性的な悪戯を繰り返し受けたことだった。スカートの中を覗かれたり、服の胸元に手を突っ込まれたり、と枚挙に暇がない。  どんなに丁寧な説明をしても、聞いてくれない、軽い遊び感覚でセクハラをされる。それらが溜まりに溜まって、当時の私はおかしくなっていった。人には困難を許容できるキャパシティーのようなものがあって、そこを越えてしまったのだ。  練習ばかりの日常に嫌気がさしたある日、私はふと思い至った。  本番までに、横山君に死んでもらおう――。  自分の中で、何かがプツリと切れてしまった。そこには道徳心のカケラも無い。稚拙だが、自然な発想だと思う。狂っていたのかもしれない。だが、そうするしかなかった。そうしなければ、自分を保つ方法が当時は見つからなかったのだ。  私はすぐに計画を立て始める。どうすればスムーズに死んでくれるか、死因に不審な点が生じないかなど、子供ながらにあれこれ知恵を絞ったと思う。  そんな中で私は、自分が横山に対して抱く感情の正体が「殺意」であると気づく。その人の死を願い、その人を殺したいと思う気持ち。図書室で借りた国語辞典を読んでいて、分かった。  もはや、横山には死んでもらうだけでなく、自らの手で引導を渡してやらねば気が済まなくなっていたのだ。このような感情を加味した上で、私は彼が用務員室の殺虫剤を誤って飲むよう仕向ける計画を思いついた。  決行したのはたしか、平成十六年十月の最初の週だったと思う。記憶が正しければ、木曜日か。  熟慮に熟慮を重ねたとはいえ、所詮は子供の考える短絡的な計画。しかし、私の企ては殊の外うまくいった。  横山には物事の善し悪しを判断する知能が無い。それゆえ「用務員室にジュースがある」という私の戯言をあっさり信じたのだ。  彼の死は翌日の緊急全校集会で、校長の口から知らされた。死因は、猛毒の有機リン剤を大量に飲んだことによる中毒死だった。あくまでも本人が勝手に誤飲し、勝手に死亡した事故として処理された。私の関与が、大人たちの間で話題に上ることは無かった。  彼が死んだことは、素直に嬉しかった。もちろん、強烈な印象だった。しかし、私は令和元年の大晦日まで、思い出すことが無かった。  忘れていた、というよりは記憶に、封印が掛けられていたのだと思う。  人間というい生き物は、ネガティブな体験には本能で、蓋をしてしまうらしい。これは生物的なレベルの話なので、意識してどうにかなる問題ではない。  記憶の想起に鍵が施されるのだ。そんな鍵が施された結果、私は「横山は五年生の秋に転校した」と認識していたのである。  それを十五年ぶりに思い出したのは、やはり、私が再び殺人を犯そうとしているからに他ならない。  これまで生理現象による忘却を余儀なくされていたが、たしかにそんな出来事があったのだ。罪悪感などは、特に無かった。 「なんだ……あったじゃん。私にも人を殺した経験が」  そう考えると、自然と心が軽くなってくる。昔の文集を手に取って二十分近くで、憂鬱な気持ちは到に消えていた。  子供の頃に一人殺したのだから、これから二人目を殺すとしても、たかだか「おかわり」程度にしかならないだろう、という考えに至ったのだ。  私はそれから年を越すまでの間、いつになく穏やかな気持ちで、平然と過ごした。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!