22.脅される Blackmail

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22.脅される Blackmail

 二月に入ると、私の元に一通のメールが届いた。差出人は不明。知らないアドレスからだ。その頃、私は本業の記者の仕事が忙しくなり始めていた。 「なんだろう?」  何やら動画が添付されているで。気になった私は、届いたメールをクリックして開いてみた。 「……」  ムービーの再生が始まると、薄暗い部屋の中が映し出された。カメラの解像度が低いのか、靄がかかったような雰囲気である。  どこか見覚えがある空間だ――。  そう思った瞬間、私に戦慄が走った。ここは菅野が経営する店ではないか。その後、すぐにシーンが切り替わり、二人の男女が映し出された。水上と私だ。 「忙しいところ、悪かったな」 「うん」  私達の会話も記録されている。どうやら水上と会った日に隠し撮りされていたようだ。しかし、何かがおかしい。 「車で攫ってタコ殴り」 「本当に良いんだな?」 「うん」  明らかに不自然なやり取りがあるのだ。私はやがて、その動画が編集されたものだと気づいた。私や水上が発した言葉や動作を加工して、繋ぎ合わせることで一つの事実を作り上げる。典型的な捏造の手口である。動画の中で、こんなやり取りもあった。 「はい、これ」 「確認させてくれ」  私が水上に三百万円を渡した。そして、札束の枚数を確認し終えた水上がぼそっと呟く。 「そういうの、良くないと思うよ。常識としてさ。やっぱり人を殺すのは駄目だと思うんだよねぇ」 「ああ?」  画面の中の私は、強い口調で聞き返した。さらには鋭い眼差しで水上を睨みつけている。この部分も順序が違っている。だが、そんなことは最早どうでもよくなってきた。私はムービーの再生を途中で終わらせる。  いったい、何のつもりなのだろうか――。  その後、送られてきた動画はメールごと削除した。あのような物が手元にあること自体に、底知れぬ忌まわしさを感じたのだ。誰が撮影したのかは明白だった。水上だ。あの日、密かにカメラを回していたのだろう。私はすぐさま電話をかけた。 「もしもし。水上君、あれは何?」 「観てくれたみたいだな。世の中、ああいう動画が沢山出回ってるんだよ。嫌なもんだよなぁ」 「そうじゃなくて、どうして私にあんなもの送って来たの?」 「ちょっとした注意喚起ってやつさ」  水上の言っている意味がすぐには分からなかった。だが、彼の腹の中には何かどす黒いものがあると感じた。彼は牙を隠している。それは私に向けられている。直感的に悟った。 「とにかく、すぐに削除してよ! 水上君のところにある原本も含めて!」  強い口調になっていた。 「わかったよ。そうムキになるなって」  しかし、事態は悪い方向に進む。次の週に入ると、水上から再び電話が入ったのだ。番号は今までとは変わっていた。 「こないだ送った動画がネットに上がったらお前、大変なことになるよね?」 「それはお互い様じゃん。何せ、実行したのは水上君なんだし」  倉沢殺しの件において、私と彼は共犯関係にある。罪を互いに共有し合う状態だ。ゆえにどちらかが捕まれば、必ずもう一方にも捜査の手が及ぶはずだろう。 「さて、どうかな?」  その返答に、私は底冷えするような悍ましさを感じた。水上は何かを企んでいる。 「霧島。ちょっと欲しいものがあるんだけど」 「欲しい物? 何よ」 「何よって、そんなの一つに決まってるじゃん……分かるでしょ?」 「分からない」  とうとう来たか―。  普段は他者の弱みを握って、カネを脅し取る側の自分がついに「脅される側」に立ってしまった。まさかこんな日が来るなんて、夢にも思っていなかった。何故に私がこのような目に遭わねばならないのか。現実を素直に受け入れることができなかった。 「霧島、これから会えないかな? 会って話がしたい』  水上が今後、例の動画を削除する可能性は低い。というより、限りなくゼロに近い。そのため私に会わないという選択肢は無かった。 「わかった。その代わり、場所は私に決めさせてよ」  相手に任せてしまうと、何が起こるか分かったものではない。集団で取り囲まれて拉致される展開だってあり得る。相手がヤクザである事実が、私に重くのしかかった。場所は都内の某駅の構内にあるカフェにした。  敢えて、平日でも客足が絶えない多い混雑した場所を選んだ。そのような場所でも、万が一手下を連れて来られたとしても手荒な真似はできないだろうし、相手も穏やかにならざるを得ないだろうと考えたのだ。  時間は十四時。私は少し早めに到着すると、しばらく付近をうろうろして待機した。するとすぐにメールが入った。もうすぐ着くらしい。私は急いで店に入る。座る席も店員に案内されるわけでもなく、自分で決めた。入ってすぐのところにあったイス席だった。ほどなくして、水上がやってくる。時間通りだった。 「話って?」 「端的に言うと、いま俺は命を狙われている。シノギをしくじって、ある大物の怒りを買ってちゃってねいろいろとヤバい状況なのさ。それで、霧島にやってもらいたいことがある」 「はあ? 私に何ができるっていうの?」 「ほとぼりが冷めるまでの間、身を隠す必要がある。潜伏資金を工面してほしいんだ」潜伏と言うからには、今すぐにでも隠れなければならないということだ。そうなってくると、いま一緒にいる私の身も危ない。しかし、彼の口ぶりに私は違和感を覚えた。 「へえ。ちなみに、しくじったのっていつ頃?」 「先週」 「なるほど。じゃあ、身を隠さななきゃいけないって話は嘘だよね?」  水上から例の動画のが最初に届いて私が電話をかけた夜、電話越しに聞こえた彼の周囲は賑やかだった。酒が入ったような話し方だったし、どこかのキャバクラにでもいるのかと感じた。普通に考えて、追われる身の人間が呑気に飲み歩くだろうか。伊原の話は完全な作り話だ。ただ、金を無心されている事実に変わりはない。 「まあ、それが嘘だったとして。霧島が俺の話を断れるわけないと思うけどな。今すぐあの動画をサツに流してやっても良いんだぜ?」 「断るよ」 「何でそんな毅然とした物言いができるんだよ。お前、自分の立場を分かってるのか? 俺がサツに喋ったら終わりなんだぞ?」 「ふーん」  単に気持ちが揺れ動かなかったからだ。 「サツに喋られたら嫌だろ?」 「嫌かもしれませんね」 「ああいう動画はけっこう需要あるぞ。天下の週刊新星の記者さんが、ヤクザに殺しを依頼する決定的瞬間。世の中に出たら大きな騒ぎになると思うなぁ」  水上は直接的に脅し文句を言わない。動画をネットに上げて欲しくなかったら金をよこせ、とストレートに言ってこないのだ。あくまでも困っているから頼みを聞いほしいとばかり言う。相手は狡猾なヤクザだ。侮れない。 「今回、俺の言う事を聞いてくれたらすぐに削除してあげるよ」 「……」  私は返事をしなかった。水上はさらに続ける。 「どっちにしたって、俺たち反社と関係があるのはマズいんじゃない? 最近はマスコミもコンプラに厳しいからねぇ」 「それについてはご心配なく。『取材のためだった』って説明すれば、いくらでも言い訳できるんだから」  結局、この日は何の結論も出ないまま話は終わった。二日後、水上からさらなる電話が入った。 「考えてくれた?」 「無理なものは無理」 「そっか。じゃあ、本当の事を教えてあげるよ。実は俺、組の金を溶かしちゃったんだよね。溶かしたと言っても、仕事を頼んだ奴に持ち逃げされたんだけど。それで組の口座に金を補填しないといけなくてさ。貸してもらえるかな?」 「いくら?」 「500万円」  水上は言った。 「二か月で返すからさ」 「なるほど。水上君には申し訳ないけどさ。話を聞いて、ますます無理になったわ」  どうしてヤクザの言い分を聞かなければならないのか。びた一文払うわけにはいかない。一度でも払ってしまえば、永遠に貪り取られるのが常だろう。 「あの動画、本当に流出しちゃっても良いの?」  どのような口実があろうと、答えは変わらない。私はここにきて、自分が脅されることを極端に嫌う人間であると気づいた。誰かのの言いなりになるという行為が、たまらなく格好悪く感じるのだ  。考えてみれば不思議なものだ。  普段、「脅し」を生業にする女が「脅される」ことを嫌うとは――。  ひどく独りよがりで、つくづくめでたい思考かもしれない。だが、その考え方は私の中で哲学と化している。思えば子どもの頃から変わらない。きっと、これからも変わらないだろう。  水上との交渉は、相も変わらず不調が続いてた。思わず感情的になってしまう場面もあった。しかし、少し冷静になって考えてみると一つの疑問に行き当たる。それは、あの動画を誰が撮影したのかということだった。  疑うべきは水上だろう。彼が私を陥れようと密かにカメラを回していたのは明らかだ。しかし、そこには協力者がいる。考えたくはなかったが、菅野だ。あの日の彼女の言動はおかしかった。例えば動画の中で、私は水上に倉沢殺害の手段まで明確に指示している。 『車で攫ってタコ殴り』  場面自体は捏造されたものだが、この台詞はたしかに私が言った。直前、菅野にこんな事を問われたのだ。 『そういえば、どんな計画やったっけ?』  この問いは私から、前述の台詞を引き出すためのものだったのか。さらに、私には気になる事があった。あの日、私は菅野から渡された札束を水上に差し出した。彼女は、私が水上に払った報酬を立て替えると言っていた。ならば、水上へダイレクトに金を渡せば良い。何故に私を間に挟んだのか。その場面を隠し撮りされ、編集された結果「霧島沙紀がヤクザに殺人を依頼し、報酬として三百万円を支払う場面」が完成してしまった。何かしら、私を陥れる意図があると考えるのが自然だろう。  あまりにも気になった私は、菅野に電話をかけた。 「もしもし?」  電話口に出たのは、知らない男だった。私に嫌な予感が走る。 「あの…私、霧島と申します。そちらは菅野由里子さんの携帯ですよね?」 「えっ? ああ、はい。霧島さんですか。母がいつもお世話になってます」  聞けば、相手は菅野の息子らしい。本人から子の存在は聞かされていたものの、話すのは初めてだった。 「すみません。お母様に代わっていただけますでしょうか?」 「申し訳ないです。それなんですが……」 「何かあったのですか?」 「先週から家に帰ってないんです。夜中の十一時くらいに、携帯も持たずにフラっと出かけて。それっきり連絡が付かないんですよね」 「行方不明ってことですか?」 「ええ。そんなところですかね。既に警察には捜索願を出しましたが」  嫌な予感は当たってしまった。 「そうですか。あの、お母様は先週の何日にいなくなられたんですか?」 「……三日です。ちょうど、節分の」  二月三日。水上から例の動画が送られてきた日ではないか。妙な胸騒ぎが始まった。 「なるほど」 「あの、霧島さん。母がどこに行ったか、お心当たりはありませんか? そちらにお邪魔してたりとかは……?」 「無いです。逆に、こっちがお母様に用事があって電話をかけたので」 「失礼しました」  菅野の息子の口調は落ち着いていた。特に狼狽(うろた)えているというわけでもない。 「とにかく、お母様は出られないってことですか」 「はい。申し訳ございません。あの……もし、母の事で何か手がかりなどありましたら、こちらの番号にかけていただけませんか?」  これ以上の会話は意味が無い。私は電話を切った。 「分かりました。覚えておきますよ。それでは」  例の動画が届いた日に失踪した、という点が引っかかる。やはり菅野は水上と通じ、私を陥れたのだろうか。これまで菅野には恩もあるので、疑いたくはない。しかし、どうしても気になってしまう。やがて、それから二日ほど経つと水上からの電話が頻繁になった。私は出なかったが、留守電を聞くと非常に荒ぶっていた。 「どうして出ねえんだよ!」 「俺が何をしたっていうんだ!」  後者の言葉は、そっくりそのまま伊原に返してやりたいものである。ある日、私は録音の準備を整えた上でかかってきた着信に応答した。 「もしもし?」 「おう。霧島。やっと出たな。要件は分かってるよな?」 「何のことかな」 「とぼけるなよ! あれが流出したら、お前は終わりなんだぞ」 「ふーん」  私はあらゆる方便を使ってスルーを決め込んだ。どのような反応をするのか試してみたのである。しばらく禅問答が繰り広げられた後、水上はため息をつきながら言った。 「百万円で良いから貸してくれないか?」 「そんなお金は持ってないよ」 「あるだろ。お前が取材相手を脅して稼いだ金が」  金があるのは事実だったが、渡すのはまっぴら御免だ。 「それがどうしたの? あなたに貸すお金は無い」  この時、私は余計な一言を付け加えたことに気づかなかった。ましてや、それが後になって私の首をジワジワと絞めてゆくことにも。 「そうか。なら、どうなっても知らねぇぞ」 「あなたに何ができるって言うの? チンピラのくせに」  こちらの煽りに舌打ちをすると、水上は吐き捨てた。 「ヤクザを舐めたらどうなるか、たっぷり教えてやるからな」  そこで電話は切れてしまった。菅野の件を聞いてみようと思ったが、もう後の祭り。以降、水上から連絡が来ることは無くなった。
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