2.同期の友 Comrade

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2.同期の友 Comrade

週刊新星の編集部は、JR田町駅から国道十五号線沿いを八分ほど歩いたところのオフィスビル内にある。タクシーと電車を乗り継いで職場に戻ると、慌ただしく動く皆の様子が目に飛び込んできた。 「おい! ここの仕上げはまだか?」 「すみません。いま校閲に頼んでいるところでして……」 「急がせろ。あと二時間以内に仕上げるんだ」  そんな会話が常に飛び交う、賑やかな職場の中で私は社会班に所属している。少し自慢になってしまうが、入社五年目の二十六歳にして主任を任されていた。 「主任、お疲れ様です」 「はいはい」  ブロックごとに区切られた机には備え付けのPCがどっしりと構えている。私は部下に軽く挨拶をして席に着くと、電源を入れた。 「うーん。目ぼしい情報はゼロか……」  空っぽのメールボックスを見て、ため息をこぼす。   ある動物愛護団体に対して持ちあがった脱税疑惑の調査のために、私は複数の関係者に金をばら撒いて情報を集めていたのだ。 『面白い記事が書けそうなネタがあったら、すぐに流してほしい。報酬はそれなりに用意する』  関係者にはそう伝えてあったが、この日の新着メールはゼロ。やはり、そう簡単には集まらないようだ。 「はあ……やっぱ時間かかるよねぇ」  独り言と共に少し肩を落とした私は、背後から声をかけられる。 「おつかれ、沙紀。デスクが呼んでたよ?」  話しかけてきたのは芸能班記者の[朝倉麻衣|あさくらまい]。年下だが、同期入社の友だ。ゆえに私とは常に対等な口の聞き方をしている。 「忘れてた。すぐに行くわ」 「早めに行った方が良いよ。デスク、会議室にいるみたいだから」 「何か言ってた?」 「言ってたよ。『あいつ、今度は何をやらかすつもりなんだ!』とかさ」  思わず、私は苦笑してしまった。 「そっか。とりあえず行ってくる。教えてくれて、ありがとね」 「うん!」  麻衣の可憐な笑顔を見ていると、同性だが性的な興味を覚える。惚れてしまいそうだ。  いけない、仕事に集中しなくては――。  私はこれから社会班デスクの[長谷川輝彦|はせがわてるひこ]に、取材の内容を報告しに行かねばならないのだ。  彼は私の上司だが、関係はあまり芳しくない。長谷川には私の仕事ぶりを快く思っていない節があった。  当然だろう。典型的な事なかれ主義者である長谷川と、ネタを掴むためには強引な手段も辞さぬ私では反りが合わないに決まっている。もはや慣れ切った事なのだが、進んでいる仕事に横槍を入れられるのは毎度のこと気分が悪い。ゆえに、会議室へ向かう私の足取りは重かった。   更に言えば、歩く私に注がれる周囲の視線も気になる。麻衣を除いた誰もが、こちらを横目でちらりと見ているのだ。私の事を危険人物とでも思っているのか、異端者を蔑視するような冷たい眼差しだった。 「……」  皆が私をあのような目で見る理由は納得できる。記者として、私の悪辣な取材姿勢が気に入らないのであろう。日常的に行っている強請(ゆす)りについては公然の秘密になっているにせよ、職場には敵が多い。  麻衣を含めたごく少数の同僚だけが味方だった。 「失礼します」  そんな事を思い浮かべながら、私は会議室のドアを開ける。普段はミーティングや打ち合わせなどに用いられる、十三人分の椅子と長テーブルが置かれた大きめの部屋だ。  その扉から入ってすぐの場所に長谷川は腰かけていた。ここに呼び出すということは、私に説教でも施すつもりなのか。 「おう。そこに座れ」 「めんどくさいんで立ったままで良いですか?」  指示に従わない私に、長谷川は大きなため息をつく。 「はあ……」  長谷川にとって私は、これまでに何度となく衝突を重ねてきた厄介(やっかい)な部下だろう。  命令を無視して独走する事も多い。上司の顔には、呆れと共に諦めの色が若干浮かんでいた。 「立ちっぱが良いなら立ちっぱで良い。好きにしろ」 「ありがとうございます」  長谷川は頭を掻きむしった。 「で、どうして呼ばれたか分かるか?」 「はい。取材の報告をすれば良いんですよね。先ほど、陸上の畠山(はたけやま)選手に話を聞いてきました。数日前、私の所にタレコミがありましてね。彼女がコカインを吸ってるシーンを隠し撮りしたビデオがあるんです。それが本物かどうか、本人に確かめてきたんです」 「それで? そいつは何と言ってたんだ?」 「あっさり使用を認めましたよ。これが、証拠の音源です」  私は持ってきたICレコーダーの再生スイッチを押した。  長谷川はそのまま、流れてくる会話の音声にじっと聞き入る。 「ほう……」  そして音声が全てが流れ終わった後の反応は、思いのほかあっさりとしていた。 「なるほどな。これはこれで良しとしよう。いつでも記事が出せるように、原稿は書いておけ」 「良いんですか?」 「ああ。良いとも。今をときめく美人アスリートの大スキャンダルだからな。それも、今後の選手生命を左右しかねないネタだ。部数が伸びるのは言うまでもないだろ。ただ、これからも畠山からは目を離すなよ? 俺の経験上、この手の[麻薬中毒者|ジャンキー]は今後必ず、再び薬に走るだろうからな」  奇遇なことに、私も長谷川と全く同じ事を考えていた。 「いいか? 徹底的にマークしておけよ。くれぐれも、他誌(よそ)に抜かれんようにな」 「もちろん。言われなくてもマークしますよ」  てっきり、取材を止められると思っていた。  いつもであれば、ネタを持ってきた私に「そんな記事を出して何になる」と、週刊新星のデスクらしからぬ低姿勢で釘を刺す。だが、この日は違っていた。編集部きっての穏健派である長谷川にしては珍しく乗り気なのだ。  取材中止を言い渡された時の為に反論の文句まで用意していた私にしてみれば、とんだ拍子抜けだった。 「お話はそれだけで? 無いならこのまま…」 「いや、まだある!」  切り上げようとした私は、長谷川に止められる。つい数秒前とは打って変わって、やや大きめの声だった。これから説教の本番が始まるというのか。  一気に、煩わしさに包まれた。 「……霧島。さっき、うち宛てに〇〇〇からクレームが来た」  〇〇〇とは、私が脱税疑惑を追っていた動物愛護団体だ。 「クレーム? どんな?」 「お前、向こうの職員にしつこく付きまとってるそうじゃないか。それも時間と場所を選ばずに」 「付きまとうだなんて、とんでもない。私はただ『何か知っていることがあれば、気軽に教えてくださいね』って名刺を渡しただけですよ?」  長谷川は眉間にしわを寄せる。 「何が『気軽に』だ。向こうはお前から、一日に尋常じゃない数の電話を受けたって言ってるぞ!」 「いやいや。それ、私たち記者にとっては当たり前じゃないですか。何がいけないんです? それに……」  なおも反論を続けようとする私だったが、長谷川はに大声で遮られた。 「霧島! いいかげんにしろ!」  怒鳴り声が室内に響く。思わず身震いした私に、少し咳払いをしてから長谷川は言った。 「……失礼。とにかく、〇〇〇からは手を引け」  その声にはなおも、力が込められている。 「は? どうして?」 「どうしてもだ!」  再び声を張り上げた長谷川の目は、いつになく真剣だった。しかし、理由を聞かぬことには納得できない。 「……訳を聞かせてくれませんか?」 「連中から正式な抗議文が届いたからだ。『御社による取材は全て拒否する。今後も続くようであれば自衛のため、あらゆる手段をとる』ってな」 「そんなの、ただのハッタリですよ。無視すれば良いじゃないですか」 「馬鹿野郎!」  長谷川は私を睨みつけた。 「お前は〇〇〇の恐ろしさを知らないから、そんな呑気なことが言えるんだよ! いいか? 表面上は一介のNPOに過ぎんが、実態は極左団体なんだぞ。理想の実現の為には破壊や暴力も辞さない凶暴さで、公安にも目をつけられてるほどのな!」 「だからって腰を引いたら、私たち週刊誌はおしまいです。何のために報道の自由があると思ってるんですか?」 「報道しない自由だってある!」  長谷川は頑として、まったく譲歩が無かった。  〇〇〇のやりたい放題ぶりについては、ある程度理解しているつもりだ。しかし、取材を投げ出すほど恐ろしいかと聞かれたら答えは「NO」である。危険を恐れていては、何もできないからだ。  私には、長谷川の考えが理解できなかった。 「何をそんなに怖がっているんですか?」 「連中が強行手段に出てくることだ。そうなったら、記事を書くお前1人の問題じゃなくなるんだぞ。お前だけが襲われるなら未だしも、うちの記者全員が標的になるかもしれない。それだけは避けたいんだよ。どうしても書きたいなら、ここを辞めてフリーになるんだな。この件は編集長の命令でもある。いいな?」  雇用の解消を持ち出されては、仕方がない。不本意ながらも、私は了承せざるを得なかった。 「……わかりました」 「あと、行動にも気をつけろ。特ダネを掴むのは良いが、手段を間違えるなよ」 「私、何か間違えましたっけ」 「自分で分からないのか?」 「分かんないですね」  本当は分かっていたが、敢えて自覚が無いふりをしてみる。そんな私に長谷川は吐き捨てるように言った。 「特ダネを取る為に道を踏み外すなということだ。霧島、お前は取材相手を脅迫したり、唆して犯罪や不倫に走らせたり、そんな事ばかりやっているんだろ。報道に携わる人間として、もってのほかだ。薄々、気づいてるだろうが……みんなお前のことを怖がってるぞ」  私は負けじと言い返す。 「でも、この編集部に私のやり方以外で部数を稼げる人間がいますかね? 読者の目を引くネタを獲ってこれなきゃ、うちみたいな二流ゴシップ誌はあっという間に潰れますよ」 「お前のやり方じゃなくても、数字は稼げる。読者を釘付けにする見出しは用意できる」 「へぇー。どうやって? まさか、飛ばし?」  我々の業界で云う「飛ばし」とは、裏付けを取らずに書かれた記事のこと。いわゆるフェイクニュースだ。私には記者として、どんなに苛烈な取材を行っても飛ばし記事だけは書かないと心に決めていた。それをやったら、ジャーナリストとして終わりだと思っていたのだ。 「……ああ。記事を書く過程で法を犯すよりは、マシだ」 「そうですか。そういうお考えなんですね。軽蔑します」  私は呆れた。長谷川が記者として真実を追求することよりも、穏便に物事を進めることを重んじる器量の小さい男だったとは。  想像以上に臆病な性格の長谷川に、私は冷たい笑みを送ってやった。しかし、彼はまったく意に介さない。 「勝手にしろ。だが霧島、社会班の班長(デスク)は俺だ。うちの編集部にいる限り、俺のやり方には従ってもらうからな?」  返事をするのも癪だったので、何も言わずに会議室を出た。 「……」  席に戻ってしばらくすると、大きな声が聞こえた。 「おい、なんだこれは!」  一瞬、ギョッとして声のした方に視線をやる。  声の主は[松井知樹|まついともき]。政治班の記者で、麻衣同様に私と同期入社だ。年齢は二十六。更には班の主任でもあり、年齢もポストも同じである。  そんな松井に直立不動で怒られているのは、インターン中の[古市碧|ふるいちみどり]。埼玉県内の公立大学に通う、現役の女子大生だ。   話を聞いていると、どうやら古市が撮った写真のピンボケが酷かったらしい。カメラの操作方法に戸惑ってしまったようだ。  確かに、会社から貸与されるカメラは扱いに難があり、フラッシュの量からズームのイン・アウトに至るまで、使いこなすようになるまでは時間がかかる代物だ。自前のカメラを用意しない限りは、あの不便さと戦うしかない。私も新人の頃は、苦労した思い出がある。 「ガキの使いじゃないんだよ! 機材の使い方が分からなかったら、行く前に『教えてください!』って聞くのが普通だろ? なに、分かんないままで帰ってきてるんだよ!」  松井の怒りは迫力が凄まじく、それを真正面で受ける古市は今にも泣きだしそうになっている。  見かねた私は割って入り、松井を宥め、古市にはカメラの正しい使い方を教えてやった。 「まあ、そうカリカリしなさんな。このカメラは扱いが難しいからねぇ」  松井は仕事に対する思いが職場の誰よりも深く、雑誌記者という職業に誇りを持っているらしい。  テレビや新聞など一流のメディアが伝えない隠された真実を伝えられるのが週刊誌の強みだ、と彼は以前話していた。ゆえにプライドを持って仕事をしている分、中途半端な仕事や妥協が許せないのだ。  誰かの醜聞を握るのが大好きだから記者を続ける私とは、まさしく正反対の存在である。 「霧島、お前は本当に甘いなぁ」  後輩への叱責を邪魔された事で、松井は少し不満げな様子だった。 「そうかな? 松井君がいちいち、細かすぎるんだよ」  記者としての腕も確かな松井は、過去にスクープを何度も挙げていた。個人レベルで代議士とのコネクションを持ち、政界の深い部分の情報を集めるのが上手い。  その実力は編集長はおろか、版元からも一目置かれるほどである。  しかし、その反面で松井は自らの力を鼻にかける面が強かった。  同僚や後輩の前では尊大に振る舞い、威張り散らした言動も多い。新人への教育は殊さらに厳しく、私が覚えている限り過去に四人の新入社員が辞めてしまっていた。  この編集部において、松井は仕事への厳しさで恐れられている。彼にも味方は少ない。  私と似た者同士と言われたら、素直に認めざるを得ないだろう。だが、私にとっての松井は「同期の友」ではなかった。対抗心が燃ゆる「同期のライバル」という認識だったと思う。  そんな彼は、古市が機材保管庫にカメラを戻しに行った後で、肩を伸ばしながら呟いた。 「仕事を覚えない奴、大嫌いなんだよね。あとは向上心が無い奴も。みんな俺のことを几帳面な完璧主義者だって笑うけど、当たり前のことを指摘してるだけだからな?」 「はい、わかったわかった。すごいねー」  軽く受け流した私に、松井は尋ねた。 「霧島、ぶっちゃけ古市の事はどう思ってる?」 「別に。何とも思ってないけど」  軽くあしらった私に、松井は更なる主張をぶつけてくる。 「俺、古市みたいな奴はうちに必要ないと思う。あいつは当たり前の事が出来てない。出来てなさすぎるんだよ」 「必要も何も。元はといえば、古市さんはインターンの学生なんだから。あんまりレベルの高いものを求めるのも、どうかと思うけど?」 「うちに必要なんじゃない。社会にとって必要ないんだよ。ああいう、甘ったれた小娘は!」  話しているうちに熱くなってしまったのか。松井は顔を赤くして、だいぶ興奮しているのが分かった。 「そっか。まあ、とりあえず落ち着いてよ。うちに必要かどうかは、編集長が決めることだし」  同期のライバルは最後まで、不服そうな様子だった。 「霧島、お前という女は本当に単純だな……」  松井とのディスカッションを終えた私は、廊下で古市に出くわした。ちょうど休憩室の自販機で水を買った帰りらしい。トイレに向かう私とすれ違いになった形だ。 「さっきは教えていただきありがとうございました」  私に礼を言う古市の目は、少し赤くなっていた。 「もしかして、泣いちゃった?」 「いえ……」 「無理しなくていいよ。辛い時は辛いって言いなさい。分からないことがあったら、気楽に聞いてね?」  少しずつ、古市の表情から険しさが消え、逆に安堵の色が(とも)ってゆくのが分かった。  私が週刊新星の記者として一人前になり、どのくらい経つのだろう。  仕事のノウハウはひと通り頭に入っている。今でこそ何でも自分でこなせるようになったが、入社したての頃は本当に何もできなかった。  周りの助けを借りながら、一歩ずつ前に進んできたと思う。  実際のところ、組織において新参者に多くを求めるのは古参者のエゴでしかなく、手取り足取り丁寧に教えてやるのが筋というもの。それも一回や二回の説明で理解させるのではなく、相手が理解して出来るようになるまで何度も繰り返し聞かせるのだ。  新参者に無理を強いてばかりでは、良い組織は育たない――。  それが私の持論だ。用を済ませ自分の机に戻ると、麻衣が再び声をかけてきた。 「さっき、見てて思ったんだけどさ。松井さんも新人の頃、カメラの使い方をミスりまくって先輩にめっちゃ怒られてたよね?」 「ああ! 言われてみれば、そうだったよね。ていうか、よく覚えてるね。そんなずっと前のこと」  麻衣はため息交じりに言った。 「そりゃ覚えてるよ。うちら、同期だからね」  この時はまだ、後に麻衣と松井が私の人生を変える存在になるとは、夢にも思ってもいなかった。
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