少し長いプロローグ

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少し長いプロローグ

 いつの頃からだろうか。私があの技術を身につけたのは。  中学を出る頃までは、我ながら至って真面目な女の子であったと記憶している。たしか、高校に上がる直前の春休みだろうか。ある日、何気なくテレビを観ていた私は午後のワイドショーを通して、日本代表の経験もある人気サッカー選手・Kが逮捕されたことを知った。  容疑は違法薬物の所持および使用。都内の路上で落とした財布の中にあった海外製の葉巻に、麻薬成分を含んだ植物片が入っていたのだという。その後の家宅捜索の結果、所属チームの関係先や自宅から吸引用パイプなども発見された。  取り調べに対して、Kは全面的に容疑を認め『捕まって良かった』と供述。おまけに、こんな事を言っていた。 「週刊誌の記者に連日追い回され、疲れ切っていた。麻薬の使用を記事にしない代わりに、証拠を収めた写真を買い取らないかと持ち掛けられた。実際に三百万円ほどで写真を買ってしまった」  そう、警察の取り調べで話したらしい。この報道に触れた時、私の中にちょっとしたアイディアが生まれた。  誰かの『知られたくないこと』。つまり弱みを握って、周囲にバラすと脅せば本人から金を巻き上げられる。  ほんの一瞬のひらめきだった。  当時は、それが特に悪い事だとは思わなかった。Kが違法薬物を使っている事実を嗅ぎつけ、それを報道しない代わりに大金をせしめた記者がいたのだから、私にもできるだろう。  せいぜい、その程度の認識だった。しかし、そこから私の人生は大きく変わっていくのだった。  番組を観終えた私は、自分なりに法律の勉強を始めた。それまで将来の夢として、弁護士を志していたことも大きい。自室の中には、十五歳の少女にしては珍しく法律関連の本が沢山あったのだ。  私はしばらく読書に耽り、ついさっき思いついたばかりのアイディアが法律上、どのような罪に当たるのかを調べる。答えはすぐに出た。 『人を恐喝して財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する』  刑法二百四十九条・恐喝罪。  紛れも無い違法行為だ。しかし、私はどこかに抜け道の存在を疑っていた。事実、K選手から大金をせしめた記者は恐喝罪に問われていない。この記者のように誰かを脅しても罪にならない方法が、どこかにあるのではないか。  そう信じてあれこれ調べた結果、「相手に証拠の買い取りを提案しただけ」と言えば、簡単に逮捕を逃れられることが分かった。また、ある職業に従事する一部の人間が日常的に恐喝を繰り返しているにも関わらず、そのような言い訳を巧みに駆使して訴追を免れている現実も知った。  元々その職業に興味はあったが、積極的に「就きたい」とは考えていなかった。たかだか、いくつかある将来の選択肢の1つに過ぎなかった。しかし、インターネットで過去の事件の情報や判例を勉強していくと次第に、このような考えを持つようになった。 「こんなに美味しい仕事があったなんて……就きたいな」  その仕事の名はジャーナリスト。新聞や雑誌、テレビ局の記者だ。特定の組織に属さない場合もある。現代社会において一部の悪しき者達は、取材で知り得た情報から個人・企業の醜聞を握り、これネタに金銭を要求する「強請り」を生業のごとく行っている。  要求は金銭に留まらず、役職の辞任や便宜の供与、更なる情報提供に至るまで幅広い。対象者が脅迫に屈せず要求に応じなかった時は、醜聞を書きたてたスクープ記事が世に出るだけ。  このような行為をする者は、明治時代から存在していたようで『羽織ゴロ』や『ブン屋』などと呼ばれ、世間からイナゴの如く忌み嫌われた。  当然、素行の悪い輩も多く『ブン屋に家は貸すな。嫁はやるな』というフレーズが大正期に流行するほど、悪名は高かったと聞く。そんな彼らの横暴は戦後、日本に民主主義が持ち込まれるとますます激しくなっていったようだ。  どんなに強引な取材を行っても報道の自由の名の下に正当化され、取材の対象者から口止め料を脅し取っても罪に問われない。  ジャーナリストという職業に対して、私が憧れを抱くのに時間はかからなかった。報道云々よりも、政治家や官僚、大企業オーナーなどの有力者のスキャンダルを握って脅しをかけ、大金をせしめる強請りをやってみたくなったのだ。  さらに言えば、相手は有力者でなくとも良かった。他人の弱みにつけ込んで支配下に置き、奴隷のごとく搾取してみたくなった。その行為自体に憧れを抱いてしまったのだ。  当時の私は他者への支配欲が強く、言うなればサディスティックな傾向が殊さら強かったようにも思える。  最初の実験台は、近くに住む小学五年生の男の子。  春休みで暇だったので、私は彼の行動を細かく観察してみた。すると二日目くらいで、その子が学校近くの駄菓子屋で十円クジの景品を万引きする光景に遭遇する。  いま考えても、あれほど運が良いというか都合の良い出来事は他に無いと思う。私は買ってもらったばかりの携帯のカメラで彼を隠し撮りすると、本人に突きつけてみた。 「君、〇〇屋でプレミアを()ったよね? 証拠もきっちり押さえてあるよ。これ、君のお父さんやお母さんに見せちゃおっかなー」  ちなみに彼の実家は病院を経営しており、かなり裕福だった。子息の教育にも厳しく、その家の子にとって『親にチクられる』のは死ぬ事以上に恐ろしいはず――。  そう、私は踏んだのだ。 「ごめんなさい!お姉ちゃんの言う事、何でも聞くから。パパだけには言わないで……」  相手の反応は予想通り。彼は終始、泣きながら懇願していた。 「わかった。そこまで言うなら、内緒にしといてあげる。その代わりさ。君が今持ってるお小遣い、ぜんぶ私にちょうだい」 「えっ」 「嫌なら良いんだよ? この写真を君の親に見せるだけなんだし」  その後、彼が私のところに持ってきたのは一万八千円。小学六年生の息子にとっては大金のはず。そのような家庭が身近にあったとは、とんだ発見であった。 「へぇー。けっこう持ってるじゃん。これからもよろしくね?」 「……はい」  それが、全ての始まりであった。    高校生活を経て、私は都内の某M大学法学部へ進学。そこそこ知名度の高い私大だったが、特に講義が面白いわけでもない。  大学には単位を落とさない程度に適当に出て、学生生活の大半は遊んで過ごした。毎週末に集まって宴をやるだけのイベントサークルに入り、土曜の夜は朝まで飲み歩く。  そこで知り合った同期生の男と一時期、男女の仲になった。  遊びが中心の関係だったが、身体を重ね合わせるだけの淡白な関係でもなかった。彼は私が悩みを抱える度に励まし、勇気づけてくれた。どんなにくだらないことでも分かち合える、恋人としては望ましい状態だったと思う。  なお、私が在学中に司法書士の資格を取得できたのは、彼の言葉がきっかけだった。ワンルームの狭いアパートにて二人で安酒を飲んでいた、ある日のことである。 「沙紀、何か資格を取ってみたらどうかな?」  突然、持ちかけられた。 「何よ。急に」 「そうだ! 司法書士とか、いいんじゃないかな」  動機が不純とはいえ、将来はジャーナリスト志望。大学にいるのはあくまで履歴書に箔をつけるため。士業になる選択肢など考えてもいなかったが、特に具体的な目標も無くダラダラと時間を浪費するのも勿体ないと感じた。  私は彼の言葉を信じて、司法書士の試験を受けてみることに決めた。大学二年の春から準備を始め、元来暗記が得意だったこともあって順調に勉強は進み、その年の十一月には試験に合格。  周りの人間は私を誉め称える。そんな中で、なぜ私に資格取得を勧めたのか、恋人に尋ねてみた。 「だって法学部にいるんだぞ。嫌でも法律と隣り合わせの環境にいるんだから、勉強も捗るだろうと思ってさ」 「つまり、私にとって取りやすい資格だと思ったわけね?」 「ああ。その通りだ。自分が置かれた環境のメリットは、きちんと利用しなきゃな」  実際、勉強が順調だったとはいえ試験自体は難しい。どこかの専門講座に通う手間が惜しかったので、完全な独学だ。  到底、楽に取れる資格ではない。一発で合格できたのは奇跡に近かった。だが振り返ってみれば、私が法学部だったことは勝因の一つだ。  昼間の講義で頭に入った内容が、夜の勉強にそのまま反映できるのだ。学んでいるのはどちらも法律。  二つのことを同時に勉強する厭わしさを感じなくて済む。文学部や経済学部にいたら、この利点は享受できなかったと思う。  自分が置かれた環境のメリットは、きちんと利用する――。  月日が流れた大学三年の冬、就職先を考える時期になると志望先に頭を悩ませた。テレビ局、新聞社、出版社。ジャーナリストと一口に言っても、様々な種類がある。  どれを選べば、自分のやりたい事ができるのか。そんな悩みを考えていた時期に上記の言葉をふと思い出した。恋人とは既に別れてしまっていたが、かけられた言葉が人生の進路を決めるの一役買ったのだ。  考えに考えた末、私が選んだ就職先は週刊誌の編集部。  選んだ基準は、環境のメリットを最大限に利用できるから。これに尽きる。自分のやりたい事をやるのに、雑誌記者という肩書はあまりにも適していた。  私のやりたい事――。 それは誰かの弱みを握り、脅しをかけて服従させる事だった。週刊誌の記者は取材の対象が幅広い。多種多様なジャンルの話題を扱う分、醜聞に触れる機会も多いだろうと感じたのだ。  そして、いくつかの面接を経て私が入った職場が週刊新星(しゅうかんしんせい)の編集部である。  平成元年創刊で、毎週火曜日発行。世間からは中道的な政治スタンスと目されるが、外交や安全保障などいくつかの事象に関しては右寄りな記事を書くことが多く、コラムの連載も保守系の論客をたびたび起用しており、リベラルや左派政党からは何かと目の敵にされる。  さらに芸能人やスポーツ選手のスキャンダルスクープにも力を入れており、時に特定の有名人のプライベートを執拗に追いかけまわす特別企画が組まれ、物議を醸す事もしばしば。  人気お笑い芸人が違法カジノに出入りしていた事件や、一流企業の社長が法人税を不正に免れた疑惑など、世間をあっと言わせる記事も多い一方で勇み足報道によるトラブルも多く、ある事件では冤罪の片棒を担いでしまう結果となっている。  そんな過激な記事と報道姿勢がウリの雑誌で、私が働き始めた理由はただ一つ。各界の有名人の弱みを握れるからだ。弱みを握れると強請りがしやすい。強請りを行う理由は、特に金が欲しいからではない。  誰かの『知られたくないこと』を暴いて、証拠を突きつけて、決して逆らえない状態に陥れて、底知れぬ絶望を味わってもらう。  この行為自体に、私は快感を見出してしまうのだ。誰かを絶望に叩き落して味わう快感こそが、私が記者を続ける原動力となっていた。  入社して五年。様々な出来事を取材し、それを通して得た情報を基に様々な人物を強請って来た。政治家、文化人、スポーツ選手、実業家、タレント。私が今まで脅した人間は皆、警察には相談できない悩みを抱えた者ばかり。  弱みを握られ、大金を脅しとられても、警察に相談すれば自身の犯罪行為が明るみになるので、できない――。  そのような状況に立たされた者を標的にするのが、強請りを行う上では最も確実で、最も安全なのだ。たしかな方法を身に着けていた私は、たしかな成果を上げてきた。かれこれ億単位は稼がせてもらったと思う。自分の力には絶対の自信があった。  しかし、世の中に『因果応報』という言葉があるように、悪しき所業には悪しき報いが必ず待ち受けているものだ。私が数え切れぬほどの権謀術数を駆使してたどり着いた場所は、旅の始まりに望んだ風景とは大きく異なっていた。  道を間違えてしまったのだ。  更にその間違いが引き金となり、何の罪も無い一人の人間の命を奪う結果になってしまった。こうして筆をとっている間にも、後悔の念が津波のように心へ押し寄せてくる。  もはや自分が生きている理由も、既に分からなくなっている。私という人間を保つ力も衰えている。  ゆえに、書くことに決めた。自分が自分でなくなる前に、そしてこの世に留まっていられるうちに、私に何があったのか、どうしてこうなったのかを目に見える形で書き置いておこうと思ったのだ。  現状を説明すると、私は自分の事が分からなくなってきている。何かの病に侵されているわけではないが、自分が自分であると認識する力が弱まってきている。私に対して敵意を抱く者の存在もおびただしい。  彼らがこれを読めば、きっと怒り狂うだろうし、更なる憎悪を[滾|たぎ]らせるであろう。  しかし、己の考えを曲げられないのが私の性分だ。自分自身の終焉が刻々と迫りくる現状において運命を諦観し、ただ何もせず静かに最期を待つことはできない。  間違った道を選んでしまったことを認め、人生を振り返り、自らが経験した事実をありのまま世界に伝えよう。  そう、心に決めた。  序章にしては長くなってしまったが、どうか最後までお付き合い願いたい。  霧島沙紀
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