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「大和田さん、あの、一昨年の朗読劇……」
「え?」
ぼうっと見つめてしまっていると、末次から話しかけられた。一昨年の朗読劇は海沿いにある小さな劇場でしたものだ。それまであまり原作ものの脚本を書いたことがなかったのだが、韓国漫画が元のそれが評判となり、大和田の2.5次元舞台への道が拓けたとも言える。
「あれ、観てくれたんだ!」
「オーディションを受けたかったんですが、先に仕事が入っていて受けられなくて。友喜も出てたから、チケットを用意してもらって拝見しました。ご挨拶できなくて失礼しました」
「そっか。ありがとう」
「……セリフがとても美しくて、すごく良かったです。ナレーションの間も素晴らしくて感動しました」
そう言った瞬間、末次の表情が少し和らいだ。荒井とのやりとりがあまりに淡々としていたし、前の稽古場でも演技以外では無表情だったので、へえ、と大和田は思う。
(こんな表情もするんだな)
「ありがとう、嬉しいよ。あれでやっと拾い上げてもらったところはあるから」
それまでは小さい仕事しかできなくて、と思わず自嘲が漏れる。あの舞台もその前も……正直、枕で仕事をとっていたとは言えない。
自分が隠している過去を思い出し、あー、罪悪感……と彼の言葉をあまり素直に受け取れずにいた。一瞬あいてしまった間に、ああ、ごめん、ぼうっとして、と思わずまた彼を見上げるが、向こうはそんなことを気にしていないようでホッとした。
「稽古、楽しみにしてるね。今回は僕は演出には絡まないから、あまり顔は出せないけど……」
「はい、楽しみにしてます」
そう言った彼の表情はあまり変わらなかった。丁寧な言葉がまたその感情の無さを際立たせるが、嘘を言っているようには見えない。不思議な感覚に陥った。
末次渚は感情を全て舞台に置いてきたーーそんなことを言っていたのは誰だったか。嫌な相手を思い出し、心の中で舌打ちをする。そんな過去は忘れようと、隣でタバコも吸わずにぼうっとしている相手の横顔をそっと見つめた。
美しい造形、美しい顔、美しい声、キャリア、才能。
全てを持っているくせに、どこか醒めた目をしている。
そんな相手に最初から心惹かれるものがあったのは確かだ。
*
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